2003年9月18日 朝日新聞夕刊コラム「窓/論説委員室から」
土木という言葉で思い浮かべるのは、汚職と談合。ダムにいたっては、今や「無駄な公共事業の代名詞」のようになってしまった。土木史を専門とする岡山大学の馬場俊介教授は嘆く。
教授によれば、土木の語感が変わり始めたのは昭和30年代の高度成長のころからだ。橋や道路が競うように造られ、土木全体が利権の渦にのみ込まれていった。
「それまでは材料も資金も乏しく、技術者は一つひとつ心を込めて造った。土木という仕事に誇りを持っていたのです」
実際、古い時代に造られたものには、人をひき付けてやまないものがある。写真家の西山芳一(ほういち)さんは、そうした土木構造物を撮り続けてきた。代表作を集めた個展「水辺の土木」が、東京・京橋のINAXギャラリーで開かれている。
潅漑用の小さなダムの写真がある。あふれた水が堰堤(えん・てい)の切り石にはじかれ、白いレース状の流紋を描く。右岸の擁壁は地形に合わせてしなやかに曲げられ、水が弾むように流れ落ちていく。大分県の竹田市にある白水(はくすい)ダムだ。1938年に完成し、今も地域の田畑を潤している。研究者は「日本で一番美しいダム」と呼ぶ。
軍靴の響きが高まり、物資も欠乏し始めた時代に、ここまで美しさを追い求めた技術者がいたことに驚く。この小さなダムに込められたような思いを人々が失った時、土木という言葉もまた輝きを失ってしまったのではないだろうか。〈長岡 昇〉