*メールマガジン「小白川通信 22」 2014年12月23日
今年8月上旬の特集に続いて、古巣の朝日新聞が23日の朝刊に、慰安婦報道を検証する第三者委員会の報告書を掲載しました。1面と3面、真ん中の特集7ページ、さらに社会面の記事を含めれば11ページに及ぶ長文の報告、報道でした。
精神的にも肉体的にも、最も充実した時期をこの新聞に捧げた者の一人として、実に切ない思いで目を通しました。何よりも切なかったのは、事実を掘り起こし、それを伝えることを生業(なりわい)とする新聞記者の集団が自らの手では検証することができず、その解明を「第三者委員会」なるものの手に委ねざるを得なかったことです。その報告を通してしか、慰安婦報道の経過を知るすべがないことです。
報告書には、かつての上司や同僚、後輩の記者たちの名前がずらずらと出てきます。「これだけの人間が関わっていて、なんで自分たちの力で検証紙面を作れないんだ」と叫びたくなる思いでした。危機管理能力を失い、自浄能力も失くしてしまった、ということなのかもしれません。前途は容易ではない、と改めて感じさせられました。
朝日新聞の慰安婦報道に関して、私は、1982年9月2日の朝日新聞大阪社会面に掲載された吉田清治(故人)の記事にこだわってきました。大阪市内での講演で「私は朝鮮半島で慰安婦を強制連行した」と“告白した”という記事です。これが朝日新聞にとっての慰安婦報道の原点であり、出発点だからです。その後の吉田に関する続報を含めて、彼の証言の裏取りをきちんとし、疑義が呈された段階でしっかりした検証に乗り出していれば、その後の展開はまるで違ったものになったはずなのです。
実は、吉田清治が朝日新聞の記者に接したのはこの時が初めてではありません。1980年ごろ、彼は朝日新聞川崎支局の前川惠司記者に電話して「朝鮮人の徴用について自分はいろいろと知っているので話を聞いて欲しい」と売り込んできたといいます。前川氏は川崎・横浜版で在日韓国・朝鮮人についての連載を書いていました。自分の話を連載で取り上げて欲しい様子だったといいます。著書『「慰安婦虚報」の真実』(小学館)で、前川氏はその時の様子を詳しく書いています。
吉田は「朝鮮の慶尚北道に2度行き、畑仕事をしている人たちなどを無理やりトラックに載せて連れ去る『徴用工狩り』をした」といった話をしたといいます。それまで徴用工として来日した人の話をたくさん聞いていた前川氏は、「吉田の話には辻褄の合わないところがある」と感じたといい、会った時の印象を「何かヌルッとした、つかみどころのない感じ」と表現しています。この時に前川氏が書いた記事も、今回の検証で取り消しの対象として追加されましたが、不思議なのは、この時、吉田は前川氏に対して、慰安婦の強制連行の話をまったくしていないことです。
そして、彼は1982年9月1日に大阪市内で講演し、慰安婦狩りの証言をしました。「徴用工狩り」から「慰安婦狩り」への軌道修正。前川氏の取材内容が大阪社会部に伝わっていれば何らかの役に立った可能性もあるのですが、新聞社に限らず、大きな組織というのは横の連絡が悪いのが常です。大阪の記者は吉田の軌道修正に気づくことなく、講演の内容をそのまま記事にしました。今年8月の慰安婦特集で、この記事を執筆したのは「大阪社会部の記者(66)」とされ、それが清田治史(はるひと)記者とみられることを、9月6日付のメールマガジン(小白川通信)で明らかにしました。清田氏もその後、週刊誌の取材に対して事実上それを認める発言をしています。
ところが、朝日新聞は9月29日の朝刊で「大阪社会部の記者(66)は当時、日本国内にいなかったことが判明しました」と報じ、問題の吉田講演を書いたのは別の大阪社会部の記者で「自分が書いた記事かも知れない、と名乗り出ています」と伝えました。清田氏は日本にいなかったのに「自分が書いた」と言い、8月の特集記事が出た後で別の記者が名乗り出る。驚天動地の展開でした。しかも、今回の第三者委員会の報告書ではそれも撤回し、「執筆者は判明せず」と記しています。
