*メールマガジン「おおや通信 79」2012年3月18日
3月は、風光る月、とも言われます。風が光るように吹き渡る月です。日差しが強くなり、雪解け水が日ごとに勢いを増す季節になりました。多くの人が新しい場所、見知らぬ土地へと旅立つ季節でもあります。
13人の6年生も、その時を迎えました。卒業、おめでとうございます。6年間、大谷小学校に元気に通ってくれたこと、そして、この1年間は学校の大黒柱の役割を果たしてくれたことに、教職員を代表して心から「ありがとう」という言葉を贈りたいと思います。
一人ひとりに、はなむけの言葉を贈ります。
長岡龍輝(たつき)君。
君は、秋の運動会の応援合戦でミゲルに扮して、大いに沸かせてくれました。図書委員としての読み聞かせでも、人気抜群でした。折に触れて、大谷小学校を笑顔でいっぱいにしてくれて、本当にありがとう。大谷剣道スポーツ少年団でも大事な役割を果たしてくれました。目標は、人の命を助ける消防士になること。体を鍛え、よく勉強して、たくましい消防士になってください。
菅井茉衣(まい)さん。
あなたは、今年の学校文集に載った作文で東日本大震災のことを書いていました。停電で寒かったこと、テレビで津波が押し寄せる音を聞いて怖かったことを綴っていました。そのうえで「生き残ったこの命を大切にして、被災した人たちが復興できるように応援していきたい」と書いていました。思ったことを素直に綴った、とてもいい作文でした。幼稚園の先生になるのが夢ですね。優しい心を大切にして、子どもたちに慕われる先生になってください。
長岡知緩(ともひろ)君。
君とは、3学期の給食の時間によく同じテーブルになりました。食事をしながら、君は同じ班の下級生の面倒を実によくみていました。掃除の時にも、丁寧にやり方を教えてあげていましたね。見えにくいところで、気を配ってくれていました。ありがとう。中学に進んだらテニスをしたいと言っています。部活動でも細やかな気配りをして、いい雰囲気の部になるよう努めてください。
菅井芽衣(めい)さん。
左沢(あてらざわ)にある少年自然の家で宿泊体験学習をした時、みんなで木をこすり合わせて火をおこすことに挑戦しました。この時、真っ先に火をおこすことに成功したのは芽衣さんの班でした。その時の、大喜びした顔をよく覚えています。一生懸命に努力すれば、天は必ず報いてくれます。目標はやさしい美容師さんになることですね。一歩一歩進んで、夢を叶えてください。
志藤理央(りお)君。
町の水泳競技記録会で、君はリレーと背泳ぎに出場し、金メダルを3つも手にしました。見事な泳ぎでした。苦しさに耐え、何度も何度も練習した成果でした。一歩ずつ着実に進むことの大切さをみんなに教えてくれました。中学や高校に進んでも水泳を続け、いつの日か「世界の北島康介選手を超えたい」と夢見ています。高い目標ですが、志と目標は高いほどいいのです。挑戦してください。
堀 杏菜(あんな)さん。
5年生の時に、みんなで米作りの勉強をしました。その田んぼは杏菜さんのおうちの田をお借りしました。田植えの時も稲刈りの時も、お父さんをサポートしてみんなを引っ張ってくれました。夏の花笠祭りに参加した時にも、たくさん汗をかき、頑張ってくれました。ありがとう。目標は、料理研究家になって新しい料理を創り出すこと。いつか、誰も考えつかないような料理を作って、みんなを喜ばせてください。
白田匠摩(しょうま)君。
去年の文化祭のフィナーレは、カントリーロードの全校合唱でした。その冒頭で、君は独唱し、澄んだ歌声を響かせてくれました。とても魅力的な独唱でした。大工さんをしているお父さんと同じ道を歩みたい、と言っています。修行を積んで立派な大工さんになって、地震でもびくともしない家をどんどん建ててください。
畑 愛佳理(あかり)さん。
あたなは、言葉数は少ないけれども、とても豊かな感受性を持っています。学校文集の扉に「マット運動は苦手」という、あなたの詩が載っています。その詩は「くやしさと苦労の分だけ、大きな喜びが返ってくる」と結ばれていました。言葉遣いの豊かさに感心しました。小さい時から料理が好きで、お菓子を作るパティシエになるのが目標ですね。持ち前の感覚をお菓子作りに活かしてください。
阿部大悟(だいご)君。
モンテディオ山形のコーチが大谷小学校にサッカーを教えに来てくれた日のことを思い出します。コーチが「だれか手伝ってくれる人はいませんか?」と言うと、君は真っ先に「ハイ!」と手を挙げました。新しいことに果敢に挑戦する君らしい行動でした。とても大切なことです。寿司屋さんになるのが目標ですね。大人になっても、その気持ちを忘れず、新しい事にどんどん挑戦し続けてください。
