自民党の総裁選を勝ち抜き、岸田文雄氏が首相に就任した。明治の元勲、伊藤博文から数えてちょうど100代目の総理大臣という。その岸田首相の下であわただしく衆議院が解散され、総選挙に突入した。10月31日に投開票され、その日の夜には大勢が判明する。
NHKや朝日新聞は今回の総選挙について、盛んに「政権選択の選挙」と報じた。だが、この選挙で政権交代が実現する可能性があると考えている人はほとんどいないだろう。
安倍晋三、菅義偉両氏の下で9年に及んだ政権運営を有権者はどう判断するのか。ウソとごまかしの政治にどこまでお灸をすえるのか。そのお灸の度合いが示される選挙、と見る方が自然だろう。立憲民主党を中心とする野党に再び政権運営をゆだねるほど、有権者はうぶではあるまい。
選挙に向けて、岸田首相は「新しい資本主義」なるスローガンを掲げた。アメリカ型の強欲な資本主義、弱者切り捨ての資本主義とは異なるものを目指したいようだ。どのような資本主義を思い描いているのか。岸田首相は所信表明演説でこう述べた。
「成長と分配の好循環と、コロナ後の新しい社会の開拓。これがコンセプトです。成長の果実をしっかりと分配することで、初めて次の成長が実現します。大切なのは成長と分配の好循環です。『成長か分配か』という不毛な議論から脱却し、『成長も分配も』実現するためにあらゆる政策を総動員します」
具体的には何をするのか。成長するための第一の柱は「科学技術立国の実現」であり、第二の柱は「デジタル田園都市国家構想」だという。「経済安全保障に取り組み、人生100年時代の不安解消を図る」とも述べた。ズラズラと政策を並べているが、それがどのような「新しい資本主義」につながっていくのか、少しも見えてこない。一番肝心な点に触れていないからだ。
戦後日本の資本主義は、終身雇用と家族的な経営を特徴としていた。同一労働=同一賃金の原則がそれなりに守られ、少なくとも真面目に働いている限り、働く者はそれほど将来の心配をする必要がなかった。それが高度経済成長の原動力となった。
こうした日本型の資本主義が大きく変わったのは、1985年に労働者派遣法が成立してからだ。同一労働=同一賃金の大原則に風穴が空いた。当初、派遣の対象は通訳や秘書、ソフトウェア開発など特別な技能を必要とする13の業務に制限されていたが、その後、対象は少しずつ拡大されていった。
そして2004年、小泉純一郎政権の時に派遣労働は製造業にまで拡大され、事実上、歯止めがなくなった。推進する側はこれを「働き方の多様化」と呼んだが、その実態は企業側に「働かせ方の多様化」をもたらすものだった。
時を経て、それがどのような結果を招いたか。私たちはまざまざと見せつけられている。今や、働く者の4割は派遣や契約社員、パートの非正規労働者である(図1)。不安定な雇用の下、低賃金で働くことを余儀なくされている。
将来を見通せない若者たちは結婚をためらい、子育てを躊躇(ちゅうちょ)する。非婚や晩婚化、少子化は経済と雇用の大きな変化を抜きにして語ることはできない。行政が結婚の斡旋や子育て世代への支援に乗り出す、といった小手先の対応をして解決できるような問題ではなくなっている。
その結果、日本の労働者はどのような状況に追い込まれたか。先進国を中心に38の国でつくるOECD(経済協力開発機構)の統計を見れば、それが如実に分かる。図2は、主要国の平均賃金の推移を示したものである。各国の平均賃金が着実に上がっていく中で、日本人労働者の平均賃金はこの20年、横ばいのままだ。2015年には韓国にも抜かれ、イタリアと最下位を争う状態になっている。
図3を見れば、気分はさらに落ち込む。OECD加盟国の「2020年平均賃金ランキング」によれば、日本人の平均賃金は加盟国平均のかなり下だ。もはや「中進国レベル」と言うしかない。
この間、もちろん企業も苦しんできたが、その痛みは働く者よりはるかに小さい。内部留保を膨らませている企業も少なくない。