慰安婦報道の原点ともいえる記事についてのこの迷走。どういうことなのか、理解不能です。細かい記事はともかく、新聞記者なら、第2社会面のトップになるような記事を書いて記憶していないなどということは考えられません。しかも、ただの「第2社会面トップ記事」ではなく、その後、なにかと話題になった記事なのです。折に触れて仲間内で話題になったに違いないのです。原稿を書き、記事になるまでにはデスクの筆も入ります。編集者や校閲記者の目にも触れます。後で調べて、「誰が書いたのか分からない」などということは考えられないのです。
とするなら、結論は一つしかありません。誰かが、あるいは複数の人間が「何らかの理由と事情があっていまだに嘘をついている」ということです。自らが属した新聞社にこれだけの深手を負わせて、なお嘘をついて事実の解明を妨げようとする。この人たちは、良心の呵責(かしゃく)を感じないのだろうか。
(長岡 昇)
*メールマガジン「小白川通信 21」 2014年12月16日
北国に住む住民の感覚で言えば、今回の総選挙は「みぞれ雪のような選挙」でした。晩秋の氷雨に感じる哀愁もなく、初冬の新雪がもたらす凛とした厳しさもない。やたら水分が多く、ぐずらぐずらと降って始末に困るみぞれ・・・。ふたを開けてみれば、自民党と公明党は合わせて1増の325議席、衆議院で3分の2を維持しました。弱々しい野党各党の議席数がいくらか増減しただけ。投票率が戦後最低を更新したのも、選挙戦を見ていれば「そうだろうな」と思えるものでした。なんとも虚しい結末です。
けれども、その意味するところは重大です。これから4年間、安倍晋三首相は心おきなく、自ら信じる政策を推し進めることが可能になりました。彼の政治信条と政策を支持する人たちは「してやったり」と快哉を叫んでいることでしょうが、私は「とんでもないことになってしまった」と受けとめています。
民主党政権時代の政治があまりにもひどかったため、安倍政権の手綱さばきが国民に安心感を与えていることは理解できます。株価もそれなりに持ち直しましたから、財界の受けがいいのも当然でしょう。おまけに「日本の法人税は先進諸国に比べて高すぎる。法人税の減税を検討する」と言い出していますから、なおさら受けはいいはずです。ですが、安倍政権が推し進める「アベノミクス」がこの国を苦境から救い出してくれるとは到底、思えないのです。
エコノミストの浜矩子(のりこ)同志社大学大学院教授は「株価が上がれば経済がよくなるという考え方は本末転倒です」「最大の眼目が成長戦略だというのも時代錯誤です」と、アベノミクスを批判しています。私も同感です。今、日本が直面しているのは「冷戦後の混沌とした時代、多極化する難しい過渡期をどう生きていくのか」という難題であり、「人類が経験したことのない急激な少子高齢化の中で、富の分配をどう変革していくのか」という難題です。そういう新しい時代に、アベノミクスは「過去の延長線上の政策」で対処しようとしている、と考えるからです。「ビジョン」が欠落しています。前回の総選挙の際のスローガン「日本を、取り戻す。」は、そのことを何よりも雄弁に物語っています。
私は「自民党の政治など元々どうしようもないのだ」などと言うつもりはありません。新聞記者として働く中で、私は何度も「自民党の強さ」を思い知らされる経験をしました。懐が深い人が多い、と感じたのも自民党でした。なるほど、彼らの政策や主張はいわゆる革新政党のように筋道立ってはいません。正義や公平にも鈍感です。が、自民党は肌で知っているのです。多くの人にとって、何よりも大切なのは今日の暮らしであり、明日の糧を得ることです。そこにピタリと寄り添い、彼らは全力を尽くしてきたのです。敗戦の焼け跡から立ち上がり、経済成長の道をひた走るためにはそれが何よりも重要な政策であり、路線であると彼らは信じ、行動してきたのです。グダグダ言わずに一生懸命働き、ひたすらパイを大きくする――1980年代までは、それで良かったのかもしれません。
