2003年1月20日付 朝日新聞 社説 


 ただひたすら土を集める。造形作家の栗田宏一さん(40)が修行僧のような仕事を始めてから、もう10年以上がたつ。
 車で全国を回る。持ち帰る土は、いつも一握りだけ。「もっと欲しいと思いだしたら、際限がなくなるから」という。山梨県石和(いさわ)町の自宅で、その土を乾かし、ふるいにかけてサラサラにする。淡い桃色の土、青みを帯びた土、灰白色の土。同じものはひとつとしてない。
 少しずつ色合いの異なる土を細いガラス管に詰めて並べると、長い虹ができる。そうして生まれた作品が「虹色の土」だ。京都の法然院では、庫裏に小さな土盛りを多数配して曼陀羅をつくった。ふだん気にもとめない土が放つ色彩の豊かさに、訪れた人は息をのんだ。
 古い土器のかけらを手にしたり、石ころを集めたりするのが好きな子どもだった。宝石加工の専門学校を出た後、アジアやアフリカを旅した。宿代を含め1日千円で暮らす日々。触れ合う人々は貧しかったが、大地を踏みしめて生きていた。その国々の土をテープではがきにはり付けて、日本の自分の住所に送った。

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撮影:大西 成明  「秘土巡礼」(INAX出版)より


 帰国して見た日本。比較にならないほど便利でぜいたくな暮らしをしているのに、あまり幸せそうには見えない。遺跡発掘の作業員をしながら、焼き物や窯跡を訪ね歩く生活を続け、土の魅力にますます取り込まれていった。
 「土は美しい。それを伝えたい」と栗田さんはいう。
 地球の表面を覆う土の厚さは、平均するとわずか18センチしかない。地上のすべての生き物は、この土の恵みにすがって生きている。だが、私たちはいつしか、そのことを忘れ、被膜のように薄い土や、土の再生に欠かせない生き物を傷めつけてきた。
 栃木県の足尾銅山がその典型だ。明治以来の発展を支えた銅山の鉱毒は、緑に覆われた山々をはげ山に変えてしまった。閉山から30年たつというのに、鉱山跡からは、いまだに鉱毒が流れ出している。
 死んだ山々を生き返らせるために、地元や県内の人々が立ち上がったのは7年前のことだ。足尾に緑を育てる会をつくり、大規模な緑化に乗り出した。足尾の土には亜硫酸ガスが染み込んでいる。苗木を植えても枯れてしまう。緑を取り戻すために、まずよそから生きた土を運び込んでいる。
 育てる会の神山英昭さん(65)は「日光に修学旅行に来た子どもたちが植樹をしていってくれる。足尾は緑化の聖地のようになってきました」と語る。
 土は命の源であり、文明の糧である。土の美しさ、大切さを見つめ直したい。
 繁栄の果てに行き先を見失い、漂い続ける日本。豊かさと引き換えに失ったものの大きさをいま思う。