ロシアの暗号は解読されているか
ロシアと戦っているウクライナに対して、ドイツとアメリカが主力戦車を提供することを決めた。独米から、高速で走行しながら射撃姿勢をデジタル制御できるレオパルト2とエイブラムスがそれぞれ供与されるという。
密林が広がるベトナムや山岳地帯が戦場となったアフガニスタンと違って、ウクライナ戦争は広大な平原で戦われている。戦車の果たす役割はきわめて大きい。ウクライナにとって朗報であることは間違いない。
この戦争では、ドローンが大きな役割を果たしていることも注目されている。偵察だけでなく敵への攻撃にも使われている。ウクライナのドローンに捕捉されたロシア兵が空を見上げ、十字を切って命乞いをする映像がネット上に流れた。「デジタル時代の戦争」を象徴するような映像だった。
武器の優劣は戦争の帰趨に決定的な影響を及ぼす。その意味で、メディアが戦車の供与やドローンの活用に注目して報道するのは当然のことだが、メディアで報じられないもので「戦争に決定的な影響」を及ぼすものがもう一つある。情報戦の行方、とりわけ暗号の解読がどうなっているかだ。
第2次大戦ではイギリスがドイツの暗号を、アメリカが日本の暗号を解読することに成功した。暗号の解読によって、ドイツと日本がどのような戦略のもとにどのような作戦を立てているか、連合国側にほぼ筒抜けになった。これでは、たとえ戦力が拮抗していたとしても勝てるはずがなかった。
日独とも、戦争の途中で「われわれの暗号は解読されているのではないか」との疑念を抱いた。だが、暗号担当の情報将校たちは「理論的にそのようなことはあり得ない」と主張し、戦争指導者たちを納得させた。当時、日独は無線通信で「5桁の乱数に符丁を組み合わせた暗号システム」を使っていた。これを解読するためには、一つの電文でも「1,000人がかりで3年かかる」とされていた。
戦争を遂行するうえでは、3年後に暗号を解読しても無意味であり、実質的には「解読不能」と言っていい。その意味では、日独の情報将校たちの釈明は間違ってはいなかった。当時普及していた電気リレー式の計算機を使う限り、解読にはそれくらいの人員と年月がかかるからだ。
だが、日独は「前提条件が変われば、解読が可能になる」ということを想定していなかった。イギリスはロンドン北西の暗号解読本部に数学者や言語学者、クロスワードパズルの名手ら約1万人の要員を集め、総力を挙げてドイツの暗号エニグマの解読に挑んだ。
その中に数学者、アラン・チューリングと彼の仲間たちがいた。計算可能性理論の天才であるチューリングは、その理論を暗号解読に生かし、解読のための「電子計算機」を発明した(写真)。この計算機は真空管を使い、プログラムで稼働する。後のコンピューターの原型とも言える機械で、イギリスはこれを活用してドイツの暗号の解読に成功したのである。
「電気リレー式の計算機」から「電子計算機」への飛躍は、暗号解読の世界をガラリと変えた。実質的に解読不能という説明の前提条件が崩れたことに、ドイツも日本も気づかなかった。「知の総合力に大きな差があった」と言うしかない。
アメリカは1941年の対日開戦前に日本の外交暗号の解読には成功していたが、重要な軍事暗号、とりわけ日本海軍のD暗号(18種類の海軍暗号の中で最も広く使われた)は解読できていなかった。暗号解読の態勢を立て直し、開戦半年後にはD暗号の解読に成功する。イギリスとは密接な協力関係にあり、電子計算機の供与も受けている。
第2次大戦の終結後も米英による「暗号解読の成功」は極秘とされた。その解読の内実が明らかになったのは1970年代になってからである。その間、両国は冷戦で新たな敵となったソ連の暗号解読にいそしんだが、「ソ連の暗号は秘匿度が強く、解読できていない」と装い続けた。
実は、かなり早い段階で米英はソ連の暗号の解読に成功していた。それが明らかになったのは、1991年にソ連が崩壊し、関係文書が公開されてからだ。暗号の解読は常に、徹底的に秘匿される。
今回のウクライナ戦争でも、第2次大戦と似たことが起きているのではないか。米英はロシアの暗号を解読しており、それを適宜、ウクライナ側に提供している可能性がある。そう考えると、ウクライナ側が少ない兵力で首都キーウなどを守り抜き、侵攻したソ連軍を押し戻していることも納得がいく。