パート労働や派遣労働が広がり、働く者が低賃金にあえいでいる現状にメスを入れ、労働環境の大胆な改革に乗り出さない限り、「新しい資本主義」など夢のまた夢だ。経済界の抵抗を押し切り、覚悟をもって取り組まなければ、事態は一歩も動かない。
では、岸田首相にはその覚悟があるのだろうか。改革にかける首相の本気度を測るためには、その言葉より、彼が仕切った人事を見る方がいい。岸田首相は、官房長官とともに政権運営の要となる自民党幹事長に甘利明氏を充てた。都市再生機構(UR)がらみの補償交渉で千葉県の建設会社に肩入れし、口利き料として1200万円もの資金提供や接待を受けた政治家だ(2016年1月、週刊文春の報道で発覚)。
資金を受け取り、接待を受けたのは主に秘書のようだが、甘利氏本人も50万円の札束を2回受け取り、ポケットに入れたことを認めている。「政治資金として受け取った」と釈明したものの、斡旋利得処罰法違反の疑いが濃厚だ。東京地検特捜部が捜査に乗り出し、疑惑が深まるや、甘利氏は「睡眠障害」を理由に入院し、国会にも出て来なくなった。眠れないから入院。ふざけた政治家だ。その後、捜査は尻すぼみになり、事件は闇に葬られた。
その甘利氏が素知らぬ顔で表舞台に舞い戻り、今回の自民党総裁選では「岸田総裁誕生」のために動き、論功で自民党幹事長の要職に就いた。安倍元首相が総裁候補として担いだ高市早苗氏は政務調査会長になった。
新内閣の閣僚の顔ぶれを見ても、岸田首相が「各派閥のバランスを取ってまずは安全運転」と考えていることは明白だ。そのような政治家に「新しい資本主義」を打ち立てるための大胆な改革などできるわけがない。「小さな改革」を小出しにするのが関の山だろう。
◇ ◇
誰が首相になろうと、日本丸の舵取りはきわめて難しい。政府と地方自治体の借金は1100兆円を超える。国内総生産(GDP)の2倍以上だ。それはどのような意味を持つのか。
図4は国際通貨基金(IMF)の経済統計に基づいて、主要国の債務(借金)残高を示したものだ。借金の総額を1年間のGDPで割り、それを百分率で表している。積み重ねた借金が1年分のGDPと同額なら100%となる。日本の債務残高は250%を超え、主要国の中で突出している。2年分のGDPをすべて借金の返済に充てても足りない状態だ。主要国の労働者の平均賃金で最下位を争うイタリアより、ずっとひどい。
経済学者の中には「日本は民間の貯蓄率が際立って高い。政府が保有する資産も膨大だ。イタリアとはまるで違う。これくらいの借金でよろめくことはない」と説く者がいる。「公的な債務は将来に対する投資であり、必ずリターンがある。債務を心配する必要などそもそもない」と主張する学者すらいる。
こういう人たちには「ではなぜ、ほかの国々は債務残高を低く抑えるために必死になっているのか」と問えばいい。ドイツは政府の歳入と歳出をトントンにする、という原則を固く守っている。コロナ禍で国債を発行せざるを得なくなったものの、それを返済する段取りもきちんと国民に示している。
国の財布も個人の財布も、原理は変わらない。収入よりも多く金を使えば、借金をするしかなくなる。そして、借金を重ねていけば、いつか破産する。経済理論をいくらこねくり回しても、この原理を超越することはできないのだ。
あらためて、政府の今年度予算案を眺めてみよう(図5)。国の歳入106兆円の4割は国債を発行してまかなっている。一方で歳出のうち、借金の返済に充てる国債費は2割に過ぎない。つまり、毎年、国の借金は雪ダルマのように膨らみ続ける。
それなのに、日本はインフレにならず、株価の暴落も起きていない。歴代の自民党政権が自転車操業のような手法を編み出し、駆使してきたからだ。
その典型が安倍晋三政権である。国の借金である国債を銀行の元締めの日本銀行に引き受けさせ、どんどん買わせた。紙幣を発行する中央銀行が国債を買い付けることなど、かつては「決してやってはいけない」とされていたが、平気でそれを続けた。
