ウクライナ侵攻 追い詰められた熊が牙をむいた
ロシア軍がウクライナとの国境を越え、新しい戦争を始めた。ロシア側はまずウクライナの戦闘指揮所やレーダー施設を破壊し、航空優勢を確保したうえで、戦車などの地上部隊を大規模に展開しようとしている。
ロシアはこれまで、ウクライナ東部のロシア系住民が多い地域の武装勢力を支援してきた。今回の侵攻によって、ロシアはこの武装勢力が支配する地域を独立させて「友好的な地域」にしたうえで、ウクライナのほかの地域を「緩衝地帯」にすることを狙っているようだ。
アメリカのバイデン大統領は「この攻撃がもたらす死と破壊はロシアだけに責任がある」と非難した。岸田文雄首相はこれに同調し、「国際社会と連携して迅速に対処していく」と述べた。武力で自分の言い分を押し通そうとするロシアの行動は非難されて当然である。だが、バイデン大統領が言うように、この戦争の責任は「ロシアだけにある」のだろうか。
今回のロシア・ウクライナ戦争を考えるうえでのキーワードは「NATOの東方拡大」である。NATO(北大西洋条約機構)は、第2次世界大戦後にアメリカとイギリスがソ連と対峙するため西欧諸国を糾合して結成した「共産圏包囲軍事同盟」である。ソ連はワルシャワ条約機構を結成して、これに対抗した。
1989年に米ソの冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊したのだから、本来ならNATOは「新しい軍事同盟」に改編されるべきだった。だが、アメリカはその後もその基本的な構造を維持したまま、共産圏にあった東欧諸国を一つ、また一つとNATOに組み込んでいった。
ソ連崩壊後、ロシアは政治的にも経済的にも混乱状態に陥り、NATOの東方拡大に対処する余裕がなかった。NATOの東縁はじわじわとロシアに迫り、ついにロシアと直接、国境を接するウクライナに到達しようとしている。
経済を立て直し、国力を回復したロシアのプーチン大統領が「NATOのウクライナへの拡大」に強い危機感を抱いたのは、理解できないことではない。2008年のNATO加盟国との首脳会談で、プーチン大統領は「ウクライナがNATOに加盟するなら、ロシアはウクライナと戦争をする用意がある」と発言している。
旧共産圏の東欧諸国や旧ソ連の構成国であるウクライナがNATOに加盟するということは、単に軍事同盟の組み合わせが変わる、ということだけにとどまらない。戦闘機や戦車といった武器体系がロシア製から米英製に切り替わることを意味する。そのビジネス上の損得は極めて大きい。
それ以上に深刻なのは、旧共産圏諸国が持っていた暗号解読を含む軍事機密情報が米英の手に渡ることだ。軍事情報が戦争で果たす役割は、IT革命の進展に伴ってますます大きくなってきている。かつての同盟国の寝返りは死活に直結する、と言っていい。
モンゴル帝国の来襲からナポレオンのモスクワ遠征、ナチスドイツの侵攻と、ロシア・ソ連は幾度も、陸続きの大国から攻め込まれ、そのたびに甚大な被害をこうむってきた。海に囲まれ、この1000年余で外敵に攻め込まれたのは元寇とマッカーサー率いる米軍だけ、という日本とは危機意識がまるで異なる、ということに思いを致すべきだろう。
岸田首相は「国際社会との連携」と「在留邦人の安全確保」をオウムのように繰り返している。官僚が作った文章を棒読みしているだけだ。今の国際情勢をどう捉えているのか。世界はどこへ向かおうとしているのか。自らの歴史認識や政治哲学がうかがえるような発言は皆無である。
一方のメディアはどうか。25日付朝日新聞のコラム「天声人語」は「ロシアの暴挙には一片の正当性もない」と書いた。歯切れはいいが、説得力はまるでない。追い詰められて牙をむいたロシアにも言い分はある。一方で、アメリカが振りかざす正義にはしばしば大きなごまかしがある。そうしたことを丁寧に、冷徹に報じるのがメディアの役割ではないか。
アメリカが唯一の超大国と呼ばれたポスト冷戦の第一段階は終わり、世界は第二段階に入りつつある。ロシア・ウクライナ戦争の帰趨は、それがどのような世界になるかを示すことになるだろう。
長岡 昇 (NPO「ブナの森」代表)
*メールマガジン「風切通信 104」 2022年2月25日
【追記 2022年2月26日】 私の自宅(山形県朝日町)に配られた25日付朝日新聞朝刊(13版S)の「天声人語」には「ロシアの暴挙には一片の正当性もない」と書いてありましたが、同日付の次の版(14版S)では「ロシアの暴挙には、正当性のかけらもない」と手直しされていました。
≪写真説明&Source≫
◎ロシア軍の侵攻が迫る中、演習をするウクライナ軍の戦車。2月18日にUkrainian Joint Forces Operation Press Serviceが提供(2022年 ロイター)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/post-98115.php
