カヌー探訪の歩みを紹介し、『最上川絵図』を一般公開
2012年から始まった最上川縦断カヌー探訪の記録を紹介し、併せて朝日町出身の民俗文化研究者、柴田謙吾氏(1912年?2010年)が作成した壮大な『最上川絵図』を一般公開するパネル展「最上川を見つめ直す」を、山形県朝日町の文化施設・創遊館で2024年9月17日(火)から9月29日(日)まで開催します(22日は臨時休館)。地域おこしのNPO「ブナの森」が主催します。
最上川をカヌーで下るイベント「最上川縦断カヌー探訪」は、毎年7月最後の週末に開催しています。2012年の第1回探訪の1日目は長井市を出発して、白鷹町から朝日町へと続く五百川(いもがわ)峡谷を下り、2日目は朝日町から中山町まで下りました(写真は五百川峡谷のタンの瀬)。
2013年は豪雨のため中止。2014年以降、少しずつ中流域から下流へと漕ぎ下り、2021年の第9回探訪で、ついに酒田市の最上川河口に到達して「縦断」を達成しました。2022年の第10回探訪からは、1日目は最上川、2日目は流域の湖や峡谷をめぐるツアーをしています(2024年は大雨のため中止)。
カヌー川下りで最上川に親しむ中で、私たちは最上川の民俗文化の研究に打ち込んだ柴田謙吾氏のことを知りました。柴田氏は朝日町の生まれで、会社を経営するかたわら、半世紀にわたって最上川の民俗文化の研究に力を注ぎ、著作物に加えて『最上川絵図』を残してくれました。長さ40メートル、幅60センチの壮大な絵巻物です。
絵図には、流域の村々の名称と人口などが克明に記され、ダム建設で消える前に存在した簗場(やなば)や渡し船の船着場が丁寧に描かれています。舟運で栄えた、かつての最上川の姿を浮かび上がらせる貴重な文化遺産です。絵図が一般公開されるのは7年ぶりです。ぜひ、足をお運びください(上の図は朝日町周辺)。
このパネル展は、朝日町町制70周年記念事業として朝日町の補助金を得て開催するものです。創遊館でのパネル展のあと、10月1日からは朝日町の西部公民館、10月12日からは北部公民館で巡回展示される予定です。ただし、『最上川絵図』の実物が公開されるのは、創遊館ギャラリーだけです。公民館での巡回展示では、絵図の写真パネルの展示になります。
≪柴田謙吾氏の略歴≫
最上川の民俗文化研究者。明治45年(1912年)、桐材商兼農家の次男として山形県大谷村(戦後の合併で朝日町に統合)の栗木沢で生まれる。戦前、中国大陸に渡り、大連語学校を卒業、南満州鉄道に入社した。終戦間際に召集され、朝鮮半島の陸軍部隊に配属されたが、苦難の末、妻の待つ大連に戻った。昭和22年(1947年)に帰国し、山形市旅篭町で菓子原材料の卸売会社の「柴田原料」を創業した。
会社経営の傍ら、昭和30年(1955年)ごろから最上川の民俗調査に乗り出し、舟運の船頭や筏(いかだ)下りの職人たちを訪ね歩いた。川下りの難所や簗場(やなば)など流域の村々についても調査を進めた。昭和44年(1969年)から最上川絵図の作成に乗り出し、10年がかりで長さ40メートル、幅60センチの絵図を完成させた。俳画家としても知られ、著書『最上川小鵜飼船と船頭衆の生活』に多数のスケッチ画が収められている。平成元年(1989年)、山形県社会文化協会から第3回大衆文化賞を受賞。平成22年(2010年)、98歳で死去。
最上川をカヌーで下るイベント「最上川縦断カヌー探訪」は、毎年7月最後の週末に開催しています。2012年の第1回探訪の1日目は長井市を出発して、白鷹町から朝日町へと続く五百川(いもがわ)峡谷を下り、2日目は朝日町から中山町まで下りました(写真は五百川峡谷のタンの瀬)。
2013年は豪雨のため中止。2014年以降、少しずつ中流域から下流へと漕ぎ下り、2021年の第9回探訪で、ついに酒田市の最上川河口に到達して「縦断」を達成しました。2022年の第10回探訪からは、1日目は最上川、2日目は流域の湖や峡谷をめぐるツアーをしています(2024年は大雨のため中止)。
カヌー川下りで最上川に親しむ中で、私たちは最上川の民俗文化の研究に打ち込んだ柴田謙吾氏のことを知りました。柴田氏は朝日町の生まれで、会社を経営するかたわら、半世紀にわたって最上川の民俗文化の研究に力を注ぎ、著作物に加えて『最上川絵図』を残してくれました。長さ40メートル、幅60センチの壮大な絵巻物です。
絵図には、流域の村々の名称と人口などが克明に記され、ダム建設で消える前に存在した簗場(やなば)や渡し船の船着場が丁寧に描かれています。舟運で栄えた、かつての最上川の姿を浮かび上がらせる貴重な文化遺産です。絵図が一般公開されるのは7年ぶりです。ぜひ、足をお運びください(上の図は朝日町周辺)。
このパネル展は、朝日町町制70周年記念事業として朝日町の補助金を得て開催するものです。創遊館でのパネル展のあと、10月1日からは朝日町の西部公民館、10月12日からは北部公民館で巡回展示される予定です。ただし、『最上川絵図』の実物が公開されるのは、創遊館ギャラリーだけです。公民館での巡回展示では、絵図の写真パネルの展示になります。
≪柴田謙吾氏の略歴≫
最上川の民俗文化研究者。明治45年(1912年)、桐材商兼農家の次男として山形県大谷村(戦後の合併で朝日町に統合)の栗木沢で生まれる。戦前、中国大陸に渡り、大連語学校を卒業、南満州鉄道に入社した。終戦間際に召集され、朝鮮半島の陸軍部隊に配属されたが、苦難の末、妻の待つ大連に戻った。昭和22年(1947年)に帰国し、山形市旅篭町で菓子原材料の卸売会社の「柴田原料」を創業した。
会社経営の傍ら、昭和30年(1955年)ごろから最上川の民俗調査に乗り出し、舟運の船頭や筏(いかだ)下りの職人たちを訪ね歩いた。川下りの難所や簗場(やなば)など流域の村々についても調査を進めた。昭和44年(1969年)から最上川絵図の作成に乗り出し、10年がかりで長さ40メートル、幅60センチの絵図を完成させた。俳画家としても知られ、著書『最上川小鵜飼船と船頭衆の生活』に多数のスケッチ画が収められている。平成元年(1989年)、山形県社会文化協会から第3回大衆文化賞を受賞。平成22年(2010年)、98歳で死去。