*メールマガジン「小白川通信 34」 2015年12月11日

 長く一緒に暮らしているうちに夫婦は似てくる、と言います。本当にその通りだと思います。毒舌をふるう私と30年余りも暮らしたせいで、かみさんはしばしば、どぎつい表現を口にするようになってしまいました。「こんな女じゃなかったのに」と、不憫に思うこの頃です。

 私は6年前に朝日新聞を早期退職して、夫婦で故郷の山形に戻りました(かみさんも山形出身)。同じ頃、新聞社や通信社を定年前に退職して郷里で暮らし始めた記者仲間が何人かいました。転勤生活の末に、ようやく東京で落ち着いた暮らしができるようになったと喜んでいたかみさんは憤懣やるかたなく、「男どもはみんな、ホッチャレか」と毒づきました。ホッチャレは北海道の方言で、生まれ育った川に戻って産卵や放精を終え、ヨレヨレになった鮭のことを言います。「なるほど、うまい例えだなぁ」と思う半面、「ホッチャレはほどなく死んでしまう。俺たちも似たようなものと言うのか」と、いささかムッとした覚えがあります。

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馬毛島で草をはむニホンジカの固有亜種「マゲシカ」。遠景は種子島

 私の「ホッチャレ仲間」に、鹿児島県・種子島出身の八板俊輔(やいた・しゅんすけ)さんがいます。駆け出し記者時代、初任地の静岡で一緒に警察回りをした仲です。彼も朝日新聞を早期退職して、生まれ故郷の種子島に戻りました。種子島は鉄砲伝来の地として有名ですが、伝来した鉄砲の複製を試みた刀鍛冶、八板金兵衛とも遠くつながる家系とか。その縁もあって、鉄砲伝来から450年になる1993年にはポルトガルに出張して特集記事を書いています。

 故郷・種子島への思いは深く、その西に浮かぶ小さな島、馬毛島(まげしま)にも忘れがたいものがあったのでしょう。このたび、この小島のことをうたった短歌や写真、島の歴史を織り込んだ著書『馬毛島漂流』(石風社)を出版しました。江戸時代、種子島が飢饉に襲われるたびに、人々の命を救ったのは馬毛島に自生するソテツの実だったといいます。島で暮らすのは、トビウオ漁などをする一握りの漁民だけ。戦後は復員対策も兼ねて開拓農民が入植した時期もあったようですが、経済成長期に入ると、大規模レジャー施設計画や石油備蓄基地構想が持ち上がって土地が買収され、住民はいなくなってしまいました。

 しかし、レジャー施設計画や石油備蓄構想はいずれも頓挫。その後も、自衛隊のレーダー基地や使用済み核燃料の貯蔵施設計画、米空母艦載機の離着陸訓練の候補地といった話が次々に浮上したものの、いずれも実を結ぶことはありませんでした。中央の政治と経済に振り回され、漂い続けて今日に至っています。帰郷した後、八板さんはこの島に何度も足を運び、打ち捨てられた島への思いを綴り、その風景を詠んできました。

 漂流したのは島だけではありません。最後には八板さん自身も海を漂います。種子島から小船に乗り、沖合からカヤックを漕いで馬毛島に上陸したものの、携帯電話をなくして迎えの船を頼むことができなくなりました。食料も水もほぼ尽き、カヤックを漕いで自力で戻るしかない状況。強い潮に流されながら、パドルを漕ぐこと8時間余り。体力が尽きる寸前にようやく種子島の海岸に辿り着きました。最後の章でその顚末をルポ風に書いていますが、大学ボード部での経験がなければ遭難していただろう、と思わせる内容です。

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馬毛島に自生するソテツ。飢饉の時、種子島の人たちの命を救った

