午前11時半のサイレン
*メールマガジン「小白川通信 7」 2013年10月5日
山形県の内陸部にある私の故郷の朝日町では毎日、午前11時半になるとサイレンが鳴り響く。今では「もうすぐお昼ですよ」くらいの意味しかないのだが、かつてはもっと大きな役割を担っていた。
新潟県境に近い、山あいの町である。農民は山に入って杉林の下草を刈り、山腹の畑で作物を作っていた。小さな湧き水を頼りに棚田で稲作をしている農家もあった。腕時計などない時代、農民はこのサイレンで昼近くになったことを知り、山から下りて家に戻り、昼食を摂っていた。多くの村人が自宅から歩いて30分ほどかかる山の中で仕事をしていたのである。
棚田では稲刈りが終わり、脱穀が始まっている=山形県山辺町大蕨で(10月5日)
経済成長が終わり、農業の担い手が減るに従って、まず山仕事が続けられなくなり、山の中の畑や田んぼが放棄された。それでも、村人たちは里山のふもとにある田んぼだけは何とか耕作し続けた。数百年にわたって人々はコメによって命をつないできた。先祖伝来の田んぼは「命」そのものだったからだ。その命も全部は守れなくなり、休耕田があばたのように広がり続けているのが今の農村の姿である。
その後、みんな腕時計を付けるようになった。農作業の多くも自宅近くの田んぼか果樹園になった。午前11時半にサイレンを鳴らす必要はもうないのだが、まだサイレンを鳴らしている。朝日町だけでなく、近隣の町でも続けているところがある。サイレンの音は変わらないのだが、かつては活力に満ちていた音が今ではやけに寂しげに聞こえる。
里山を歩き回るたびに、「もったいないなぁ」としみじみ思う。広大な山々が利用されることなく荒れ果て、山の中の畑と田んぼの多くは原野に戻ってしまった。福島での原発事故の後、人々が暮らしていた町や住宅地、田んぼが雑草だらけになっている風景が映し出され、都会の人は驚いているが、日本の農村の山はかなり前から同じような状態になっていた。全国あまねく、そんな風になったので、誰も気にしなかっただけだ。
4年前に新聞社を早期退職して故郷に戻ってから、ずっと「この里山をなんとか活用できないものか」と思ってきた。そして最近、同じような思いを抱いている人が大勢いて、「里山を基盤に暮らしを立て直す試み」を始めていることを知った。日本総合研究所の藻谷(もたに)浩介氏とNHK広島取材班の共著『里山資本主義』(角川ONEテーマ21)に教えられた。この本はもちろん、「農村での自給自足を旨としていた昔に帰れ」などと呼びかけているわけではない。その訴えはもっと深い。
商人が財を蓄えて経済を引っ張る商業資本の時代から産業革命による工業化を経て、資本主義は「カネがカネを生むマネーの時代」に入って久しい。その最先端を走っているのがアメリカの資本主義である。1%の金持ちが多くの富を集め、普通の人との極端な「富の分配の格差」をなんとも思わない。それどころか、「才覚のある人間が多くの報酬を受け取るのは当然のこと。それを非難するのはただのやっかみ」と公言してはばからない。「世界経済はアメリカの基準によって再編されるべきだ」とも唱えている。社会と経済のグローバル化は避けがたい流れなのだろうが、それがこういう人たちの論理と基準で推し進められてはたまらない。
「そんな資本主義でいいのか」と問いかけ、里山を生活の基盤とする新しい生き方を提示しているのがこの本だ。都会で猛烈社員として働いていた若者が退社して山口県の周防(すおう)大島に移って無添加のジャムを作る店を出し、繁盛している。規格外として都会に出荷できなかった柑橘類も活用しているところがミソだ。
中国山地の山あいにある岡山県真庭(まにわ)市では、建築材を作るメーカーが製材の際に出る木くずをペレット(円柱状に小さく固めたもの)にして燃やし、発電や暖房に使うビジネスモデルを確立した。工場で使う電力をすべて賄えるようになり、地元の役場や小学校の暖房もボイラーでこのペレットを燃やして行う。エネルギー源を外国に頼る必要がなくなり、そのほとんどを地元にあるもので賄えるようになった。広大な山林を背負っており、持続可能な範囲で山の資源を使っているので、枯渇するおそれもない。