安倍政権は、株価を吊り上げるための手立ても講じた。日本の厚生年金と国民年金の資金は、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が運用している。その運用資産は2020年度末で186兆円もあり、世界最大の機関投資家だ。図6に見るように、GPIFは発足時の2006年時点では、主にリスクの小さい国内の債券を買って運用していた。年金制度を支える積立金が目減りしたら大変なことになるからだ。
ところが、安倍政権の下でGPIFはリスクの高い内外の株式や外国債券の割合を大幅に増やしていった。2020年4月の時点では運用先は4分の1ずつ。リスクの高い株式市場に資金をジャブジャブ注ぎ込んだのである。
それは「ギャンブル」のような運用だ。図7が示しているように、2008年のリーマンショックで9兆円もの赤字を出したかと思えば、景気が上向いた2014年には15兆円の黒字になった。何とも危うい運用だ。
年金を管轄する厚生労働省やGPIFは「カナダやノルウェーの年金の株式運用の割合はもっと高い」と説明する。だが、アメリカ最大の公的年金の運用機関である社会保障信託基金(OASDI)が米国債しか買わないことには触れない。ドイツやイギリス、フランスの年金制度は「原則として徴収した資金で年金をまかなう」という堅実なもので、そもそも巨額の積立金を持っていない。それも説明しない。
要するに、年金の積み立てと運用という面でも、日本は極めてリスクの高いことをしている「突出した国家」なのだ。「アベノミクスの3本の矢、成長戦略の一環」などという声に踊らされて株式投資の割合を増やし続け、リスクは極大化した、と言わなければならない。
株価がどう動くかは誰にも予想できない。暴落すれば、年金の支給そのものに影響が出る恐れがある。政府の膨大な債務とともに、年金積立金の運用も大きなリスク要因である。
「新しい資本主義」を唱えるなら、岸田首相はこうした深刻な問題についても率直に語りかけなければならない。が、まったく触れようとしない。問題に手を付けようとするそぶりも見せない。問題の根があまりにも深くかつ重大なので、怖くて触れることすらできないのかもしれない。
◇ ◇
では、政権交代を叫ぶ立憲民主党はどうか。安倍政権は森友学園問題で公文書を改竄(かいざん)し、加計学園問題や「桜を見る会」をめぐってウソとごまかしを重ねた。立憲民主党は、それによって「政治と行政がゆがめられた」と批判し、「透明で信頼できる政府をつくる」と訴える。「原発に依存せず、自然エネルギー立国を目指す」とも唱えている。このへんまでは、すこぶるまっとうだ。
ところが、国の財政や金融の話になると、この政党は途端に突拍子もないことを言い出す。枝野幸男代表はコロナ禍で落ち込んだ消費を回復させるため、「消費税5%への減税が必要だ」と言い放った。年収1000万円程度までは一時的に「所得税をゼロにする」とも口にした。
消費税を半分の5%にすれば、それだけで10兆円の歳入が吹き飛ぶ。所得税ゼロでも兆円単位の歳入減になる。その手当てをどうすると言うのか。「財源は富裕層や大企業への優遇税制の是正で捻出する」と、もっともらしい公約を掲げているが、そうした措置でいくら捻出できるか、試算を示そうともしない。
かつて政権交代を実現した民主党は、掛け声だけは立派だったが、政策を実行する力量も覚悟もなく自滅した。立憲民主党の公約を聞いていると、その姿と二重写しになる。過去の失敗から教訓をくみ取り、今度こそ有権者の信頼を勝ち取らなければならないのに、そういう謙虚さがみじんも感じられない。立憲民主党の面々も、自民党とは異なる意味で有権者を小馬鹿にしている。
国民民主党はどうか。この政党の公約は、立憲民主党の公約が現実的に思えてしまうほど非現実的だ。コロナ禍から立ち上がるため積極財政に転じ、「今後10年間で150兆円の投資をする」のだという。まず、コロナで傷ついた生活と事業を救済するため50兆円の緊急経済対策を講じる。次に、環境やデジタルなど未来への投資に50兆円。さらに、教育と科学技術予算を倍増させ、「人づくり」に50兆円の投資をするのだという。
