*メールマガジン「小白川通信 42」 2016年3月15日
「チェスの世界チャンピオンがコンピューター(人工知能)に負けた」と聞いても、それほど驚きはしませんでした。チェスは駒の数が少なく、相手の駒を取っても使うことはできません。手数は膨大ですが、高速計算が得意なコンピューターにとっては苦になるような手数ではないからです。1997年のことでした。
その16年後の2013年に将棋のプロ棋士が人工知能に負けた時には驚きました。将棋はチェスより駒が多く、はるかに複雑です。何よりも、取った相手の駒を使うことができますから、変化は飛躍的に増えます。「アマチュアはともかく、プロには当分勝てないだろう」と思っていたのですが、その壁はあっさり乗り越えられてしまいました。
囲碁棋士のイ・セドル(左)と人工知能の開発者デミス・ハサビス
それでも、囲碁については「人工知能がプロに勝つには数十年かかるだろう」と言われてきました。囲碁は変化が将棋より格段に多いのに加えて、数値で表すのが難しい価値判断をして打たなければならない場面が序盤から終盤まで連続して現れるからです。
その一つに「劫(こう)」という局面があります。これは、お互いに相手の石を取ることができる状態のことです。ただし、交互に石を取っていたら勝負はエンドレスになってしまいますので、「劫」になった場合、対局者は「一度別のところに打ち、相手がそれに応じたら石を取ってもいい」というルールになっています。別のところに打たれた相手は「それに応じないことで生じる損失と、劫に勝って得られる利のどちらが大きいか」を判断しなければなりません。こうした複雑極まる局面がほかにいくつもあり、コンピューターでプロに勝つプログラムを組むのはすぐには無理だろうと考えられていたのです。
しかし、その囲碁も人工知能に屈しました。世界最強の囲碁棋士の一人、韓国のイ・セドルが人工知能との5番勝負に敗れたのです。今日(3月15日)、5回目の対局が終わり、人工知能が4勝1敗と圧勝しました。囲碁の敗北は単なる「ゲームの世界の勝敗」にとどまるものではありません。人工知能のプログラム開発が新たな段階に到達したことを示し、新しい可能性が切り開かれたことを意味しているからです。
チェスの場合も将棋の場合も、コンピューター技術者は「可能なものはすべて記憶させ、すべて計算して選択する」というプログラムを組んで、プロの選手に対抗しました。人間では太刀打ちできない計算速度と記憶容量を持つコンピューターの特性を活かして勝負したのです。ただし、同じ発想でプログラムを組んで囲碁のプロ棋士に挑戦しようとすれば、チェスや将棋とは比べものにならない記憶容量と計算速度を持つ「とてつもないコンピューター」が必要になり、「勝つまでには数十年かかる」はずだったのです。
今回、囲碁棋士に勝った人工知能「アルファ碁」というプログラムは、「すべてを計算する」という発想を捨てました。その代わりに、どの手がより良い結果を生むのかを判断して絞り込む、独創的なプログラムを開発したようです。専門家でない私には具体的な内容は分かりませんが、それによって「とてつもないコンピューター」ではなく、「今ある普通のコンピューター」で勝負できるようになったのです。このプログラムは、自分で新しいデータを次々に吸収して価値判断の能力を向上させる特性を持つ、とも伝えられています。ITの世界に新しい地平を切り開いた、と言っていいでしょう。
これを開発したのは、英国の若き天才たちです。開発の中心になったデミス・ハサビス(39)は4歳でチェスを覚え、2週間で大人を負かしたと伝えられる天才です。15歳でケンブリッジ大学コンピューター学部に合格、コンピューターゲームの開発に乗り出しました。2010年に仲間と「ディープマインド」という人工知能開発会社を立ち上げ、4年後に検索エンジンで知られるグーグルがこの会社を4億ポンド(推定)で買収し、傘下に収めています。
コンピューター開発の主戦場は、とっくの昔にハード(機械)からソフト(プログラム開発)に移っていますが、そのソフト開発の中でもっとも激烈な競争が行われているのは人工知能の開発とされています。去年夏のセミナーで日本IBMの近況を知る機会がありましたが、IT業界の巨人IBMが力を注いでいるのはコンピューターの製造販売ではなく、今や人工知能の開発です。とりわけ、大口の顧客が見込める「危機管理と危機対応」などの分野で人工知能の開発を進め、活路を見出そうとしています。
例えば、森林火災にどう対処するか。火災の発生場所、風向きなどの天候、動員できる人員と機材を即座に割り出し、人工知能が最適の対処方法を決めてくれるのです。人間がデータを集めて入力するのではなく、ある人が「天候はどうなっている」「人員と機材は」「道路状況は」と次々に聞けば、人工知能が自分でデータベースから必要な情報を引っ張り出してきて、損害を最小に抑える対策を示してくれるのです。もちろん、原発事故の対応などにも応用できるでしょう。
そして、こうしたソフト開発のはるか先に見えてくるのは、究極の危機管理とも言える「戦争の仕方」を提示してくれる人工知能です。政治や軍事の専門家の中にも目をみはった人がいるに違いありません。SF的な世界に向かって、人工知能の開発は大きな一歩を踏み出したのです。どこまで進化するのか。どのくらいのスピードで成長するのか。ワクワクする一方で、空恐ろしくもあります。
とはいえ、まだ「ゲームという限られた世界」での大きな一歩に過ぎません。SF的世界が現れるまでには、まだいくつものブレイクスルーが必要でしょう。「人工知能には学習能力がある」とは言っても、学習の仕方のプログラムを組むのはあくまでも人間であり、人間の能力が無限だとも思いません。最後の最後に、人間の力では突破できない壁が立ちはだかるかもしれません。
宇宙は広大です。そして、一人ひとりの人間、さらには生きものが内包するものも深遠です。人工知能も人間が生み出したものであり、人間が考えるものである以上、そうした広さや深さに到達することはあり得ないのではないか、とも思うのです。
《参考サイト》
人工知能の開発会社Google DeepMind の公式サイト(英語)
https://deepmind.com/
Google DeepMind の代表デミス・ハサビス(英語版ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/Demis_Hassabis
≪写真のSource≫
http://wired.jp/2016/03/12/deepmind/
*メールマガジン「小白川通信 41」 2016年3月6日
あらゆる鳥の中で
カラスよ お前は一番の嫌われもの
春 木々が柔らかい光を浴びて芽吹き
里山がモスグリーンに染まるころ
お前は黒い一筋の線となって横切る
なんと目障りなことか
夏 木々が葉裏を白く返してそよぎ
照り付ける日差しの中で育つころ
お前は黒い染みのように鎮座している
なんと暑苦しいことか
秋 吹き渡る風に稲穂が波打ち
山々がうっすらと色づき始めるころ
お前は人間の残り物を黙々とついばむ
なんと見苦しいことか
けれども 冬
荒れ狂う吹雪をものともせず
お前は雪原高く舞い上がり
白い大地を睥睨(へいげい)しつつ飛んでゆく
カラスよ お前は美しい
*写真 姉崎一馬氏が撮影、提供