広島県の庄原(しょうばら)市には、ペレットに加工するなどという難しいことをしなくても、薪を効率良く燃やす「エコストーブ」を開発することで燃料費を大幅に減らすことに成功した人たちがいる。彼らはこれを「笑エネ」と呼び、年寄りは「高齢者」ではなく「光齢者」なのだと言う。与えられた条件の中で、明るく、前向きに生きる。
実は、こうした試みをずっと前から国家ぐるみで展開している国がある。オーストリアである。本では、その実情も紹介している。欧州の真ん中で何度も戦争の惨禍をくぐり抜けてきたこの国は、エネルギーを外国に頼る危うさを自覚し、原子力発電のリスクを認識して、国内に豊富にある木材資源を最大限に活用する道を選んだ。国レベルでも実行可能な選択肢なのである。
エコノミストの藻谷氏は「経済全体を里山資本主義に転換しよう」などという非現実的なことを唱えているわけではない。社会を「マネー資本主義」一色に染め上げるのではなく、こうした「里山資本主義」もサブシステムとして採用し、強欲な資本主義にのめり込むのを防ぐバランサーとして広げていこう、と呼びかけているのだ。実に説得力のある主張である。
先のメールマガジンでお伝えしたように、山形大学と留学生の交換協定を結んでいる米コロラド州立大学と話し合うために9月下旬にコロラド州のフォートコリンズを訪れた。そこでも、この里山資本主義と重なるような企業活動が始まっていた。
同州の「モーニング・フレッシュ乳業」という会社は、無農薬の牧草で育て、成長ホルモン剤などを一切使わないで飼育している乳牛から搾乳し、それを戸別配達している。有機農業の酪農版である。別の企業は紙コップをリサイクル資源で作り、「小さな選択が社会を変える」と呼びかけていた。地元の企業とコロラド州立大学の研究者たちが手を組み、次々にベンチャーを立ち上げている。マネー資本主義の本家でも「このままでいいのか」と、造反の炎が上がり始めているのだ。
現在の米国スタイルの資本主義を「強欲な資本主義 Greedy Capitalism」とするなら、里山資本主義は「穏やかな資本主義 Green Capitalism」と呼べるのではないか。「グリーン」には「(気候などが)穏やかな」という意味もある。「持続可能で環境にやさしい」というニュアンスも含む。英語のスローガンにするなら、
From Greedy Capitalism to Green Capitalism
といったところだろうか。
こうした営みが大都市の近くではなく、地方、それも過疎と高齢化に苦しむ辺縁の地で始まり、広がりつつあるのはある意味、当然のことであり、この国の希望でもあるような気がする。なぜなら、大都市に住み、アメリカに視線を注ぎながら未来を考えている人たちには自分たちの足許で何が起きているのか、分からなくなっているからである。
2020年の東京五輪開催に血道をあげ、開催が決まったことに浮かれている人たちに言いたい。関東大震災が起きたのは1923年(大正12年)、今から90年前のことである。首都の直下には大きなエネルギーがたまっており、いつ次の大地震が起きてもおかしくない状況にある。東京の防災態勢がまだまだ不十分で、巨額の投資が必要なことについて防災専門家の間で異論はなかろう。東南海、南海地震への備えも膨大な資金を必要とする。貴重な血税は地震や津波に備え、一人でも多くの命を救うためにこそ使われなければならない。お祭りに巨費を投じる余裕が、今、この国にあるのか。
(長岡 昇)
《追伸》文中でご紹介した山口県周防大島のジャムのお店は「瀬戸内ジャムズガーデン」といいます。そのホームページも、すごく楽しそうです。店名のところをクリックして、ぜひご覧になってください。