日本の新型コロナウイルス対策の失敗は、マスクとPCR検査に見て取れる。安倍晋三首相は「全国民にマスクを配る」と大見得を切って巨費を投じたが、アベノマスクは髪の毛が入っていたり、汚れていたりでトラブル続きだ。いつ届くのか見当もつかない。

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そもそも、国家の一大事に首相が「マスクの配布」に躍起になること自体がおかしい。マスクの確保も確かに大切だが、全体を見渡して、もっと優先しなければならないことがいくつもある。感染しているかどうかを確認するためのPCR検査の拡充もその一つである。

新型コロナウイルスの感染がどのくらい広がっているのか。それを可能な限り正確に把握することは、すべての対策の基本だからだ。人口10万人当たりの検査実施数を見れば、最初から現在まで、日本のPCR検査は主要先進国の中で最低レベルにある。

なぜ、日本のPCR検査の実施数はこんなに少ないのか。メディアはさまざまな分析を試みているが、ズバリと核心をつく報道が少なすぎる。この問題の核心にあるのは、感染症対策の中心になるべき厚生労働省が自らの権益と縄張りにこだわり、政治家も思い切った決断ができなかったことにあるのではないか。

日経新聞の関連グループサイト「日経バイオテク」が2月20日に報じた「新型コロナウイルス、検査体制の拡充が後手に回った裏事情」は、問題の核心に迫った優れた報道の一つだ。PCR検査とはそもそもどのような検査なのか。それを詳しく解説したうえで、厚生労働省が「自前の検査」にこだわった経過を丁寧に報じている。

厚生労働省は国立感染症研究所(感染研)を中心にして、都道府県や政令市の衛生研究所が検査を担う、というこれまでの感染症対策を踏襲した。中国が1月中旬に公表した新型コロナウイルスの遺伝子配列を基にして、感染研は自前の検査方法を開発し、各地の衛生研究所に検査のやり方を伝授した。そのうえで、検査受け付けの窓口を都道府県の保健所に一本化した。

これが「PCR検査の目詰まり」を引き起こし、検査の拡充を阻害する結果を招いた。

世界規模の感染症対策において、PCR検査技術の先頭を走っているのはメガファーマと呼ばれる巨大製薬会社だ。アメリカのファイザー、スイスのノバルティスとロシュがトップスリー。日本の製薬会社はトップテンに1社もなく、武田薬品工業がかろうじて16位に入っているのが現実だ(2015年時点)。

新しい感染症が見つかれば、これらの巨大製薬会社はただちにPCR検査方法の確立と検査キットの開発に走り出す。中でもスイスのロシュが強い。世界保健機関(WHO)がスイスにあり、ロシュはWHOと緊密に連携しながら感染症対策にあたっている。情報の入手も早く、開発に巨費を投じることもできる。

今回も、ロシュはいち早く検査の試薬を開発し、1月末には効率のいい検査装置を製造して売り出した。その後、24時間で4000人分の検体を全自動で解析できる最新式の装置も市場に投入した。欧州各国は速やかにこれらの装置を購入して検査に使い、感染症対策に活かしている。

ところが、前述したように厚生労働省は自前の開発にこだわり、国立感染症研究所に検査手法を開発させ、これを全国に広めようとした。「何でもかんでも外国に依存するわけにはいかない。自前で開発する技術とノウハウを維持し、磨く必要がある」という言い分も理解できないではない。

けれども、それは平時の論理だ。未曾有の事態には「前例にとらわれない決断」をしなければならない。マンパワーの面でも資金面でも、感染研が世界の大手製薬会社に太刀打ちできないのは自明のことだ。自力での検査手法とキットの開発にこだわった結果が「先進国で最低レベルのPCR検査状況」となって現れた、と見るべきだろう。

検査の窓口を都道府県や政令市の保健所一本に絞ったことも、PCR検査の拡充を阻むことになった。これも「前例踏襲」の結果だ。非常時には「前例のない対応」を決断しなければならない。前例や縄張りにこだわらず、大学の医学部、民間の検査会社などあらゆる力を総動員しなければならない。なのに、厚労省はその決断ができず、前例を踏襲した。安倍政権もその壁を突き破ることができなかった。

感染研のスタッフも都道府県の衛生研究所も保健所も、持てる力を最大限に発揮しようとしていることは疑いない。その人たちを責めることはできない。問題は「一生懸命に働いたかどうか」ではない。「世界を見渡して、最善の策は何か」という発想で対処できない、日本の政治家と官僚たちの度量の狭さにある。

感染症対策のように、検査技術や情報技術(IT)の最先端の知見を縦横に活用する必要がある分野で、日本はすでに「二流のレベル」にあるのではないか。そうした自省と自覚がないから、出だしでつまずき、混乱が続いているのだ。

山梨大学の島田真路学長は日本の感染症対策を批判し、「未曾有の事態の今だからこそ、権威にひるまず、権力に盲従しない、真実一路の姿勢がすべての医療者に求められている」と語った(朝日新聞5月6日付)。あまりの惨状に、医学の専門家として黙っていられなくなったのだろう。

こうした批判に対して、頑迷な厚労省官僚や彼らに追随する専門家は「新型コロナウイルスによる死者数を見れば、人口当たりで日本はもっとも少ない国の一つだ。対策は全体としてうまくいっている」と反論するのかもしれない。

確かに、公式に発表された死者だけを基にすれば、日本の感染症対策はうまく行っているようにも見える。が、それは日本の医療の水準の高さと医療関係者の献身的な努力に支えられている面が多いのではないか。

さらに言えば、「新型コロナウイルスによる死者」として公表されているデータそのものについても、今後、精密な解析をしなければならない。PCR検査が進まないせいで、日本では新型コロナウイルスの感染者を正確に把握できていない。「新型コロナが原因なのに無関係」とされた死者がどのくらいいるのか。それを検証しなければ、「死者は少ない」ということも簡単には言えないだろう。

非常事態の日々から日常の暮らしへと徐々に戻っていくためにも、PCR検査の拡充は欠かせない。感染状況と「ぶり返し」の兆候を見極めながら、経済活動の規制を緩め、普通の暮らしへと段階的に戻っていかなければならないからだ。

救いは、大阪府の吉村洋文知事のように政府の指針を待つことなく、独自に自粛の解除に向けた基準を打ち出す動きが出てきたことだ。政府や厚労省が権益や縄張りの壁を乗り越えられないでいるなら、自分たちでその壁を乗り越えるしかない。

それは政府と地方の役割を根本から見直し、新しい形を創り出していくことにつながるだろう。



*メールマガジン「風切通信 74」 2020年5月7日

≪写真説明とSource≫
PCR検査のための検体採取
https://www.recordchina.co.jp/b784821-s0-c10-d0135.html

≪参考サイト&記事≫
◎新型コロナウイルス、検査体制の拡充が後手に回った裏事情(日経バイオテク2020年2月20日)
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/20/02/28/06625/
◎製薬業界の世界ランキング(ビジネスIT 2015年4月21日)
https://www.sbbit.jp/article/cont1/29564
◎新型肺炎「日本の対応」は不備だらけの大問題(上昌広・医療ガバナンス研究所理事長、東洋経済オンライン2020年2月6日)
https://toyokeizai.net/articles/-/329046
◎PCR検査体制、地方から異議(朝日新聞2020年5月6日付)