飽食の時代の子の切なさ
数万種類の化学物質にさらされて生きる
*メールマガジン「おおや通信 93」2012年11月9日
おばあさんが孫に昔の苦労話を語って聞かせた。
「ばあちゃんが小さい頃は食べる物がなくってねぇ。お腹をすかせて、よく泣いていたよ」
孫は不思議がって、首をかしげながら尋ねたという。
「おばあちゃん、どうしてコンビニに行かなかったの?」
今の子どもたちにとって、食べ物とはお金さえあれば自由に手に入るものである。「ひもじくて泣く」という経験もしたことがない。それは幸せなことなのだが、幸せには不幸が付いて回るのが世の常だ。飽食の時代には、また別の苦しみが待っていた。
大谷小の畑で育てたサトイモで調理師さんに芋煮を作ってもらい、近くの里山で青空給食を楽しんだ
小学校の校長になって驚いたことの一つは、アトピー性皮膚炎をはじめとするアレルギー疾患の多さだった。卵アレルギー、そばアレルギー、パイナップルアレルギー……。自分が子どもの頃には聞いたこともないような病気で苦しんでいる子がたくさんいる。
アトピーの原因については諸説あり、いまだに解明されていない。研究者は自分の専門にこだわりすぎて、迷路に陥ってしまっている印象を受ける。私が「もっとも説得力がある」と感じたのは、高雄病院(京都市)の江部(えべ)康二医師の説明だ。江部氏は、アトピーが昭和30年代から増え始めたことに目を向ける。
経済成長に伴って、農民は農薬をジャブジャブ使うようになった。食品を流通させるために、防腐剤や添加物が惜しみなく投入された。こうした化学物質は、今や全体で数万種類に及ぶ。「もともと人間には自然治癒力があるが、それにも容量がある。それを超えた場合、さまざまな症状となって現れてくるのではないか」と江部氏は説く。
一つひとつの化学物質には使用上の規制がある。しかし、全体を見ている人間はどこにもいない。「健康には直ちに影響はない」という、原発事故の時に聞いた言葉が虚ろに響いてくるのである。
*11月9日付の朝日新聞山形県版のコラム「学びの庭から」(8)
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