みなさん、飛び込んでいらっしゃいますよ
集団的自衛権行使へのダイブ
*メールマガジン「小白川通信 14」 2014年7月5日
英国の豪華客船、タイタニック号が初航海で氷山にぶつかって沈没したのは、今から102年前のことです。この船は当時の技術の粋を集めて造られ、不沈船とうたわれていました。氷山との衝突から3時間足らず、救援の船も間に合わないうちに沈んでしまうなどとは誰も考えていなかったのです。このため、救命ボートは乗客乗員の半数の分しかありませんでした。女性と子どもを優先せざるを得ず、男性の多くは船と運命を共にしました。
この悲劇を題材にして、各国の国民性を皮肉るジョークがあります。いくつかのバージョンがありますが、私が聞いた中で一番エスプリが効いていると思ったのは、二十数年前に白井健策氏から聞いたものです。当時、朝日新聞のコラム「天声人語」を執筆していた白井氏は、新入社員の研修会で講演し、こんな風に語りました。
タイタニック号は沈み始めていた。けれども、救命ボートが少なくて、男性の乗客には海に飛び込んでもらうしかなかった。豪華客船の甲板で、クルーは男たちに声をかけて回った。フランス人には、少し離れたところにいる妙齢の女性を指さしながら、耳元でささやいた。「あのお嬢様が飛び込んでいただきたいとおっしゃっています」。フランス人は「ウィ」とうなずき、飛び込んだ。ドイツ人には集まってもらい、号令をかけた。「気をつけ!飛び込め!」。彼らは次々に飛び込んでいった。
アメリカ人には「正義のために飛び込んでください」と頼むだけでよかった。彼は明るく「OK」と返事してダイブした。イギリス人には、慇懃な態度で「紳士の皆様には飛び込んでいただいております」と告げた。彼は黙って飛び込んだ。日本人の番になった。乗組員は彼の耳元に手をかざしながら、小さな声でつぶやいた。「みなさん、飛び込んでいらっしゃいますよ」。周りの様子を見ながら、彼もあわてて飛び込んでいった。
* * *
研修会場はドッと沸きました。でも、会場を包んだ爆笑には、もの悲しさが混じっていた――新入社員のチューター役で参加していた私にはそう感じられました。それぞれの国民性をこんな風に描くのはかなり乱暴なことですが、特徴を見事にすくい取っている面もあります。だからこそ、みな身につまされて、笑いの中にもの悲しさが入り込んでしまったのでしょう。
安倍政権が戦後の歴代内閣の憲法解釈を変え、現在の憲法9条の下でも集団的自衛権を行使することができるとの新解釈を閣議決定しました。「国権の最高機関」である国会での審議もろくにせず、憲法と法律の解釈について最終的な判断を下す立場にある裁判所をも置き去りにして、行政府の長が事実上の憲法改正にも匹敵する判断を下してしまいました。
何のために「三権分立」という大原則があるのか。法の支配を確固たるものにするためには「法的な手続きをきちんと踏むこと」が極めて重要なのに、三権分立も法の支配をも蹴散らしての閣議決定です。一国の首相が憲法をないがしろにし、憲法の柱である大原則を踏みにじっても恬(てん)として恥じない。なのに、たいした騒動にもならず、野党から大きな抵抗も受けない――国外の人たちの目には、何とも不思議な光景に映っていることでしょう。
古巣の朝日新聞は、安倍首相の解釈改憲を阻止しようと、大キャンペーンを繰り広げました。大げさに言えば、死にもの狂いの紙面展開をしています。けれども、私にはその主張がひどく虚ろに響いて聞こえます。「安倍政権は憲法を自分たちの都合のいいように解釈している」と非難していますが、実は朝日新聞もまた長い間、自分たちに都合のいいように憲法を解釈し、それを擁護し続けてきたではないか、と思うからです。
焦点の憲法9条は戦争放棄をうたった第1項に続いて、第2項で「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しています。しかし、日本は朝鮮戦争をきっかけに再軍備に踏み切り(というより占領軍にそうするように命じられて再軍備し)、着々と軍備を増強して今日に至っています。日本の自衛隊はアジア有数の戦力を保持しています。いろいろと言い繕う人もいますが、素直に見れば、どう考えても自衛隊は軍隊であり、その保持している力は戦力です。この矛盾を解消するためには憲法を改正するか、自衛隊は違憲だとして解散させるか、どちらかしかありません。
今の日本で「自衛隊は違憲だから解散させるべきだ」と考える人は、ほんの一握りでしょう。私も「自衛隊は戦後の日本社会でしかるべき役割を果たしてきた」と受けとめています。解散など論外です。従って、矛盾を解消するためには憲法を改正して、自衛隊をきちんと位置づけるしかないと考えています。それほど多くの文言を入れる必要はありません。憲法第9条の第2項を「陸海空軍その他の戦力は、必要最小限度の戦力を除いて、これを保持しない」と改正すれば足りるし、それで十分なのです。あの戦争が終わって、間もなく70年。ほかの部分も、時代にそぐわなくなったところは素直に改正すればいいのです。
そのうえで、「では必要最小限度の戦力をどこまで行使するのか」「個別的自衛権に限るのか、集団的自衛権の行使まで広げるのか」を議論すればいいのです(私は「集団的自衛権を行使する必要などない」と考えています)。
けれども、朝日新聞は「今の憲法を一字一句変えてはならない」という厳格な護憲派の立場を変えず、維持しています。「自衛隊は自衛のための必要最小限度の武装組織であり、軍隊ではない」という説得力の乏しい論理を展開してきました。その論理に立って「自衛隊は違憲ではない」と主張しています。これもまた、安倍政権とは別の立場からの「解釈改憲」ではないのか。
憲法を都合よく解釈してきた者が、別な風に憲法を都合よく解釈する者を非難する――それが朝日新聞と安倍政権の対立の構図であり、だからこそ、その主張が虚ろに響くのだ、と思うのです。そして、保守派の改憲論と朝日新聞的な護憲論の対立から透けて見えてくるのは、双方とも立派なお題目を唱えてはいるが、どちらも憲法をないがしろにしているという現実ではないのか。
一番哀れなのは、日本国憲法なのかもしれません。言葉を発することができるならば、憲法は小さな声でこうつぶやくのではないか。「みなさん、私をもてあそぶのはもうやめてください。私の肩には、みなさんの未来がかかっているんですよ」
(長岡 昇)