「私たちは必ず村に戻ります」
全村避難を強いられた飯舘村村長の述懐
*メールマガジン「おおや通信 103」 2013年3月15日
東京で先月、全国結婚支援セミナーという集いがあった。若者の未婚と晩婚化が深刻な問題になる中で、私たちに何ができるのか。実践例に触れ、話し合った。
このセミナーに、福島県飯舘村の菅野典雄(かんの・のりお)村長が講師として招かれた。原発事故によって家も田畑も放射能で汚染され、全村避難を強いられた村である。菅野村長は「この災害はほかの災害とはまったく違う」と切り出した。「重い軽いで言えば、津波で身内を亡くされたところの方が重い。ですが、少なくともそこではゼロからスタートできる。それに対し、私たちはこれから長い間、汚染ゼロに向かって生きていかなければならないのです」
全国結婚支援セミナーで福島県飯舘村の実情を語る菅野典雄村長(中央)
被災した人たちの心についても語った。「ほかの災害では、再建に向かってみんなで結束できる。でも、放射能災害では、みんなの心が分断されるのです。年寄りと小さな子を持つ親では対処の仕方が違う。同じ村内でも、放射線量の高い人と低い人では賠償額が異なる。分断の連続なのです」
道は遠く、険しい。けれども、菅野村長は「私たちは必ず村に戻ります。そして、先人から受け継いだものを次の世代に引き継ぎたい」と言うのだった。
あの大震災から2年。津波の傷も癒えず、原発の事故処理のめども立たないのに、円安と株高に浮かれる人たちがいる。その中に、原発政策を推進し、「日本では過酷事故など起こり得ない」とうそぶいていた人たちがいる。懲りない面々と言うべきか。いつの間にか、この国は若者が汗を流しても報われることの少ない国になってしまった。長じても、結婚と子育てをためらう社会になってしまった。
どこを変えなければならないのか。何をなすべきなのか。小学校の校長をしながら考えてきた。今月末に定年退職し、4月からは山形大学で教壇に立つ。キャンパスでも同じことを問い続けたい。
*3月15日付の朝日新聞山形県版のコラム「学びの庭から」(12)より。写真は紙面とは異なります。4月以降は大学のキャンパスのあれこれを、月に1回のコラムでお届けする予定です。