こんな公約は「私たちはどの党よりも速やかに国家財政を破綻させ、国を破滅に導いてみせます」と言っているに等しい。党の幹部に経済や財政、金融をまともに考えている人間が1人もいないことを示している。論外と言うしかない。
ひたすら税金のバラマキを訴えるという意味では、「0歳から高校3年生まで全員に一律10万円を支給する」と唱える連立与党の公明党も、消費税を廃止すると言う「れいわ新選組」も同列だ。どちらも「責任をもって未来を語ろうとしない」という点で共通している。
各政党の無責任な公約に堪忍袋の緒が切れたのだろう。財務事務次官の矢野康治(こうじ)氏は、月刊『文藝春秋』の11月号に「このままでは国家財政は破綻する」と題した一文を寄せた。
「これでは古代ローマ帝国のパンとサーカスです。誰が一番景気のいいことを言えるか、他の人が思いつかないような大盤振る舞いができるかを競っているかのようでもあり、かの強大な帝国もバラマキで滅亡したのです」
矢野氏は、前述したような日本の財政の危機的状況を具体的に説明しつつ、「あえて今の日本の状況を喩(たと)えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです」と記し、「破滅的な衝突を避けるためには、『不都合な真実』もきちんと直視し、先送りすることなく、最も賢明なやり方で対処していかねばなりません」と訴えている。
森友学園問題で公文書を改竄し、職員を自死にまで追い込みながら誰一人責任を取らなかった財務省のトップがなにを偉そうに、と反発する人もいるかもしれない。
けれども、「国庫の管理をまかされた立場にいる者」として、また「心あるモノ言う犬」として「どんなに叱られても、どんなに搾(しぼ)られても、言うべきことを言わなければならないと思います」と綴った文章には熱を感じる。そして、官僚をここまで追い詰めてしまった日本の政治の貧困を思わないではいられない。
長い文章になってしまった。その他の政党については、寸評するしかない。日本維新の会は主要政党の中では珍しく税金のバラマキを掲げていない。日本社会のどこをどう改革すべきか、現実的な処方箋を示している。が、いかんせん、関西の政党である。ほかの地域の有権者にとってはやはり「遠い存在」だ。
共産党は真面目な政党だが、今さら「共産主義に基づく国家建設」に与(くみ)する気にはなれない。社民党の政策に至っては「大学生の作文か」と言いたくなる。
選択に苦しむ選挙だ。こんなに重苦しい選挙は記憶にない。それでも、私たちは選ばなければならない。「下り坂にさしかかった国」ではあっても、私たちの国にはまだ底力がある。その底力を引き出して、せめてなだらかな坂道にして次の世代に引き継ぎたい。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
≪写真のSource≫
◎岸田文雄首相(HuffPost のサイトから)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6153bcace4b05025422bd5e5
≪参考資料&サイト≫
◎NHKウェブ特集「クローズアップ現代が見つめた17年」
https://www.nhk.or.jp/gendai/special/tokusyu01_figure_section.html
◎「日本人は韓国人より給料が38万円も安い!」(DIAMOND online)
https://diamond.jp/articles/-/278127
◎日医総研リサーチエッセイNo.90 「公的年金の運営状況についての考察(補論)」(石尾勝主任研究員)
https://www.jmari.med.or.jp/research/research/wr_712.html
◎「公的年金積立金運用のあり方について:予備的考察」(國枝繁樹)
