*メールマガジン「風切通信 19」 2016年11月10日

 後世の歴史家は、ヒラリー・クリントン氏が敗れ、ドナルド・トランプ氏が勝った今回のアメリカ大統領選挙をどのように位置づけるのでしょうか。幾人かは「長かったアメリカの世紀が終わったことを世界に向けて告げた選挙」と記すのではないか。

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 メディアの多くは「大方の予想を覆してトランプ氏が勝利した」と伝えました。けれども、この表現には違和感を覚えます。確かに、米国内ではニューヨーク・タイムズをはじめとする多くの新聞が「クリントン支持」を打ち出し、各種の世論調査でも「クリントン優位」という結果が出ていました。が、世論調査での両候補の支持率の差はごくわずかでした。その差1ポイント台というのもありました。

 新聞記者時代に実際に何度か世論調査を担当した経験で言えば、1、2ポイントの差は「誤差の範囲内」です。それは「情勢は混沌としていて判断不能」と言うしかない調査結果です。もともと、投票箱を開けてみなければ何とも言えない情勢だったのであり、今回の場合、「予想を覆して」という決まり文句を使うのは適切ではない。そういう表現を使う記者の胸には「私たちメディアの期待に反して」という思いが潜んでいるのではないか。

 トランプ氏の主要な支持者は「アメリカ社会のエスタブリッシュメント(既得権層)に強い不満を抱く低所得の白人層」とされています。彼らにとって、ニューヨーク・タイムズなど主要なメディアは「既得権層」そのものであり、「世論調査などクソくらえ」と思って胸の内を明かさない有権者も多かったのではないか。トランプ氏が勝ったのは、そうした心理が強く働いたことを示唆しています。

 トランプ氏が大統領になったら、どんな政治をするのか。私も心配です。日本や韓国がアメリカの「核の傘」で守られていることを批判し、日韓の核保有まで容認するかのような発言を聞くと、「とんでもない人物がトップになってしまった」と思います。が、同時に「アメリカ国内にはトランプ氏のように考えている人がたくさんいるのだ」という現実をあらためて突きつけられた気もします。

 未来に希望があれば、人は理想や夢を追い求めます。希望が見えず、不満の種をためこめば、どうなるか。「昔は良かった」と思い出に浸り、古き良き時代を壊したものを攻撃することで溜飲を下げようとします。彼らは「アメリカの世紀が終わった」ことを認めたくないのです。トランプ氏は「再び偉大なアメリカに」というスローガンを掲げて、彼らの不満をすくい取ることに成功しました。しかし、歴史は冷厳です。「偉大なアメリカ」が同じような形で戻ってくることは決してないのです。

 20世紀は「戦争と革命の世紀」であり、「アメリカの世紀」でした。それまで「世界の覇者」として君臨していた大英帝国は、第一次世界大戦で疲労困憊し、第二次世界大戦で破産寸前に追い込まれました。戦後、英国は戦争中に発行した公債の返済に追われ、広大な植民地も次々に独立し、失いました。大英帝国の栄華が戻ってくることはありませんでした。

 アメリカはどちらの大戦でも、真珠湾や植民地フィリピンが戦火にさらされたことを除けば、国土が戦場になることはありませんでした。戦後、サウジアラビアをはじめとする湾岸諸国で石油利権を手にしたのもアメリカでした。政治経済や軍事、科学技術で頂点に立ち、莫大な富が流れ込みました。冷戦時代、まさに「西側の雄」でした。1991年にソ連が崩壊し、冷戦が終わった後は「唯一の超大国」と称されました。このころが栄華のピークと言っていいでしょう。

 栄えれば滅びの芽が育ち始めるのは世の常です。敗戦国の日本とドイツが灰の中から立ち上がり、「もの作り」でアメリカの優位を脅かす。産油国は石油輸出国機構(OPEC)を結成して利権の独占を阻む。中国やインドの台頭も「唯一の超大国」の地位を揺るがし始めました。「慣性の法則」が働きますので、アメリカの優位はもうしばらく続くでしょうが、元の立場に戻ることは考えられません。

 時に小さな逆流や揺り戻しが起きることはあっても、大きな歴史の流れを押しとどめることは誰にもできません。トランプ氏の勝利は、そうした「小さな逆流」の一つでしょう。ただ、アメリカという国家は巨大なので、歴史的に見れば「小さな逆流」ではあっても、日本を含め多くの国には「大きな衝撃波」となって跳ね返ってくるかもしれません。

 21世紀はどんな世紀になるのか。予測は困難ですが、少なくとも「アメリカの世紀」と呼ばれることはないでしょう。多極化、分極化が進むのは避けられません。今はただ、それが流血と戦争に至ることがないように、調整と和解の新しいシステムがつくりだされることを願うしかありません。単に願うだけではなく、そのためにできることを自分の持ち場でコツコツと積み重ねるしかありません。歴史は、より自由で、より公平で、より透明な世界に向かって進んでいる、と信じて。


≪参考文献≫
◎『覇者の驕(おご)り』(上、下)(デイビッド・ハルバースタム、日本放送出版協会)
◎『石油の世紀』(上、下)(ダニエル・ヤーギン、日本放送出版協会)
◎『東西逆転』(クライド・プレストウィッツ、NHK出版)
◎『アメリカ 多数派なき未来』(浅海保、NTT出版)

≪写真説明とSource≫
◎大統領選で当選を決め、ガッツポーズをするトランプ氏=ロイター・共同
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201611/CK2016111002000130.html