奇妙な国の奇妙な選挙
*メールマガジン「風切通信 6」 2016年6月23日
政治はその国、その社会のありようを映し出す鏡であり、縮図だと言います。だとするなら、私たちの国は自信を失い、目標を定めることもできずに漂い続ける巨大な船なのか。参議院選挙の公示前日、21日に東京・日比谷の日本プレスセンターで開かれた党首討論会をテレビで見ながら、私はそんな惨めな気持ちになりました。
壇上に並んだのは、なんと九つもの政党の党首。政党と党首の名前を覚えるだけでも一苦労です。そのうち、政党の党首と呼ぶにふさわしい器量をそなえた政治家が果たして何人いるのか。こんなに多くては、そもそも討論会として成り立たない。案の定、質問は自民党の総裁である安倍晋三首相に集中し、党首討論会は安倍首相の「実績宣伝の場」と化してしまいました。
2012年末に安倍首相が再登板して以来、低迷していた日本の株価は一時的に持ち直し、雇用情勢も改善されました。「経済を成長軌道に戻した」との主張は、それなりに説得力があるように見えます。けれども、日本の経済は成長軌道に戻ったと言えるのか。そもそも、経済を成長させることが最優先されるべき時代なのか。そういった根本的なことがあまり論じられていないのではないか。重要な指標とされる株価ですら、再び動きが怪しげになりつつあります。
経済に疎い私ですら、安倍政権が打ち出した政策には「こんなことをして大丈夫なのか」と心配になります。日本政府の財政はだいぶ前から借金頼みで、大量の国債を発行していますが、安倍政権下で日本銀行はその国債の買い入れに踏み切りました。中央銀行である日銀が国債を買うことは長年、「タブー」とされてきたはずです。そのタブーを破ったのです。紙幣の発行権限を持つ日銀が国債を引き受け、支払いは紙幣を増刷してまかなう。それによって、意図的にインフレに持っていってデフレから脱却するのだ、と説明されました。
けれども、タブーにはそれなりの理由があったはずです。日銀がそんなことをしたら、財政規律が保てなくなるから禁じ手とされていたはずです。「デフレ脱却のための異次元金融緩和」などという謳い文句で「財政規律」を放り出していいのか。「収入の範囲で金を使って暮らしていく」という規律を踏み外せば、待っているのは破産、というのは子どもでも分かる道理です。「自分たちの目の黒いうちは大丈夫。地獄の訪れはずっと先」と、政治家も官僚も高をくくっているのではないか。
厚生年金と国民年金を運用している「年金積立金管理運用独立行政法人」が安倍政権になってから、株式での運用比率を倍増させたのも気になります。年金の積立金はもともと、安全性の高い国内債券を中心に運用してきました。東洋経済オンラインの解説記事によれば、2014年10月の資産構成は国内債券60%、国内株式12%、外国債券11%、外国株式12%でした。それを国内債券38%、国内株式23%、外国債券14%、外国株式23%と劇的に変えたのです。株価が上がれば、資産は増えますが、下がれば減ります。きわめて危うい運用です。
年金積立金の運用変更は、国内の株価を吊り上げるため、と批判されています。これも、「取りあえず、景気が持ち直したと装うことができればいい」という態度の現れではないのか。「下々の者たちの積立金など、どうなろうと構いはしない」とうそぶく声が聞こえてきそうです。この運用変更は厚生年金と国民年金の積立金を対象にしたものです。議員年金や公務員の共済年金の積立金の運用は別途行っているとか。そちらの運用比率と資産構成もぜひ知りたいところです。
憲法改正や安全保障の問題についても、安倍政権が推し進めようとすることには危惧の念を覚えます。けれども、「ならば民進党に期待できるのか」と切り返されると、「できないよね」と答えるしかありません。2009年からの民主党政権下で何があったのか。マニフェストにはきれいごとをたくさん並べたのにほとんど実行できず、2011年の東日本大震災では惨め極まりない姿をさらけ出しました。名前を民主党から民進党に変えてみたところで、その「甘ちゃん体質」と「寄り合い所帯ぶり」は変わりようがないでしょう。
だったら共産党か。まさか。共産主義に基づく国づくりがどのようなものか。私たちはそれを嫌というほど見聞きしてきました。先進国で共産党と名乗る政党があるのは日本だけです。戦前、戦後のいきさつもあって生き延びてきた政党に未来を託すことなど、できるはずもありません。創価学会に無縁の身には公明党も遠い存在。「生活の党云々」を率いる小沢一郎氏は、福島原発事故が起きた時に被災地に行くどころか、東京から逃げ出す算段をしていたというから論外。社民党は「まだ居たの?」という感じ。あとの3党は失礼ながら割愛させていただきます。
一つの選挙区から複数の議員を選ぶ中選挙区制から「1選挙区1議員」の小選挙区制に変えたのは、二大政党制を実現するためだったはずです。なのに、政党の数は昔より増え、党首討論会すら実質的に成り立たないような国になってしまった日本。民族も宗教も多様なアメリカやイギリスで二大政党制が機能し、政権交代が実現しているのに、民族も宗教も比較的均質な日本で、なぜこんなに政党が乱立するのか。外から見れば、「なんとも奇妙な国」と見えることでしょう。
海を隔てたすぐそこに歴史的にも稀な「独裁国家」があり、核兵器と弾道ミサイルの開発に血道をあげているのに、まともな安全保障論議もなされない。安保関連法の問題を憲法との関連のみで論じるのは不毛です。憲法との整合性が図れないなら、憲法の改正も視野に入れて、現実を踏まえた安全保障の論議をすべきでしょう。選挙戦で経済政策や財政運営、安全保障問題がまともに語られない奇妙な国。なのに、選択肢だけはやたらにたくさんある、奇妙な選挙。ぼやいてみても、投票日は確実にやって来ます。取りあえずは「ひどさが一番少なそうな候補」に一票を投じるしかないのかもしれません。
≪参考サイト≫
◎ 東洋経済オンライン(「年金運用で巨額評価損」という不都合な真実)
http://toyokeizai.net/articles/-/113102
◎年金積立金管理運営独立行政法人の公式サイト
http://www.gpif.go.jp/gpif/mechanism.html
≪写真説明とSource≫
◎9党の党首討論会(毎日新聞の公式サイトから)
http://mainichi.jp/senkyo/articles/20160622/ddm/010/010/029000c