インターネットの暗い生い立ち
歌手の藤圭子は1951年、岩手県一関市で生まれた。本名、宇多田純子。若い人には「宇多田ヒカルの母」と言った方がピンと来るかもしれない。
父親は浪曲師、母親は三味線弾きで、東北や北海道を旅して回った。貧しい暮らしだった。泊まる宿がなく、町外れのお堂で夜露をしのいだこともあったという。高校への進学をあきらめ、彼女は一家の暮らしを支えるため歌手になった。
十五 十六 十七と
私の人生 暗かった
過去はどんなに暗くとも
夢は夜ひらく
絞り出すような声で歌う『圭子の夢は夜ひらく』が大ヒットしたのは1970年、18歳の時である。暗い生い立ちと相まって、彼女の歌は人々の心に沁み込んでいった。
藤圭子に登場してもらったのは、コンピューターとインターネットの生い立ちも、実はとても暗いからだ。
今日のコンピューターの原型の一つは、第2次大戦の最中、イギリスによって作られた。戦争に勝つため、イギリスはドイツの暗号「エニグマ」の解読に人材と資金を惜しみなく注ぎ込んだ。ピーク時には、天才数学者アラン・チューリングら1万人の人員が動員され、ドイツの暗号を次々に解読していった。
暗号の解読で決定的な役割を果たしたのが「コロッサス」という電子計算機である(写真参照)。暗号を解読するためには膨大な数の順列組み合わせを解かなければならない。それは、多くの数学者や言語学者がかかりきりになっても、とてつもなく時間がかかる困難な作業だった。「人力では解読不能」とドイツ側は見ていた。その隘路(あいろ)をイギリスは電子計算機を開発して突破したのである。
コロッサスは戦争に勝つうえで極めて重要な役割を果たしたが、その存在は戦後も長い間、秘密にされた。ドイツや日本との戦争の後、イギリスとアメリカはすぐさま、ソ連との冷戦に突入したからだ。冷戦は「全面核戦争」も辞さない、非情な戦いだった。
核兵器を次々に撃ち込まれれば、軍の指揮命令系統はズタズタになる。報復もできなくなる。どうするか。米国防総省は1958年に高等研究計画局(ARPA Advanced Research Projects Agency)を設立し、その対策に着手した。国防総省と重要な基地を分散型のネットワークで結び、核攻撃に備えることにした。
当初、ネットワークの構築に取り組んだのはカリフォルニア大学やスタンフォード研究所、ユタ大学の研究者たちであり、プロジェクトは研究機関の大型コンピューターを結ぶ形で進行した。このため、「インターネットの誕生と核戦略は無関係」と唱える人たちがいる。
だが、国防総省や軍は「学術振興」のために多額の研究費を出したりしない。彼らは戦争に備えるために働いているのであり、その目的は戦争に勝つことである。最初に構築されたネットワークがARPANET(アーパネット)と名付けられたのは、その生い立ちを何よりも雄弁に物語っている。インターネットが米ソ冷戦の中で生まれたことを認めない人たちは、歴史の闇に目を向けようとしない人たちである。
コンピューターもインターネットも、その生い立ちはとても暗い。けれども、軍事的な制約から解き放たれるや、どちらも民需をバネにして飛躍的な発展を遂げた。
イギリスが開発した電子計算機は会議室の壁を埋めるような大きさだったが、いま私たちはそれとは比べようもないほど高性能で小型のスマホ(電子計算機の進化形)を手にしている。初期のインターネットは大型コンピューター同士で短い文章をやり取りするレベルだったが、その後、急激に改良され、経済と社会の仕組みを一変した。コンビニも宅配便も、インターネットが普及して可能になったビジネスだ。
情報技術(IT)の進展は、農業革命や産業革命に次ぐ「第三の革命」と呼ぶにふさわしい変化をもたらし、さらに新しい地平を切り拓きつつある。
いつの世も、革命に抵抗するのは権力を握る者と既得権益層と、相場が決まっている。民間企業は市場経済の波にもまれ、生き抜くためにIT革命に懸命に対応しようとしているが、行政や議会、裁判所はどこの国でもグズグズしている。「対応しなければ立ち行かない」という切迫感がないからだ。
それは「情報公開を渋る」という形で顕著に現れる。自分たちが何をしているのか。それを主権者である国民に説明する責任があるのは自明のことだ。税金の使い方をガラス張りにするのも当たり前のこと。ITを存分に活用すべきだ。なのに、何かと理由を付けて逃れようとする。
この秋、全国市民オンブズマン連絡会議は「2019年 政務活動費 情報公開度ランキング」というのを発表した。都道府県、政令市、中核市ごとに議会の情報公開状況を採点してランク付けしたもので、情報公開の「渋り具合」一覧にもなっている。
採点は?政務活動に使った経費の領収書をインターネットで公開しているか?議員が作る会計帳簿をネットで公開しているか?活動報告書の提出義務付けと公開状況?視察報告書の提出義務付けと公開状況?政務活動費の手引書の公開状況、の5項目について百点満点で行っている(表1)。
表2と表3、表4は一覧表から抜粋して作成した。都道府県別では兵庫県がトップである。でたらめな出張を繰り返し、それが露見するや「号泣会見」をして有名になった野々村竜太郎県議(詐欺罪で有罪、執行猶予中)がいたところだ。2位の奈良県でも、かつて県議の領収書偽造が発覚した。不正があったところが悔い改めた結果、と言える。政令市では静岡市、中核市では函館市が1位だ。