ロシアはこれまで、ウクライナ東部のロシア系住民が多い地域の武装勢力を支援してきた。今回の侵攻によって、ロシアはこの武装勢力が支配する地域を独立させて「友好的な地域」にしたうえで、ウクライナのほかの地域を「緩衝地帯」にすることを狙っているようだ。
アメリカのバイデン大統領は「この攻撃がもたらす死と破壊はロシアだけに責任がある」と非難した。岸田文雄首相はこれに同調し、「国際社会と連携して迅速に対処していく」と述べた。武力で自分の言い分を押し通そうとするロシアの行動は非難されて当然である。だが、バイデン大統領が言うように、この戦争の責任は「ロシアだけにある」のだろうか。
今回のロシア・ウクライナ戦争を考えるうえでのキーワードは「NATOの東方拡大」である。NATO(北大西洋条約機構)は、第2次世界大戦後にアメリカとイギリスがソ連と対峙するため西欧諸国を糾合して結成した「共産圏包囲軍事同盟」である。ソ連はワルシャワ条約機構を結成して、これに対抗した。
1989年に米ソの冷戦が終結し、1991年にソ連が崩壊したのだから、本来ならNATOは「新しい軍事同盟」に改編されるべきだった。だが、アメリカはその後もその基本的な構造を維持したまま、共産圏にあった東欧諸国を一つ、また一つとNATOに組み込んでいった。
ソ連崩壊後、ロシアは政治的にも経済的にも混乱状態に陥り、NATOの東方拡大に対処する余裕がなかった。NATOの東縁はじわじわとロシアに迫り、ついにロシアと直接、国境を接するウクライナに到達しようとしている。
経済を立て直し、国力を回復したロシアのプーチン大統領が「NATOのウクライナへの拡大」に強い危機感を抱いたのは、理解できないことではない。2008年のNATO加盟国との首脳会談で、プーチン大統領は「ウクライナがNATOに加盟するなら、ロシアはウクライナと戦争をする用意がある」と発言している。
旧共産圏の東欧諸国や旧ソ連の構成国であるウクライナがNATOに加盟するということは、単に軍事同盟の組み合わせが変わる、ということだけにとどまらない。戦闘機や戦車といった武器体系がロシア製から米英製に切り替わることを意味する。そのビジネス上の損得は極めて大きい。
それ以上に深刻なのは、旧共産圏諸国が持っていた暗号解読を含む軍事機密情報が米英の手に渡ることだ。軍事情報が戦争で果たす役割は、IT革命の進展に伴ってますます大きくなってきている。かつての同盟国の寝返りは死活に直結する、と言っていい。
モンゴル帝国の来襲からナポレオンのモスクワ遠征、ナチスドイツの侵攻と、ロシア・ソ連は幾度も、陸続きの大国から攻め込まれ、そのたびに甚大な被害をこうむってきた。海に囲まれ、この1000年余で外敵に攻め込まれたのは元寇とマッカーサー率いる米軍だけ、という日本とは危機意識がまるで異なる、ということに思いを致すべきだろう。
岸田首相は「国際社会との連携」と「在留邦人の安全確保」をオウムのように繰り返している。官僚が作った文章を棒読みしているだけだ。今の国際情勢をどう捉えているのか。世界はどこへ向かおうとしているのか。自らの歴史認識や政治哲学がうかがえるような発言は皆無である。
一方のメディアはどうか。25日付朝日新聞のコラム「天声人語」は「ロシアの暴挙には一片の正当性もない」と書いた。歯切れはいいが、説得力はまるでない。追い詰められて牙をむいたロシアにも言い分はある。一方で、アメリカが振りかざす正義にはしばしば大きなごまかしがある。そうしたことを丁寧に、冷徹に報じるのがメディアの役割ではないか。
アメリカが唯一の超大国と呼ばれたポスト冷戦の第一段階は終わり、世界は第二段階に入りつつある。ロシア・ウクライナ戦争の帰趨は、それがどのような世界になるかを示すことになるだろう。
長岡 昇 (NPO「ブナの森」代表)
*メールマガジン「風切通信 104」 2022年2月25日
【追記 2022年2月26日】 私の自宅(山形県朝日町)に配られた25日付朝日新聞朝刊(13版S)の「天声人語」には「ロシアの暴挙には一片の正当性もない」と書いてありましたが、同日付の次の版(14版S)では「ロシアの暴挙には、正当性のかけらもない」と手直しされていました。
≪写真説明&Source≫
◎ロシア軍の侵攻が迫る中、演習をするウクライナ軍の戦車。2月18日にUkrainian Joint Forces Operation Press Serviceが提供(2022年 ロイター)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/post-98115.php