*メールマガジン「風切通信 20」 2017年1月15日

 大統領の就任式を間近に控えた今の時期、その地位に就く政治家の胸は高揚感に満ちている、というのが普通でしょう。が、今、トランプ氏の胸に渦巻いているのは怒りと困惑、いら立ちと不安ではないか。彼と彼の側近たちはロシアのプーチン政権とどのような関係にあるのか。その内実を詳細に記したとされる極秘文書がメディアで報じられたからです。

kazakiri_20_trump_trim_.jpg

 1月10日、ウェブメディアの「バズフィード」が「アメリカ大統領選挙:共和党候補ドナルド・トランプ氏のロシアにおける活動とクレムリンとの不名誉な関係」と題された極秘文書の内容を特報しました。次いで、ニュース専門テレビのCNNが「クラッパ―国家情報長官(米国の情報機関の元締め)とコミーFBI長官、ブレナンCIA長官、ロジャーズNSA(国家安全保障局)長官の4人がオバマ大統領とトランプ次期大統領に極秘文書とその要約版を提出した」と報じました。

 CNNはA4判2ページ分の要約版の内容を伝え、極秘文書の詳細については「内容を確認できていない」として報じませんでしたが、バズフィードはこのCNNの報道の直後、「アメリカ国民が自ら判断できるように」と、ウェブで極秘文書の全文35ページの公開に踏み切りました(末尾のサイト参照)。

 極秘文書は「ロシア政府は5年前からトランプ氏との関係を深め、支持し、支援してきた。その目的は西側の同盟を分裂させ、分断するためであり、プーチン大統領の了解を得ていた」と記し、大統領選挙ではクリントン候補の足を引っ張り、トランプ氏に有利になるように、あらゆる手段を駆使して秘密工作を繰り広げたことを明らかにしています。

 その内容は詳細を極め、プーチン政権とトランプ陣営の間で定期的に情報交換がなされていたこと、ロシア側がクリントン陣営と民主党本部に大規模なサイバー攻撃を仕掛けたこと、トランプ氏の側近がプラハでロシア側と外交と安全保障にかかわる極秘の事前交渉を重ねていたといったことを具体的に明らかにしています。

 その一方で、プーチン政権はトランプ氏の弱みを握ることにも力を注いでいた、としています。トランプ氏がモスクワを訪れてリッツ・カールトンホテルに宿泊した際、オバマ大統領夫妻が利用したのと同じスイートルームを予約し、この部屋に複数の売春婦を招き入れて目の前で「ゴールデン・シャワー」と称するオシッコ・プレーをさせた、といったことまで把握し、記録していたというのです。ホテルも売春婦もロシア連邦保安庁(FSB)の支配下にあり、「必要な時には脅しの材料として使える」というわけです。

 この文書の内容が報じられた翌11日の記者会見で、トランプ氏はCNNを「インチキニュース fake news」と罵り、バズフィードを「ぶざまなゴミの山 failing pile of garbage」と切り捨て、文書の内容を事実上、全否定しました。会見場にいたCNNの記者は何度も「私たちを攻撃するなら質問の機会を与えてほしい」と要請しましたが、トランプ氏が彼を指さすことはありませんでした。そして、文書の内容を報じなかったメディアを褒めたたえたのです。

 これに応えるかのように、バズフィードとCNNの報道について、ニューヨーク・タイムズの編集主幹は「われわれは自信を持って出せない内容を公表したりはしない」とコメントし、ワシントン・ポストの幹部は「メディア全体の信用が低下している中、悪影響を及ぼす」と懸念を表明しました(14日の朝日新聞記事)。「良識ある態度」のように見えますが、私はどちらの説明にも納得できません。

 この極秘文書の存在は、昨年の夏には一部の政治家や報道関係者の間で知られていたといいます。情報の内容からいって、報道機関が裏付けを取るのは極めて難しい代物です。が、CIAやFBIといった情報機関なら、その真偽の見極めは困難ではないでしょう。彼らは、必死になってその検証を試みたはずです。そして、調べた結果、現職と次の大統領に報告するに値すると判断したからこそ、情報機関の長官4人が顔をそろえて要約版を付けて報告したのです。