武田七海(ななみ)さん。
あなたは、6年間で一番思い出に残ったこととして、大朝日岳への登山を挙げていました。つらくて、くじけそうになったけど、頂上に着いたらうれしくて、それまでのつらさが全部吹き飛んだそうですね。これからの人生でも何度か、そういう事があるかと思います。つらい思いをすれば、喜びもまた何倍にもなって返ってきます。それを忘れず、お菓子を作るパティシエになる夢を実現してください。
志藤康平(こうへい)君。
君は、大谷剣道スポーツ少年団の主将としてみんなをまとめ、数多くの優勝旗をもたらしてくれました。団体と個人の両方で山形県で1位という快挙を成し遂げました。優勝の陰には、人の何倍もの練習とたゆまぬ努力があったことは言うまでもありませんが、家族をはじめ多くの人に支えられての優勝でもありました。感謝の気持ちを忘れず、これからも剣道の技を磨いて、警察官になる夢を叶えてください。応援しています。
白田千紘(ちひろ)さん。
去年の秋、津波で大きな被害を受けた宮城県七ケ浜町の小学生を招いて、交流する会がありました。その会で、あなたは大谷小学校を代表して歓迎のあいさつをしてくれました。心のこもった、温かい、とてもいい挨拶でした。看護師さんになって、みんなを笑顔にしたいというのが目標ですね。持ち前の優しさを大切にして、周りにいる人みんなが元気になる、そんな看護師さんになってください。
堀 博道(ひろみち)君。
町の陸上競技記録会と水泳競技記録会での活躍、見事でした。歩いて一番遠い中沢から6年間、通ってくれてありがとう。ある日、君が1年生の栞汰(かんた)君と語らいながら歩いて帰る姿を目にしました。相手が1年生でも、大人を相手にするのと変わらない態度で接しているのを見て、とてもいいことだなぁ、と感心しました。その気持ちをこれからも大切にしてください。夢は、駅伝の選手になって箱根を走ることですね。厳しい道ですが、ひるまず、挑んでください。
保護者のみなさま。
お子様のご卒業、おめでとうございます。
小さな手をつないで校門をくぐった子どもたちは、今や中学校の制服に身を包み、大人の世界に足を踏み入れようとしています。どの子も豊かな可能性と大きな力を秘めています。この国の未来を担っていくのは、この子どもたちです。これからも、温かく大らかな気持ちでその成長を見守ってあげてください。私たちも、いつまでも応援し続けます。
1年生から5年生のみなさん。頼りになる6年生は今日、旅立ちます。4月からは新しい仲間を迎え入れて、あなたたちが大谷小学校の新しい歴史を刻んでいかなければなりません。お互いに支え合って、また「元気で楽しい学校」をつくっていきましょう。
ご来賓のみなさま。きょうはお忙しい中、卒業式にご臨席たまわり、誠にありがとうございました。大震災後の混乱を乗り越え、この冬の大雪にもたじろがず、この学校で学び続けることができましたのは、ひとえに皆様方の温かいご支援とご協力があったればこそです。心から感謝申し上げます。
今後とも、よりいっそうのご支援を賜りますようお願い申し上げて、卒業式のご挨拶とさせていただきます。ありがとうございました。 (完)
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18日は、大谷小学校の卒業式でした。3月の中旬になってインフルエンザにかかる6年生が続出し、一時は卒業式を延期することも検討せざるを得なくなりましたが、前日になってようやく13人の卒業生が全員出席できる見通しになり、なんとか式を挙行することができました。
私にとっては、校長として3回目の卒業式になりました。人生訓めいた話はしたくない。紙に書いたものを読み上げることもしたくない。小さな学校にふさわしい挨拶をしたいと考えて、今年も一人ひとりにエールを送りました。
だれもが豊かな可能性を持っています。小学校の校長として、子どもたちが育つ様子を日々見ていると、きれい事ではなく、文字通りそう思います。その可能性を伸ばしてあげられるのか、それとも、その芽を摘んでしまい、善からぬ道へと追いやってしまうのか。それぞれの家庭と学校、地域で触れる大人たちが決定的な役割を果たすのだ、ということを痛切に感じます。
*メールマガジン「おおや通信 78」 2012年3月6日
なるほど、官僚たちはこうやって蜜を集めて、吸い続けるのか。民間人校長になってから、つくづく感心させられ、あきれさせられる出来事がありました。視聴覚教育をめぐる醜聞です。
