否定と創造の文化、諦観と継承の文化
*メールマガジン「風切通信 18」 2016年11月7日
絵画も陶磁器も、素人の私には正直言ってその価値や良さはよく分かりません。ただ、眺めるのは好きで、時折、強く惹きつけられ、心を揺さぶられることがあります。3年前、鹿児島県の薩摩焼の窯元(かまもと)、十五代沈壽官(ちん・じゅかん)さんの作品に初めて接した時もそうでした。象牙細工のような繊細な陶磁器を見て、「なんて美しく優雅なのだろう」と感じ入りました。
この時に沈壽官さんから、薩摩焼の歴史についてもお聞きしました。16世紀末、豊臣秀吉が朝鮮半島に2度にわたって出兵した際、諸藩の武将は撤収時に朝鮮半島の陶工や木綿職人、測量技師といった人たちを一種の戦利品として多数、日本に連れ帰りました。その数は5万人とも言われ、彼の先祖もその一人だったのです。彼らは先進技術を持つ者として厚く遇され、陶工たちは各地で窯を立ち上げました。薩摩焼だけでなく、有田焼や加賀焼、萩焼もこの時代に始まったとのことでした。
その沈壽官さんがこの秋、盛岡市の百貨店「川徳」で個展を開くというので、盛岡を訪ねました。10月25日まで開かれた個展は大変なにぎわいで、ギャラリートークの際には椅子が足りなくなり、主催者側があわてて追加していました。彼のトークがまた味わい深かった。韓国にルーツを持ち、日本に根を下ろして生きてきた者として、沈壽官さんは両国の文化について、こんな話をしました。
「韓国の古い陶磁器としては、高麗時代の青磁があります。ところが、14世紀末に李氏朝鮮が成立すると、それまでの青磁は打ち捨てられ、以後は白磁一色になりました。それまでのものを否定して、新しいものを創っていく。否定と創造の文化です。日本はまるで異なります。自然災害から逃れられない社会だからでしょうか。日本人の心には無常観が染み込んでいます。そして、連綿として受け継いできたものを大切にして、それをより良いものにしていく。諦観と継承の文化と言っていいのではないでしょうか」
興味深い文化論でした。そして、これと重なるような話を私の故郷、山形県朝日町のリンゴ農園経営者、崔鍾八(ちぇ・じょんぱる)さんから聞いたことを思い出しました。崔さんは、2018年に冬季五輪が開かれる韓国・平昌(ピョンチャン)生まれの46歳。23歳の時に日本に留学し、仙台の農業短期大学で学んでいる時に朝日町の「清野りんご園」の跡取り娘と知り合って結婚、リンゴ栽培専業の共同経営者として暮らしています。
崔さんはカヌーが趣味で、私が主宰する地域おこしのNPO「ブナの森」のメンバーです。毎年夏に最上川の急流をカヌーで下るイベントを開催しており、その準備のために一緒に河川敷の草刈りをしたりしています。そうした作業をしながら、いろいろな話をするのですが、ある時、崔さんから韓国の言語事情について、こんな話を聞きました。
「韓国では漢字をほとんど教えていない。義務教育を終えた段階だと、自分の名前を漢字でやっと書ける程度です。それではいけない、と思ったのは日本に来てからです。例えば、学期末の試験のことを韓国語で『キマル・ゴサ』と言います。私は、ハングルで書かれたものを『音』として覚えて使っていましたが、日本に来て、それが『期末考査』のことだと初めて知りました。こうした日本語由来の言葉が韓国にはたくさんある。なのに、漢字を教えないので、そもそもの意味が分からないまま使っている。だから、言葉に深みがないのです」
日本も韓国も、大昔に中国の漢字を導入して長い間使ってきました。日本はその漢字を崩して平仮名と片仮名を生み出しましたが、漢字もそのまま使い続けました。一方の韓国は、15世紀に漢字とは関係なく「ハングル文字」を生み出し、その後、歴史的な経緯もあって漢字を締め出して今日に至っています。現在の両国の言語状況もまた「否定と創造」、「諦観と継承」の一例のように思えてきます。
歴代政権のトップが追いつめられ、断罪される韓国。一時は野に下ったものの自民党が息を吹き返し、権力を握り続ける日本。これも「否定と創造」、「諦観と継承」の一例かもしれません。
≪参考サイト≫
◎薩摩焼・十五代沈壽官の公式サイト
http://www.chin-jukan.co.jp/
◎清野りんご園(山形県朝日町)の公式サイト
http://www.47club.jp/07M-000037sre
≪写真説明とSource≫
◎十五代沈壽官の薩摩籠目総透筒型香爐
http://www.chin-jukan.co.jp/museumPreview.php?num=32&TB_iframe=true&width=520&height=500