「日本最後の清流」より「天然の上海ガニ」
*メールマガジン「風切通信 11」 2016年8月25日
マーケティングとは、顧客が本当に求めている商品やサービスを的確につかみ、それを効果的に提供すること。それに沿って考えれば、昨今、日本ではやりの「おもてなしの心」だけでは外国人観光客を呼び込むのは難しい。では、何が必要なのか。人は旅に出て、何に心を揺さぶられるのか。それをすくい取る知恵が求められている――。
そんなことを思ったのは、日本を拠点に中国情報を発信しているジャーナリストの莫邦富(モー・バンフ)さんの話を聞いたからです。伊豆半島でのセミナーに一緒に参加した後、帰りのバスの中で、莫さんからこんな話を聞きました。
「山梨県の観光アドバイザーとして甲府を訪ねたら、どこへ行っても武田信玄と風林火山の話ばかり。日本人にとっては馴染み深い人物と旗印なのでしょうが、中国人の観光客には興味が湧かない。それよりは、山梨側から見る『湖に映える富士山』の方がずっといい。静岡側からの見慣れた富士の姿とも違って、魅力的です。東京から近いことも利点。そこから『週末は山梨にいます』という新しいキャッチフレーズが生まれ、訪れる外国人観光客が大幅に増えたのです」
「高知県に招かれたら、今度はどこへ行っても坂本龍馬。桂浜に行けば、龍馬の銅像。はりまや橋でも龍馬・・・。でも、中国人はそもそも知らないんです、坂本龍馬という人物を。知らない人を何度も紹介されてもつらい。それより、桂浜から眺める雄大な太平洋こそ、中国の人に見せたい。中国大陸には、美しい砂浜の先に大海原が広がるこうした風景はほとんどないんです」
「高知県には『日本最後の清流』と言われる四万十(しまんと)川があります。この川も中国人観光客には興味が湧かない。黄土色した中国の大河に比べれば、日本の川はどこへ行ってもきれいで、あちこちに清流があります。わざわざ高知に行くまでもありません。それよりも、四万十川で獲れる『ツガニ』の方がずっと嬉しい。これは上海ガニの仲間。しかも天然です。日本の秘境で天然の上海ガニを食べる―――これなら、中国から観光客を呼ぶことができます」
「足摺岬もいい観光スポットです。ただし、高知市からバスで3時間もかかって退屈する。『途中に立ち寄るところはないの』と聞いたら、四万十町に廃校を活用したフィギュアの博物館があるという。行ってみたら、山奥にすごい博物館があって、日本人観光客もわんさと押し寄せている。なんだ、あるじゃないの、とびっくりしました」
この博物館は、模型や食品玩具の専門メーカー「海洋堂」(本社・大阪府門真市)が2011年にオープンさせた「海洋堂ホビー館四万十」です。フィギュアファンのみならず、模型好きにとっては「聖地」のような存在なのだとか。海洋堂の創業者が高知県出身という縁もあって建設されたようです。莫邦富さんは「中国でも農村の過疎は深刻な問題の一つです。そういうことに関心のある人にとっても、この博物館は興味深く、人気を集めるはず」と言います。
中国からは毎年、かなりの数の観光客が来日しており、リピーターは「あまり知られていない日本」を知りたがっているようです。キーワードの一つは「秘境」。ただし、四万十川の例に見るように、日本人とは異なる視点が必要です。清流は魅力にならない。「ツガニ(上海ガニ)」や「ホビー館」のようなものが欲しい。いくつか組み合わせて、麻雀で言えば、役を二つも三つも付け加えるような工夫が必要です、と莫さんは言います。
「秘境」ということなら、わが故郷の山形は断然、有利です。莫さんもすでに何度か来たことがあるそうで、「掘り起こせば、中国人観光客を惹きつけられそうな観光スポットがいくつも見つかりそうですね」と乗り気でした。ところが、私が「蔵王の樹氷なんかどうでしょう?」と水を向けると、莫さんは言下に「あれは駄目です」とのご託宣。「つらい体験を思い出すから」と言うのです。
莫さんは、私と同じ1953年の生まれ。上海生まれの都会っ子です。この世代は文化大革命の真っただ中で青春を迎え、その嵐に翻弄された人たちです。文革中、都市部の若者を農村に送り込む、いわゆる「下放(かほう)運動」が大々的に展開されました。労農の団結という革命思想を叩き込むため、とされました。莫さんは中国東北部の黒竜江省の農村で若き日々を送ったのです。
「あの厳しい寒さは忘れられない。氷点下の蔵王に樹氷を見に行く気には、とてもなれません」と、莫さんは言うのです。なるほど、外国から観光客を誘致するためには、そういう歴史にも目配りしなければならないのか。マーケティングと一口に言うけれど、やはりどの世界も奥が深く、難しい。
≪参考サイト≫
◎土佐のツガニについて(「旬どき・うまいもの自慢会・土佐」のサイト)
http://tosa-no-umaimono.cocolog-nifty.com/blog/2006/10/post_57c9.html
◎四万十町のフィギュア博物館「海洋堂ホビー館四万十」
http://buzzap.jp/news/20150301-kaiyodo-hobby-kan-shimanto/
◎莫邦富さんの公式サイト
http://www.mo-office.jp/
≪写真説明とSource≫
◎四万十川でのシラスウナギ漁(「ファインド トラベル」のサイト)
http://find-travel.jp/article/38544
◎土佐のツガニ(札幌を刺激するウェブマガジン「sappoko」から)
http://sappoko.com/archives/18899