もちろん、具体的な証拠やデータは何もない。アメリカもイギリスも、こと暗号の解読に関しては厳重に秘匿し続けている。両国のメディアも報じようとしない。暗号の解読状況に触れるような記事を書こうものなら、たちまち政府と軍から「出入り禁止」にされる。「国家の安全保障に直結する機微な情報」は報じないのが米英メディアの伝統だ。
ロシア軍の暗号担当将校は「わが国の暗号はスーパーコンピューターを使っても、簡単には解読できない」とプーチン大統領に説明しているのではないか。確かに、スパコンでも解読できないようなシステムを使っているのかもしれない。
だが、米英が量子コンピューターをすでに実戦配備していたら、どうか。量子力学の原理を応用するこのコンピューターは、スパコンで1万年かかるような計算を3分ほどでこなすという。すでに試作機も登場しており、暗号解読の世界で新しい「パラダイムシフト」が起きている可能性がある。
ウクライナ戦争でロシア側の暗号はどのくらい解読されているのか。解読された情報はウクライナ側にどのくらい伝えられているのか。そうしたことが明らかになるのは20年後、あるいは30年後かもしれない。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」2023年1月31日
≪写真説明&Source≫
・ドイツ製の戦車レオパルト2(東京新聞のサイトから)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/227185
・チューリングが暗号解読のために製作した電子計算機の複製
=大駒誠一『コンピュータ開発史』(共立出版)から引用
≪参考文献≫
◎『暗号の天才』(R・W・クラーク、新潮選書)
◎『暗号解読』(サイモン・シン、新潮社)
◎『暗号 原理とその世界』(長田順行、ダイヤモンド社)
◎『ヴェノナ』(ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア、PHP研究所)
密林が広がるベトナムや山岳地帯が戦場となったアフガニスタンと違って、ウクライナ戦争は広大な平原で戦われている。戦車の果たす役割はきわめて大きい。ウクライナにとって朗報であることは間違いない。
この戦争では、ドローンが大きな役割を果たしていることも注目されている。偵察だけでなく敵への攻撃にも使われている。ウクライナのドローンに捕捉されたロシア兵が空を見上げ、十字を切って命乞いをする映像がネット上に流れた。「デジタル時代の戦争」を象徴するような映像だった。
武器の優劣は戦争の帰趨に決定的な影響を及ぼす。その意味で、メディアが戦車の供与やドローンの活用に注目して報道するのは当然のことだが、メディアで報じられないもので「戦争に決定的な影響」を及ぼすものがもう一つある。情報戦の行方、とりわけ暗号の解読がどうなっているかだ。
第2次大戦ではイギリスがドイツの暗号を、アメリカが日本の暗号を解読することに成功した。暗号の解読によって、ドイツと日本がどのような戦略のもとにどのような作戦を立てているか、連合国側にほぼ筒抜けになった。これでは、たとえ戦力が拮抗していたとしても勝てるはずがなかった。
日独とも、戦争の途中で「われわれの暗号は解読されているのではないか」との疑念を抱いた。だが、暗号担当の情報将校たちは「理論的にそのようなことはあり得ない」と主張し、戦争指導者たちを納得させた。当時、日独は無線通信で「5桁の乱数に符丁を組み合わせた暗号システム」を使っていた。これを解読するためには、一つの電文でも「1,000人がかりで3年かかる」とされていた。
戦争を遂行するうえでは、3年後に暗号を解読しても無意味であり、実質的には「解読不能」と言っていい。その意味では、日独の情報将校たちの釈明は間違ってはいなかった。当時普及していた電気リレー式の計算機を使う限り、解読にはそれくらいの人員と年月がかかるからだ。