わが故郷、山形県はどうか。県議会は47都道府県中、26位。ここ3年、ずっと20位台だ。「このくらいは公開しておくか」といった風情で、まったくやる気が感じられない。一方、この春めでたく中核市に昇格した山形市は初めてランキングに登場したと思ったら、全国に58ある中核市のうち、なんとワースト3だった。
市民オンブズマン山形県会議は、2005年度分から2007年度分まで山形市議の政務調査費を連続して調べ、住民監査請求をしたうえで返還訴訟を起こした。裁判は、返還請求の対象になった山形市議が請求額の20%を自主的に返納し、議長が「使途基準を明確にして透明性の確保に努める」と約束したため訴えを取り下げる、という経過をたどった。
オンブズマン側はその後、山形県議会議員の政務調査費(2012年、政務活動費に改称)のチェックに力を注いだため、山形市議の分は調べていない。この間、山形市議会は透明度を上げる努力をほとんどしていなかった。
山形市を除く鶴岡、酒田、米沢など県内のすべての市議会は、すでに領収書をインターネットで公開するなど、有権者に対する責任を果たしている。山形市議会だけがオンブズマンとの約束を破り、怠けていたのである。「中核市」の看板が泣く。
オンブズマン山形は比較的穏健なことで知られる。が、ここまでコケにされては黙っているわけにはいかない。というわけで、十数年ぶりに山形市議全員の政務活動費を調べることを決め、10月中旬、領収書など全文書の公開を請求した。市議33人分の文書が6千ページほど開示される見込みだ。きっちり調べ、不適切な支出があれば追及したい。
山形市議会政務活動費条例には「議長は、政務活動費の適正な運用を期すため、その使途の透明性の確保に努める」(第7条)と明記してある。議長はどう考えているのか。
山形市議会は今年4月の選挙で顔ぶれと会派の構成が変わり、30年ぶりに自民党の議長が選出された。その斎藤武弘議長は「「ビリから3番目と聞いて、私もびっくりした。正直言って恥ずかしい」と述べた。そのうえで、「公金を使っているのだから、きちんと説明するのは当然のこと。各会派の意向もうかがいながら、領収書のインターネット公開など、できることから取り組みたい」と語った。
IT革命はこれからさらに進む。30年後、社会はどうなっているのか。予測できる人はほとんどいない。私たちの世代の多くは、もうこの世にいない。それを目撃するのは子の世代、孫の世代である。
いま、私たちにできることは何か。静かに、しかし深いところで進む革命をしっかり受けとめ、為すべきことをきちんと為すことではないか。情報公開制度をより充実したものにして、何が起きているのか、みんなが分かる社会を造っていくことではないのか。未来への扉を広く開けて、次の世代に引き継ぎたい。
*メールマガジン「風切通信 63」 2019年10月30日
*この文章は、月刊『素晴らしい山形』11月に寄稿したものです。
≪写真説明と出典≫
◎歌手、藤圭子(1970年当時、ウェブ論座から)
https://webronza.asahi.com/culture/themes/2913090200003.html
◎イギリスが暗号解読のために開発したコロッサスの復元機(大駒誠一『コンピュータ開発史』から複写)。暗号解読の本部があったブレッチリーパークに保存されている
◎米国防総省(ペンタゴン)。現在は人工知能(AI)の軍事利用に巨額の研究費を投じている(CNNのサイトから)
https://www.cnn.co.jp/tech/35125493.html
≪参考文献&サイト≫ *ウィキペディアのURLは省略
◎藤圭子(ウィキペディア)
◎藤圭子さんの壮絶な生い立ち(女性セブン2013年9月12日号、ライブドアニュースに転載)
https://news.livedoor.com/article/detail/8018068/
◎『悲しき歌姫』(木下英治、イースト・プレス)
◎『コンピュータ開発史』(大駒誠一、共立出版)
◎『暗号の天才』(R・W・クラーク、新潮選書)
◎『暗号解読』(サイモン・シン、新潮社)
◎『ヴェノナ』(ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア、中西輝政監訳、PHP研究所)
◎アラン・チューリング(ウィキペディア)
◎インターネットの歴史(木暮仁のサイト)
http://www.kogures.com/hitoshi/history/internet/index.html
◎インターネットの歴史(ウィキペディア)
◎Who invented the internet?
https://www.history.com/news/who-invented-the-internet
◎A simple history of the Internet
https://intetics.com/blog/a-simple-history-of-the-internet
◎ARPANET(ウィキペディア)
◎政務活動費の情報公開度ランキング(2019年9月、全国市民オンブズマン連絡会議)