https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/news/news270918_14.pdf
NHKや朝日新聞は今回の総選挙について、盛んに「政権選択の選挙」と報じた。だが、この選挙で政権交代が実現する可能性があると考えている人はほとんどいないだろう。
安倍晋三、菅義偉両氏の下で9年に及んだ政権運営を有権者はどう判断するのか。ウソとごまかしの政治にどこまでお灸をすえるのか。そのお灸の度合いが示される選挙、と見る方が自然だろう。立憲民主党を中心とする野党に再び政権運営をゆだねるほど、有権者はうぶではあるまい。
選挙に向けて、岸田首相は「新しい資本主義」なるスローガンを掲げた。アメリカ型の強欲な資本主義、弱者切り捨ての資本主義とは異なるものを目指したいようだ。どのような資本主義を思い描いているのか。岸田首相は所信表明演説でこう述べた。
「成長と分配の好循環と、コロナ後の新しい社会の開拓。これがコンセプトです。成長の果実をしっかりと分配することで、初めて次の成長が実現します。大切なのは成長と分配の好循環です。『成長か分配か』という不毛な議論から脱却し、『成長も分配も』実現するためにあらゆる政策を総動員します」
具体的には何をするのか。成長するための第一の柱は「科学技術立国の実現」であり、第二の柱は「デジタル田園都市国家構想」だという。「経済安全保障に取り組み、人生100年時代の不安解消を図る」とも述べた。ズラズラと政策を並べているが、それがどのような「新しい資本主義」につながっていくのか、少しも見えてこない。一番肝心な点に触れていないからだ。
戦後日本の資本主義は、終身雇用と家族的な経営を特徴としていた。同一労働=同一賃金の原則がそれなりに守られ、少なくとも真面目に働いている限り、働く者はそれほど将来の心配をする必要がなかった。それが高度経済成長の原動力となった。
こうした日本型の資本主義が大きく変わったのは、1985年に労働者派遣法が成立してからだ。同一労働=同一賃金の大原則に風穴が空いた。当初、派遣の対象は通訳や秘書、ソフトウェア開発など特別な技能を必要とする13の業務に制限されていたが、その後、対象は少しずつ拡大されていった。
そして2004年、小泉純一郎政権の時に派遣労働は製造業にまで拡大され、事実上、歯止めがなくなった。推進する側はこれを「働き方の多様化」と呼んだが、その実態は企業側に「働かせ方の多様化」をもたらすものだった。
時を経て、それがどのような結果を招いたか。私たちはまざまざと見せつけられている。今や、働く者の4割は派遣や契約社員、パートの非正規労働者である(図1)。不安定な雇用の下、低賃金で働くことを余儀なくされている。
将来を見通せない若者たちは結婚をためらい、子育てを躊躇(ちゅうちょ)する。非婚や晩婚化、少子化は経済と雇用の大きな変化を抜きにして語ることはできない。行政が結婚の斡旋や子育て世代への支援に乗り出す、といった小手先の対応をして解決できるような問題ではなくなっている。
その結果、日本の労働者はどのような状況に追い込まれたか。先進国を中心に38の国でつくるOECD(経済協力開発機構)の統計を見れば、それが如実に分かる。図2は、主要国の平均賃金の推移を示したものである。各国の平均賃金が着実に上がっていく中で、日本人労働者の平均賃金はこの20年、横ばいのままだ。2015年には韓国にも抜かれ、イタリアと最下位を争う状態になっている。
図3を見れば、気分はさらに落ち込む。OECD加盟国の「2020年平均賃金ランキング」によれば、日本人の平均賃金は加盟国平均のかなり下だ。もはや「中進国レベル」と言うしかない。
この間、もちろん企業も苦しんできたが、その痛みは働く者よりはるかに小さい。内部留保を膨らませている企業も少なくない。