 ならば、大統領と次期大統領に報告したという事実を報道することのどこがおかしいのか。彼らが手にした重要な文書を主権者である国民が共有できるようにすることのどこがおかしいのか。権力者たちが「秘密にしておきたい」と考える代物を、報道機関が「裏付けできないので自分たちも内密に」と同調するのは、ジャーナリストとしての判断と責任の放棄ではないか。

 今回の事態は、米英がテロ対策の名の下にインターネットや有線・無線通信といったあらゆる分野で情報を収集している問題をスノーデンが暴露した時と同じ構図です。既存のメディアはその内容を知りながら権力者におもねり、沈黙し続けました。だからこそ、スノーデンは既存のメディアではなく、ウェブで発信しているジャーナリストに全情報を提供するに至ったのです。スノーデン事件は「メディアの主役が新聞やテレビからウェブに移行しつつあること」を鮮やかに示しました。今回のトランプ極秘文書報道は、それに次ぐ象徴的な出来事になるでしょう。

 この極秘文書は怪文書の類とは質的に異なります。調査の資金を提供したのは共和党主流派とクリントン陣営とされています。請け負ったのは民間の調査会社で、担当者も判明しています。ロイター通信によれば、英国の情報機関MI6や英外務省で働いた経験のあるクリストファー・スティールという人物です。ロシア通の諜報のプロです。文書を読めば、「だからこそ、これだけ迫力のある報告書をまとめることができたのだ」と納得がいきます。文書では、プーチン大統領がこのような工作に手を染めるのは「理念より国益に軸足を置いた19世紀型のグレートパワー政治を信奉しているから」と分析しています。時代錯誤の危険な政治家、との見立てです。

 不勉強で私は「バズフィード BuzzFeed」というメディアを知りませんでした。2006年にジョナ・ペレッティ氏によって設立されたベンチャーメディアで、2015年には「バズフィード・ジャパン」という日本法人を作り、2016年1月から日本語版の配信も始めています。日本語版の編集長は元朝日新聞記者の古田大輔氏と知りました。

 トランプ氏に「ゴミの山」と罵倒されたバズフィードのベン・スミス編集長は、極秘文書の全文公開に踏み切った後、次のようなコメントを発表しました。「この決断はジャーナリズムにおける透明性を担保し、持っている情報は読者に提供するという前提に基づいています。私たちの選択に賛成されない方もいると思います。しかし、この調査文書の公開は、2017年における記者の仕事とは何か、ということに関するバズフィードの考えを反映したものです」

 まともな考え方だ、と私は思います。取材の手法と報道のあり方は時代と共に変わる。変わらなければ、時代に置き去りにされ、やがて消えていくしかない。



≪参考サイト≫
◎ウェブメディア「バズフィード」の日本語版サイトに掲載された極秘文書の記事
https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia-2?utm_term=.dfLdKde2Gd#.asV6O6LAW6
◎極秘文書の全文(英語)
https://www.documentcloud.org/documents/3259984-Trump-Intelligence-Allegations.html
◎「バズフィード」の米国版サイト(英語)
https://www.buzzfeed.com/?country=en-us
◎米国版サイトの極秘文書に関する記事(英語)
https://www.buzzfeed.com/kenbensinger/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia?utm_term=.qb3Q2QoyjQ#.bnwy6yB4ey
◎「バズフィード」の会社概要(日本語版ウィキペディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%BA%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%89
◎「バズフィード」の会社概要(英語版ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/BuzzFeed


≪写真説明とSource≫
◎11日の記者会見時のトランプ次期大統領
https://www.buzzfeed.com/bfjapannews/these-reports-allege-trump-has-deep-ties-to-russia-2?utm_term=.nsr0d09rW0#.bwGp3p06Mp