最上川の源流で8月の紅葉を見た
*メールマガジン「風切通信 10」 2016年8月14日
最上川をカヌーで下る地域おこしを始めた時から、「いつか最上川の源流を訪ねてみたい」と思っていました。なかなか機会がなかったのですが、最上川の源流部に「秘湯中の秘湯」があると知り、思い切って車で行ってきました。福島県境に近い米沢市の大平(おおだいら)温泉というところです。
この大平温泉には、宿は1軒しかありません。米沢の市街地を抜け、車で山道をたどって40分ほど。尾根に駐車場があり、そこに車を停めて、あとは徒歩で渓流に下りていきます。急な坂道を20分ほど歩くと吊り橋があり、その先に目指す「滝見屋」がありました。玄関先に掲げられた由緒書には「貞観2年(西暦860年)、清和天皇の御宇(ぎょう)に修行僧によって発見された」と記してありました。江戸時代には湯治客用の宿があったといいますから、とても古い温泉宿です。
雪深いところです。11月上旬から4月下旬までは雪に埋もれるので、営業できません。宿のスタッフの今井正良さんによると、4月の初めから再開の準備を始めるのですが、その時期でも積雪が2メートルほどあるそうです。雪の重みで吊り橋が壊れてしまう恐れがあるので、晩秋に吊り橋の床板を外しておくのだとか。厳冬期の積雪は5メートルを超えるでしょう。
その吊り橋を覆うようにモミジの枝が伸びていました。なんと、8月の上旬というのに、その一部が早くも朱に染まっていました。8月の紅葉を見たのは生まれて初めてです。「日本で一番紅葉が早い」とされる北海道大雪山の温泉宿でも、色づき始めるのは9月上旬ですから、最初はわが目を疑いました。宿の標高は1000メートルほど。渓流を流れる冷たい水が木々の冬支度を早めているのかもしれません。
宿には電線も電話線も来ていません。自家発電で明かりをとり、衛星電話で外部とつながっています。谷底なのでテレビの電波も届きません。宿の案内書には「快適さを求めるお客様にはほかの宿をお勧めしています」とあり、奥ゆかしい。滝と渓流を眺めながら湯量豊かな露天風呂につかり、ボーッとするには最適の宿です。だだし、渓流が大きな音を立てて流れていますので、寝つきの悪い人には不向きでしょう。
「よくぞ、この宿を維持してきたものだ」というのが率直な感想です。女将の安部綾子さんにお聞きすると、やはり並大抵の苦労ではありません。秘湯と呼ばれる宿でも、たいていは玄関先まで車を付けることができるので、業者に注文すれば、食材も酒類も車で届けてくれるのですが、この宿は自力で買い出しをして運ぶしかありません。予約も米沢市内の本宅の電話で受け、宿には衛星電話か無線で伝えています。東日本大震災と原発事故の後は、「福島を通って行かなければならないので」と敬遠され、予約は半減したそうです。
それでも続けてこられたのは、代々営んできた宿を大切にしたいという思いと、「支えてくださる方がたくさんいらっしゃるから」と、綾子女将は言います。地元の人たちがスタッフとして支え、常連客は「客が少なくて困ったら電話して。いつでも行くから」と言ってくれる。言うだけでなく、本当にやって来る。大平温泉は本当の秘湯です。本物には、やはり人を惹きつけてやまないものがあるのでしょう。
山道に薄紫色の花が咲いていました。宿の料理を作っている佐藤きよ子さんに尋ねると、「フジバカマ(藤袴)ですよ」と教えてくれました。源氏物語に登場する藤袴がこういう花だと、初めて知りました。山菜料理の腕を磨きながら、きよ子さんは山野草のことも学び続けているのです。訪ねた人の心が安らぎ、和らぐ、すがすがしい宿でした。
≪参考サイトと文献≫
◎大平温泉・滝見屋のサイト
http://takimiya.blogdehp.ne.jp/
◎「日本秘湯(ひとう)を守る会」のサイト
http://www.hitou.or.jp/
◎ガイドブック『日本の秘湯』(日本秘湯を守る会編)
≪写真説明とSource≫
◎吊り橋を覆うモミジの紅葉(8月9日、長岡昇撮影)
◎大平温泉の山道に咲いていたフジバカマ(同)