パート労働や派遣労働が広がり、働く者が低賃金にあえいでいる現状にメスを入れ、労働環境の大胆な改革に乗り出さない限り、「新しい資本主義」など夢のまた夢だ。経済界の抵抗を押し切り、覚悟をもって取り組まなければ、事態は一歩も動かない。
では、岸田首相にはその覚悟があるのだろうか。改革にかける首相の本気度を測るためには、その言葉より、彼が仕切った人事を見る方がいい。岸田首相は、官房長官とともに政権運営の要となる自民党幹事長に甘利明氏を充てた。都市再生機構(UR)がらみの補償交渉で千葉県の建設会社に肩入れし、口利き料として1200万円もの資金提供や接待を受けた政治家だ(2016年1月、週刊文春の報道で発覚)。
資金を受け取り、接待を受けたのは主に秘書のようだが、甘利氏本人も50万円の札束を2回受け取り、ポケットに入れたことを認めている。「政治資金として受け取った」と釈明したものの、斡旋利得処罰法違反の疑いが濃厚だ。東京地検特捜部が捜査に乗り出し、疑惑が深まるや、甘利氏は「睡眠障害」を理由に入院し、国会にも出て来なくなった。眠れないから入院。ふざけた政治家だ。その後、捜査は尻すぼみになり、事件は闇に葬られた。
その甘利氏が素知らぬ顔で表舞台に舞い戻り、今回の自民党総裁選では「岸田総裁誕生」のために動き、論功で自民党幹事長の要職に就いた。安倍元首相が総裁候補として担いだ高市早苗氏は政務調査会長になった。
新内閣の閣僚の顔ぶれを見ても、岸田首相が「各派閥のバランスを取ってまずは安全運転」と考えていることは明白だ。そのような政治家に「新しい資本主義」を打ち立てるための大胆な改革などできるわけがない。「小さな改革」を小出しにするのが関の山だろう。
◇ ◇
誰が首相になろうと、日本丸の舵取りはきわめて難しい。政府と地方自治体の借金は1100兆円を超える。国内総生産(GDP)の2倍以上だ。それはどのような意味を持つのか。
図4は国際通貨基金(IMF)の経済統計に基づいて、主要国の債務(借金)残高を示したものだ。借金の総額を1年間のGDPで割り、それを百分率で表している。積み重ねた借金が1年分のGDPと同額なら100%となる。日本の債務残高は250%を超え、主要国の中で突出している。2年分のGDPをすべて借金の返済に充てても足りない状態だ。主要国の労働者の平均賃金で最下位を争うイタリアより、ずっとひどい。
経済学者の中には「日本は民間の貯蓄率が際立って高い。政府が保有する資産も膨大だ。イタリアとはまるで違う。これくらいの借金でよろめくことはない」と説く者がいる。「公的な債務は将来に対する投資であり、必ずリターンがある。債務を心配する必要などそもそもない」と主張する学者すらいる。
こういう人たちには「ではなぜ、ほかの国々は債務残高を低く抑えるために必死になっているのか」と問えばいい。ドイツは政府の歳入と歳出をトントンにする、という原則を固く守っている。コロナ禍で国債を発行せざるを得なくなったものの、それを返済する段取りもきちんと国民に示している。
国の財布も個人の財布も、原理は変わらない。収入よりも多く金を使えば、借金をするしかなくなる。そして、借金を重ねていけば、いつか破産する。経済理論をいくらこねくり回しても、この原理を超越することはできないのだ。
あらためて、政府の今年度予算案を眺めてみよう(図5)。国の歳入106兆円の4割は国債を発行してまかなっている。一方で歳出のうち、借金の返済に充てる国債費は2割に過ぎない。つまり、毎年、国の借金は雪ダルマのように膨らみ続ける。
それなのに、日本はインフレにならず、株価の暴落も起きていない。歴代の自民党政権が自転車操業のような手法を編み出し、駆使してきたからだ。
その典型が安倍晋三政権である。国の借金である国債を銀行の元締めの日本銀行に引き受けさせ、どんどん買わせた。紙幣を発行する中央銀行が国債を買い付けることなど、かつては「決してやってはいけない」とされていたが、平気でそれを続けた。