だが、日独は「前提条件が変われば、解読が可能になる」ということを想定していなかった。イギリスはロンドン北西の暗号解読本部に数学者や言語学者、クロスワードパズルの名手ら約1万人の要員を集め、総力を挙げてドイツの暗号エニグマの解読に挑んだ。
その中に数学者、アラン・チューリングと彼の仲間たちがいた。計算可能性理論の天才であるチューリングは、その理論を暗号解読に生かし、解読のための「電子計算機」を発明した(写真)。この計算機は真空管を使い、プログラムで稼働する。後のコンピューターの原型とも言える機械で、イギリスはこれを活用してドイツの暗号の解読に成功したのである。
「電気リレー式の計算機」から「電子計算機」への飛躍は、暗号解読の世界をガラリと変えた。実質的に解読不能という説明の前提条件が崩れたことに、ドイツも日本も気づかなかった。「知の総合力に大きな差があった」と言うしかない。
アメリカは1941年の対日開戦前に日本の外交暗号の解読には成功していたが、重要な軍事暗号、とりわけ日本海軍のD暗号(18種類の海軍暗号の中で最も広く使われた)は解読できていなかった。暗号解読の態勢を立て直し、開戦半年後にはD暗号の解読に成功する。イギリスとは密接な協力関係にあり、電子計算機の供与も受けている。
第2次大戦の終結後も米英による「暗号解読の成功」は極秘とされた。その解読の内実が明らかになったのは1970年代になってからである。その間、両国は冷戦で新たな敵となったソ連の暗号解読にいそしんだが、「ソ連の暗号は秘匿度が強く、解読できていない」と装い続けた。
実は、かなり早い段階で米英はソ連の暗号の解読に成功していた。それが明らかになったのは、1991年にソ連が崩壊し、関係文書が公開されてからだ。暗号の解読は常に、徹底的に秘匿される。
今回のウクライナ戦争でも、第2次大戦と似たことが起きているのではないか。米英はロシアの暗号を解読しており、それを適宜、ウクライナ側に提供している可能性がある。そう考えると、ウクライナ側が少ない兵力で首都キーウなどを守り抜き、侵攻したソ連軍を押し戻していることも納得がいく。
もちろん、具体的な証拠やデータは何もない。アメリカもイギリスも、こと暗号の解読に関しては厳重に秘匿し続けている。両国のメディアも報じようとしない。暗号の解読状況に触れるような記事を書こうものなら、たちまち政府と軍から「出入り禁止」にされる。「国家の安全保障に直結する機微な情報」は報じないのが米英メディアの伝統だ。
ロシア軍の暗号担当将校は「わが国の暗号はスーパーコンピューターを使っても、簡単には解読できない」とプーチン大統領に説明しているのではないか。確かに、スパコンでも解読できないようなシステムを使っているのかもしれない。
だが、米英が量子コンピューターをすでに実戦配備していたら、どうか。量子力学の原理を応用するこのコンピューターは、スパコンで1万年かかるような計算を3分ほどでこなすという。すでに試作機も登場しており、暗号解読の世界で新しい「パラダイムシフト」が起きている可能性がある。
ウクライナ戦争でロシア側の暗号はどのくらい解読されているのか。解読された情報はウクライナ側にどのくらい伝えられているのか。そうしたことが明らかになるのは20年後、あるいは30年後かもしれない。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」2023年1月31日
≪写真説明&Source≫
・ドイツ製の戦車レオパルト2(東京新聞のサイトから)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/227185
・チューリングが暗号解読のために製作した電子計算機の複製
=大駒誠一『コンピュータ開発史』(共立出版)から引用
≪参考文献≫
◎『暗号の天才』(R・W・クラーク、新潮選書)
◎『暗号解読』(サイモン・シン、新潮社)
◎『暗号 原理とその世界』(長田順行、ダイヤモンド社)
◎『ヴェノナ』(ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア、PHP研究所)