泣いて覚えることもある
*メールマガジン「おおや通信 86」 2012年7月13日
今の子どもたちにとって、炎とは「青いもの」である。スイッチをひねれば、青いガスの炎が勢いよく噴き出してくる。長い間、人間が使いこなしてきたのは赤い炎なのだが、今やそれを目にする機会はめったにない。学校教育で「赤い炎」を教えなければならない時代になった。
宿泊学習では、みんなでドラム缶風呂に入ります。子どもたちに大人気です
大谷小学校では、それを朝日少年自然の家(大江町)での宿泊学習で教えている。野外での2泊3日のテント生活である。
「火の焚き方も、調理の仕方も一切、教えないでください」
テントを張り終わって間もなく、私は6年担任の教師から、くぎを刺された。「それでは、まともに煮炊きできないんじゃないの」と心配する校長に、この教師は涼しい顔で言い放った。
「いいんです。失敗して、泣いて覚えればいいんです」
1日目の夕食はカレーライス。案の定、子どもたちはまともに火を焚くことができない。かまどにドテッと薪を置き、その上に古新聞をかぶせて火をつけている。これでは燃え上がるわけがない。それでも容赦なく、夕食の時間になる。ポロポロのご飯と生煮えの「カレースープ」を口にして、泣いている子もいた。
翌朝から、おいしいものを食べたい一心で、みんなが火の焚き方を必死になって覚えようとする。そうやって、3日目にはどの班でも、ちゃんとご飯を炊けるようになった。
テント場のわきのトイレは汲み取り式である。水洗トイレしか知らない子の中には「できない」と泣きベソをかく子もいる。ここでも、子どもたちは泣きながら学ぶのだ。あらゆる動物は、食べなければ生きていけない。同時に、排泄しなければ苦しみ、やがては死んでしまうことを。
保護者からは「水洗トイレにしてほしい」といった声も寄せられるという。そんな声に屈してはならない。世の中には「親の気持ち」より大切なこともある。
*7月13日付の朝日新聞山形県版のコラム「学びの庭から」(4)