安倍政権は、株価を吊り上げるための手立ても講じた。日本の厚生年金と国民年金の資金は、「年金積立金管理運用独立行政法人」(GPIF)が運用している。その運用資産は2020年度末で186兆円もあり、世界最大の機関投資家だ。図6に見るように、GPIFは発足時の2006年時点では、主にリスクの小さい国内の債券を買って運用していた。年金制度を支える積立金が目減りしたら大変なことになるからだ。
ところが、安倍政権の下でGPIFはリスクの高い内外の株式や外国債券の割合を大幅に増やしていった。2020年4月の時点では運用先は4分の1ずつ。リスクの高い株式市場に資金をジャブジャブ注ぎ込んだのである。
それは「ギャンブル」のような運用だ。図7が示しているように、2008年のリーマンショックで9兆円もの赤字を出したかと思えば、景気が上向いた2014年には15兆円の黒字になった。何とも危うい運用だ。
年金を管轄する厚生労働省やGPIFは「カナダやノルウェーの年金の株式運用の割合はもっと高い」と説明する。だが、アメリカ最大の公的年金の運用機関である社会保障信託基金(OASDI)が米国債しか買わないことには触れない。ドイツやイギリス、フランスの年金制度は「原則として徴収した資金で年金をまかなう」という堅実なもので、そもそも巨額の積立金を持っていない。それも説明しない。
要するに、年金の積み立てと運用という面でも、日本は極めてリスクの高いことをしている「突出した国家」なのだ。「アベノミクスの3本の矢、成長戦略の一環」などという声に踊らされて株式投資の割合を増やし続け、リスクは極大化した、と言わなければならない。
株価がどう動くかは誰にも予想できない。暴落すれば、年金の支給そのものに影響が出る恐れがある。政府の膨大な債務とともに、年金積立金の運用も大きなリスク要因である。
「新しい資本主義」を唱えるなら、岸田首相はこうした深刻な問題についても率直に語りかけなければならない。が、まったく触れようとしない。問題に手を付けようとするそぶりも見せない。問題の根があまりにも深くかつ重大なので、怖くて触れることすらできないのかもしれない。
◇ ◇
では、政権交代を叫ぶ立憲民主党はどうか。安倍政権は森友学園問題で公文書を改竄(かいざん)し、加計学園問題や「桜を見る会」をめぐってウソとごまかしを重ねた。立憲民主党は、それによって「政治と行政がゆがめられた」と批判し、「透明で信頼できる政府をつくる」と訴える。「原発に依存せず、自然エネルギー立国を目指す」とも唱えている。このへんまでは、すこぶるまっとうだ。
ところが、国の財政や金融の話になると、この政党は途端に突拍子もないことを言い出す。枝野幸男代表はコロナ禍で落ち込んだ消費を回復させるため、「消費税5%への減税が必要だ」と言い放った。年収1000万円程度までは一時的に「所得税をゼロにする」とも口にした。
消費税を半分の5%にすれば、それだけで10兆円の歳入が吹き飛ぶ。所得税ゼロでも兆円単位の歳入減になる。その手当てをどうすると言うのか。「財源は富裕層や大企業への優遇税制の是正で捻出する」と、もっともらしい公約を掲げているが、そうした措置でいくら捻出できるか、試算を示そうともしない。
かつて政権交代を実現した民主党は、掛け声だけは立派だったが、政策を実行する力量も覚悟もなく自滅した。立憲民主党の公約を聞いていると、その姿と二重写しになる。過去の失敗から教訓をくみ取り、今度こそ有権者の信頼を勝ち取らなければならないのに、そういう謙虚さがみじんも感じられない。立憲民主党の面々も、自民党とは異なる意味で有権者を小馬鹿にしている。
国民民主党はどうか。この政党の公約は、立憲民主党の公約が現実的に思えてしまうほど非現実的だ。コロナ禍から立ち上がるため積極財政に転じ、「今後10年間で150兆円の投資をする」のだという。まず、コロナで傷ついた生活と事業を救済するため50兆円の緊急経済対策を講じる。次に、環境やデジタルなど未来への投資に50兆円。さらに、教育と科学技術予算を倍増させ、「人づくり」に50兆円の投資をするのだという。