 短歌も島の写真も、遭難寸前の漂流記もそれぞれ印象的ですが、私がもっとも惹かれたのは「7300年前の大噴火の話」でした。この本では、九州薩摩半島の南で起きた大噴火は「東西22キロ、南北19キロの巨大なカルデラを残しました」(p121)とサラリと触れているだけですが、私はこの噴火のことを調べずにはいられなくなりました。大学の講義で「縄文時代の遺跡と人口」を取り上げ、「縄文時代の遺跡が北海道と東北に多く、人口も東日本が圧倒的に多いと推定されているのはなぜか」という問題に触れたことがあったからです。

 その理由については、縄文時代には北海道と東北の方が食糧を手に入れやすく、冬を越すのに適した環境だったから、という見方が有力のようです。北方には栗やクルミ、栃の木など貯蔵に適した木の実を付ける落葉広葉樹が多く、秋には鮭、春にはサクラマスが大量に遡上して来るので飢えをしのぐことができた、というわけです。ただ、異論もあり、その一つが「西日本で巨大噴火があったために生活できなくなり、遺跡の多くも埋もれてしまった」という説です。講義では「異論の一つ」として紹介しただけでしたが、もっと詳しく調べざるを得なくなりました。

 巨大噴火と言えば、インドネシアのジャワ島とスマトラ島の間にあるクラカトア火山の大噴火がよく知られています(地元の発音はクラカタウ)。1883年(明治16年)に山体が吹き飛ぶ大爆発を起こし、海に崩れ落ちた山が大津波を引き起こして3万人以上が亡くなった、とされる噴火です。被害は東南アジアに留まりませんでした。天高く舞い上がった火山灰や微粒子は太陽光を遮り、北半球全体の気温を引き下げたとされています。この大噴火を叙事詩のように描いたのが英国の作家サイモン・ウィンチェスターの名著『クラカトアの大噴火』(早川書房)です。読むと恐ろしくなる本です。

 ところが、火山学や地質学の知見を基にした噴火についての本を読むと、過去にはクラカトアの大噴火をはるかにしのぐ超巨大噴火が何度も起きており、日本は「そのリスクが極めて高い国の一つ」であることが分かります。九州だけでも、種子島と馬毛島の西にある「鬼界(きかい)カルデラ」(これが7300年前に噴火した)、薩摩半島と大隅半島にまたがる「阿多(あた)カルデラ」、桜島から霧島にかけての「姶良(あいら)カルデラ」、その北に「加久藤(かくとう)カルデラ」、「阿蘇カルデラ」と連なっています。それぞれ、大昔に超巨大噴火を起こしており、その噴火エネルギーは東日本大震災を引き起こした地震のエネルギーをはるかに上回る、とされています。

 問題は「それがいつ起きるか」です。数万年あるいは数十万年に一度であれば、それほど心配する必要はないのかもしれません。が、46億年という地球の歴史から見れば、数万年も数十万年も「刹那のようなもの」であり、私たちなど「刹那の刹那を生きているだけ」なのかもしれません。明日も1万年後も「刹那のうち」だとすれば、「いつ起きてもおかしくない」と言うこともできます。

 そういう前提に立って書かれた小説が『死都日本』(石黒耀、講談社)です。九州南部で超巨大噴火(破局噴火)が起きて、日本という国家そのものが破滅してしまう物語で、2002年に発売されてベストセラーになりました。この小説では、火山学者が前兆現象を捉え、政府は的確な危機管理をし、九州電力は噴火の前に川内原発から核燃料を取り出す措置を取ります。ですが、その9年後に起きた大震災で、私たちは地震学者が何の警告も発することができず、政府の危機管理もお粗末極まりなく、東京電力も炉心溶融を防ぐことができなかったことを知りました。

 あの大震災のエネルギーをはるかにしのぐような大噴火が起きた時、この国は、そしてこの星はどうなるのか。私たちにできるのは、ただ祈ることだけなのかもしれません。
(長岡 昇)

≪参考文献≫
・『馬毛島漂流』(八板俊輔、石風社)
・『クラカトアの大噴火』(サイモン・ウィンチェスター、早川書房)
・『歴史を変えた火山噴火』(石弘之、刀水書房)
・『死都日本』(石黒耀、講談社)

*写真はいずれも八板俊輔さん撮影