1993年1月13日付 朝日新聞国際面のコラム「特派員メモ」から


 1992年末から始まった宗教暴動がインド中に広がり、世情が騒然としてきたら、1階に住む家主さんが突如、大型犬を飼い始めた。門の前ではもともと、チョキダールと呼ばれる警備員が寝ずの番をしているのだが、「それだけでは心もとない」と考えたようだ。
 ところが、この犬がものすごい勢いでほえ続ける。2階に間借りしているわが家にまで、グワングワンと響いて眠れないほどだ。

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 「おいしいものでも食べれば、落ち着くかも」と思って、ある日の夕方、ベランダからおかずの肉ダンゴを2個投げてみた。わざわざシンガポールまで行って買ってきた上等の豚肉だ。なのに、このワンちゃんはクン、クンと二度ほどにおいをかいだきり、プイと横を向いてしまった。
 次の日、家主さんに聞いたら「あの犬も、菜食主義なんです。ミルクとパンと野菜以外は受けつけません」。家主さん一家はジャイナ教徒で、全員が厳格な菜食主義者だ。考えてみれば、肉を食ったりする不埓(ふらち)な犬を飼うはずがなかった。
 忠実で仕事熱心だったが、間もなく、この菜食主義犬はお役御免になった。家主さんも、うるさくて眠れなかったらしい。こちらもホッとした。家族からは「貴重な肉を無駄にした」と責められたけれど。

※古い記事なので、冒頭に「1992年末から始まった」と加筆しました。

(ニューデリー・長岡昇)

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※上の写真は、銀座でワインバー「オクシトン」を経営する
 小島宏明さんと初枝さんの愛犬クローカ。
 彼はベジタリアンではありません。コラムとは直接の関係はありませんが、
 愛らしく、また富士山のたたずまいが初春らしいので掲載させていただきました。

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