しかし、世界の風景は激変しました。寄り添う大樹(米国とソ連)はもうありません。比較的落ち着いていた海は荒れ、海図も当てにならない時代。見たこともない航路も通らなければならなくなったのです。「日本を、取り戻す。」などと過去を振り返っている場合ではありません。この難しい過渡期をどうやって生き抜き、道を切り拓いていくのか。今日と明日に加えて、もっと先の未来をも語らなければならない時代なのです。なのに、選挙戦で「今という時代」と「未来のビジョン」を語る政党と政治家がいかに少なかったことか。有権者もまた、それを求めることなく、選択を避けようとしているように見えました。
未来が不透明であればあるほど、私たちは多様な価値観を理解する懐の深さを持ち、かじ取りを確かなものにするための手立てを考えなければなりません。また、若い人たちが難しい航海に乗り出すために準備するのを手助けしなければなりません。なのに、この国はますます「若者に冷たい国」になりつつあります。落ち着いて働き、将来の計画を立てることができるような仕事は減るばかり。財務省が発表している「世代ごとの生涯を通じた受益と負担」というデータを見ただけでも、それは明らかです。若者は重い負担と少ない受益に甘んじ、年寄りは負担した以上のものを受け取る仕組みになっており、その傾向は強まっています。それでいて、「今時の若者は内向きだ。覇気がない」などと平気で批判する世の中。若者に冷たい国、ニッポン。
総選挙の公示日(12月2日)の翌日、私が勤める山形大学で「グローバル化への対応」をテーマにしたシンポジウムがありました。その席で、フランス人の講師が「アジア各国の英語習熟度」というデータを紹介してくれました。留学を希望する大学生や社会人が受けるTOEFL(トウフル)というテストの成績比較表(2013年)です。それによれば、1位はシンガポール、2位はインド、3位はパキスタン、4位はフィリピンとマレーシア、6位が韓国。以下、香港、ベトナム、中国、タイと続き、なんと日本は遠く離されてビリから3番目。日本より英語の成績が悪いのはカンボジアとラオスだけでした。
それは、日本の英語教育のお粗末さを無残なまでに示すデータでした。アジアで長く取材してきた私の実感とも合致するデータでした。英語が世界の共通語となりつつある世界で、日本の若者は先進諸国どころか、アジア各国の若者にも遅れを取っているのです。「英語支配に追随する必要はない」という意見もあります。まっとうな意見です。が、それなら、スペイン語でもドイツ語でも、中国語でも韓国語でも構いません。「日本語以外の言語で意思の疎通を図る資質」を養う必要があります。日本の教育はその努力もしていません。これからの時代を、この島国に立てこもって生きていけと言うのか。
若者への富の分配をどんどん薄くし、新しい時代に備える機会も十分に与えない。それでいて、膨大な借金の返済を彼らに押しつけ、原発の運転で生じた廃棄物の処理も押しつける――それが今、私たちが暮らしている社会の現実です。こんな社会でいいはずがありません。選挙こそそれを変える機会であり、政治こそそれを変革する原動力であるべきなのに、師走は虚しく過ぎ去りました。とんでもないことになってしまった、と思うのです。
(長岡 昇)
*浜矩子氏の言葉は2014年12月2日の朝日新聞朝刊オピニオン面からの引用です。
*財務省のデータは「世代ごとの生涯を通じた受益と負担」をご覧ください。
*アジア各国の英語習熟度データはNikkei Asian Reviewのサイトを参照してください。
《投開票日の自民党本部の写真》 Source:NHKのニュースサイト
http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2014_1215.html
《浜矩子氏の本の写真》 Source : PRTIMESのサイト
http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000062.000007006.html