話は、戦後の焼け跡時代にさかのぼります。食べる物にも事欠く時代。学校で子どもたちに映画や16?フィルムの作品を見せてあげたくても、映写機やフィルムを買うお金などあるわけがありません。GHQ(連合国軍総司令部)はこれをあわれみ、手持ちの映画や16?の作品を提供して、教育の振興を促したといいます。
「戦後の復興を担う子どもたちに少しでも良い教育を施したい」と、多くの教育者が熱い思いを抱いていた時代でした。資金が足りないなら、みんなでお金を出し合って購入して共同で利用するしかない。そうやって、各県に「視聴覚教育連盟」というものができました。山形県では昭和28年、私が生まれた年に発足しています。
戦後復興が進むにつれて、県より小さい単位の地域にも「視聴覚連盟」や「視聴覚ライブラリー」といったものが作られていきました。その全国組織が財団法人「日本視聴覚教育協会」と、この財団が事務局をつとめる全国視聴覚教育連盟という団体です。2つとも、少なくともその発足から1980年代あたりまでは、日本の教育にそれなりの役割を果たした組織でした。
問題は、映画や16?の作品が主要な教材ではなくなり、インターネットで視聴覚教材を含むさまざまな教育の素材が手軽に入手できるようになった今でも、この2つの全国組織とこれを支える地方組織が残存していることです。
私が住む朝日町も、山形県西村山地区の視聴覚教育協議会という地方組織に入っており、年に35万円の負担金を出しています。5つの市町の首長と教育長が協議会のメンバーで、平成24年度の事業計画を見ると、16?フィルムのメインテナンスや映写機操作技術講習会などというものがあります。文部省の呼びかけで始まった制度と組織が、その役割を終えたにもかかわらず、惰性でいまだに続いているのです。
その元締めである「日本視聴覚教育協会」の会長は、元文部事務次官の井上孝美氏です。1997年に文部省を退官した後、放送大学学園理事長、放送大学教育振興会理事長と渡り歩き、今も放送大学教育振興会の会長と日本視聴覚教育協会の会長を兼ねて高給を食んでいます(どちらも非常勤の会長職)。
高給を得ても、それにふさわしい仕事をしているのなら、何も文句は言いません。しかし、日本視聴覚教育協会はとっくにその役割を終えたと考えられるのに、教育映画を作る会社や教科書会社を抱え込み、いまだに視聴覚教育の地方組織に号令をかけ続けています。その事業内容を見ると、天下りした元文部官僚に給料を払い続けるための事業と言いたくなる代物が並んでいるのです。
時代遅れの視聴覚教育にエネルギーと公費が注がれる一方で、ITとインターネットを教育にどう活かすかという喫緊の課題への取り組みは遅れています。拙著『未来を生きるための教育』でも詳述しましたが、日本の公教育のIT化は置き去りにされ、2010年からようやく小中学校の教職員にパソコンが本格的に貸与され始めたばかりです。米欧諸国は言うに及ばず、韓国やシンガポールなどの国々からも、はるかに離されてしまいました。
ここで奮い立つなら、まだ救いがありますが、学校のIT化をめぐっては総務省と文部科学省が縄張り争いを繰り広げているのが実情です。電波行政を握る総務省が「フューチャースクール推進事業」なる旗印を掲げて学校へのタブレット端末の普及を図り、文科省は電子黒板や校内LANの整備に躍起になる、という有り様です。そこから見えてくるのは「省益をどう広げるか」という醜い姿であり、次世代を担う子どもをどう育てるのかという真摯さは感じられません。
そういう人たちは「生き残るためのテクニック」にも長けているので、始末が悪いのです。くだんの「日本視聴覚教育協会」も、このままでは生き残れないと考えてか「ICTを活用した教育活動を推進していきたい」と提唱し始めています。笑止千万です。とっくの昔に退官した文部事務次官を非常勤の会長に据える組織が、いまさらどのようなIT教育を推進すると言うのか。まだ良心が残っているのなら、せめて静かに退場すべきでしょう。
官僚たちが蜜を集めて、退官後も吸い続けるこうした天下り団体がいったいどのくらいあるのか。そこに血税がどのくらい注ぎ込まれているのか。根っからの楽観主義者である私ですら、それを考えると、暗い気持ちになってしまいます。
〈注〉タブレット端末:タッチパネル式のミニパソコン。総務省の事業では、研究実証校の生徒に1台ずつ貸与しています。将来、教科書が電子書籍になれば、生徒はこの端末で教科書を呼び出して読むことになり、紙の教科書はなくなります。