東北の歴史にひそむ深い闇
画期的なテレビドラマ「北の英雄 アテルイ伝」
*メールマガジン「おおや通信 99」 2013年2月15日
1月から2月にかけて、NHKのBSプレミアムで放送された「北の英雄 アテルイ伝」は画期的なドラマだった。アテルイとは、古代の東北に住み、「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人たちの指導者の名前である。奈良時代から平安時代の初めにかけて、支配地を北へ広げようとした大和朝廷に対し、蝦夷は大規模な反乱を起こした。ドラマは、その史実をベースに展開する。
ハリウッドの西部劇の定番は、勇敢な騎兵隊が野蛮なインディアンと戦い、打ち負かす物語だ。そのハリウッドがインディアンを主役にした映画を作ったようなものだ。蝦夷の英雄を主人公にしたテレビドラマは初めてだろう。
朝日町の小学校スキー記録会。町内にもアイヌ語に由来するとされる地名がある
ドラマの最終回で、桓武天皇は「この国の土地も民もすべて朕(ちん)の手の中にある」と豪語する。征夷大将軍の坂上田村麻呂は投降したアテルイの助命を願うが、天皇はこれを許さず処刑を命じる。斬首の前に、アテルイは田村麻呂に問う。「帝は我等(わあら)をなにゆえ憎む。なにゆえ殺す。同じ人ぞ。同じ人間ぞ」。深い問いである。
そもそも蝦夷とはどういう人たちだったのか。岩手大学の高橋崇(たかし)・元教授は『蝦夷(えみし)』(中公新書)で「彼らはアイヌ人か、あるいは控え目にいってアイヌ語を使う人といってよいだろう」と記した。一方、秋田大学の熊田亮介・副学長は、最近の考古学の成果も踏まえて「東北にはアイヌ系の人たちもいたし、大和政権の支配地から逃れてきた人たちもいた」と、蝦夷=アイヌ説を否定する。蝦夷の実像については諸説あり、いまだに決着がついていない。
大和朝廷と戦った蝦夷の中には捕虜になり、関西や九州、四国に移住させられた人も大勢いた。文献にも、しばしば登場する。彼らはその後どうなったのか。それも歴史の闇の中に埋もれたままである。
アテルイはその闇を照らし、私たちを歴史の深みへと誘(いざな)う。
*2月15日付の朝日新聞山形県版のコラム「学びの庭から」(11)より
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蝦夷(えみし)の実像について詳しいことを知りたい方のために、ミニ解説を試みます。
私の理解では、古代の東北地方に住み、大和朝廷の支配に屈しなかった蝦夷(時に「まつろわぬ民」と表現される)については、主に四つの説があります。
(1)蝦夷=アイヌ説
コラムで引用した元岩手大学教授の高橋崇(たかし)氏が代表的な論者。同氏の著書『蝦夷(えみし)』『蝦夷の末裔』『奥州藤原氏』(いずれも中公新書)の3部作は、この立場に立つもの。とくに、最初の『蝦夷』をお薦めします。
(2)蝦夷=辺民説
秋田大学副学長の熊田(くまた)亮介氏らの説。古代東北にはアイヌ系の人たちと大和朝廷の支配地域から逃れてきた人たち、それ以外の集団などが混住していたと主張する。最近の考古学の発掘調査などを踏まえれば、蝦夷=アイヌ説では説明できないことが多すぎることを根拠にする。参考文献『東北の歴史 再発見』(河出書房新社)。
(3)蝦夷=和人説 蝦夷は辺境に追いやられた大和民族の一部であるとの説。戦前、皇国史観に立つ学者が唱えた。
(4)蝦夷=イエッタ説(これは私が勝手に名付けたものです)
大正から昭和初期にかけて、在野の民俗学研究者、菊池山哉(さんさい)が唱えた。東北の蝦夷はアイヌ系の人たちではなく、北方から日本列島に入ってきたツングース系のイエッタ民族であるとの説。学界からは異端視され、事実上、黙殺された。近年、歴史民俗学研究者の礫川(こいしかわ)全次氏が再評価し、菊池山哉の著作『先住民族と賤民族』や『蝦夷とアイヌ』の復刻版を出しました(どちらも批評社、1995年)。
個人的な感想を記せば(3)は論外、(2)は「いろいろな民族、人間集団がいた。どれが反乱を起こしたのかは分からない」と言っているだけで、学説と言えるのか疑問です。
(1)の蝦夷=アイヌ説が一番自然で説得力があると考えていますが、日本の先住民族が一つであると考える理由はなく、(4)が主張するイエッタ民族など「第2、第3の先住民族」がいて、古代の東北で混住していた可能性は十分にあるのではないか、と考えています。
また、東北の蝦夷論とは別に、(4)の菊池山哉の研究は日本の部落差別のルーツを考えるうえでも再評価されてしかるべきだ、と受けとめています。