こんな公約は「私たちはどの党よりも速やかに国家財政を破綻させ、国を破滅に導いてみせます」と言っているに等しい。党の幹部に経済や財政、金融をまともに考えている人間が1人もいないことを示している。論外と言うしかない。
ひたすら税金のバラマキを訴えるという意味では、「0歳から高校3年生まで全員に一律10万円を支給する」と唱える連立与党の公明党も、消費税を廃止すると言う「れいわ新選組」も同列だ。どちらも「責任をもって未来を語ろうとしない」という点で共通している。
各政党の無責任な公約に堪忍袋の緒が切れたのだろう。財務事務次官の矢野康治(こうじ)氏は、月刊『文藝春秋』の11月号に「このままでは国家財政は破綻する」と題した一文を寄せた。
「これでは古代ローマ帝国のパンとサーカスです。誰が一番景気のいいことを言えるか、他の人が思いつかないような大盤振る舞いができるかを競っているかのようでもあり、かの強大な帝国もバラマキで滅亡したのです」
矢野氏は、前述したような日本の財政の危機的状況を具体的に説明しつつ、「あえて今の日本の状況を喩(たと)えれば、タイタニック号が氷山に向かって突進しているようなものです」と記し、「破滅的な衝突を避けるためには、『不都合な真実』もきちんと直視し、先送りすることなく、最も賢明なやり方で対処していかねばなりません」と訴えている。
森友学園問題で公文書を改竄し、職員を自死にまで追い込みながら誰一人責任を取らなかった財務省のトップがなにを偉そうに、と反発する人もいるかもしれない。
けれども、「国庫の管理をまかされた立場にいる者」として、また「心あるモノ言う犬」として「どんなに叱られても、どんなに搾(しぼ)られても、言うべきことを言わなければならないと思います」と綴った文章には熱を感じる。そして、官僚をここまで追い詰めてしまった日本の政治の貧困を思わないではいられない。
長い文章になってしまった。その他の政党については、寸評するしかない。日本維新の会は主要政党の中では珍しく税金のバラマキを掲げていない。日本社会のどこをどう改革すべきか、現実的な処方箋を示している。が、いかんせん、関西の政党である。ほかの地域の有権者にとってはやはり「遠い存在」だ。
共産党は真面目な政党だが、今さら「共産主義に基づく国家建設」に与(くみ)する気にはなれない。社民党の政策に至っては「大学生の作文か」と言いたくなる。
選択に苦しむ選挙だ。こんなに重苦しい選挙は記憶にない。それでも、私たちは選ばなければならない。「下り坂にさしかかった国」ではあっても、私たちの国にはまだ底力がある。その底力を引き出して、せめてなだらかな坂道にして次の世代に引き継ぎたい。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
≪写真のSource≫
◎岸田文雄首相(HuffPost のサイトから)
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_6153bcace4b05025422bd5e5
≪参考資料&サイト≫
◎NHKウェブ特集「クローズアップ現代が見つめた17年」
https://www.nhk.or.jp/gendai/special/tokusyu01_figure_section.html
◎「日本人は韓国人より給料が38万円も安い!」(DIAMOND online)
https://diamond.jp/articles/-/278127
◎日医総研リサーチエッセイNo.90 「公的年金の運営状況についての考察(補論)」(石尾勝主任研究員)
https://www.jmari.med.or.jp/research/research/wr_712.html
◎「公的年金積立金運用のあり方について:予備的考察」(國枝繁樹)
https://www.zenginkyo.or.jp/fileadmin/res/news/news270918_14.pdf