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February 2018 の投稿一覧です。
*メールマガジン「風切通信 45」 2018年2月19日
         
 韓国で開かれているピョンチャン・オリンピックが佳境を迎えています。フィギュアスケートの羽生結弦選手はけがを克服して堂々の二連覇、スピードスケートの小平奈緒選手はオランダでの修行を経て大輪の花を咲かせました。スノーボードの平野歩夢選手の妙技には「トップアスリートはこんなことまでできるのか」と目を見張りました。

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 日本選手の活躍に一喜一憂しつつ、大好きなアルペンスキーのテレビ中継も楽しんでいます。根が単純な性格なものですから、一番好きなのは猛スピードで斜面を駆け抜ける滑降なのですが、今回は男子大回転の生中継をまじまじと見てしまいました。優勝したオーストリアのヒルシャー選手らの滑りが見事だったこともあるのですが、それ以上にアフリカから複数の選手が参加していることに驚いたからです。

 エリトリアのシャノン・アベダ選手とモロッコのアダム・ラムハメディ選手です。「炎熱の大陸アフリカになぜスキーの選手がいるんだ」と一瞬、戸惑ったのですが、テレビのアナウンサーがすぐに「2人ともカナダ生まれで二重国籍」と解説してくれたので納得しました。どのような生い立ちなのか、ネットで調べてみました。カナダの地方紙フォートマクマレー・トゥデイによると、アベダ選手の両親はエリトリアからの難民でした。

 エチオピアとイエメンの間にあるエリトリアは、かつてはアフリカと中東を結ぶ交易地として栄えたこともあったようですが、私の記憶にあるのは「凄惨な飢餓の戦争をくぐり抜けてきた国」というイメージです。イギリスとイタリアの支配を受けた後、エリトリアはエチオピアに編入され、1960年代から30年にわたって分離独立を求めて戦い続けました。エチオピア政府軍との戦いに加えてエリトリア人同士の内戦も勃発、数多くの餓死者と難民が出た紛争でした。

 私がエリトリアの独立戦争と内戦の記事を読んだのは、駆け出し記者だった1980年代のこと。自分がその後、似たような紛争を取材することになるとは考えてもいない時期でした。アベダ選手の母親が16歳で戦禍を逃れて海を渡ったのはその頃です。父親も若くして難民になり、2人は避難先で知り合って結婚、カナダ西部のアルバータ州フォートマクマレーで3人の子どもを育てました。アベダ選手は末っ子。ロッキー山脈にあるスキー場で兄や姉と3歳から滑り始めたのだそうです。上記のカナダ紙のインタビューにアベダ選手の母アリアムさんは語っています。

「アベダは小さい頃、オリンピックの表彰台に立つ絵を描いたりしていました。その後、カルガリーに引っ越しましたが、フォートマクマレーでの暮らしは私の人生で最高のものでした。信じられないような友情を育むことができました。今でもお付き合いが続いています。子どもたちはスポーツでもほかのことでも、生き生きとしていました」

 エリトリア初の冬季五輪選手となったアベダ選手は同紙の取材に「自分の力量は分かっています」とメダルには手が届かないことを認めつつ、こう語りました。「エリトリアの人たちはきっと『誰かが自分たちの代表として出ている。私たちの存在を知らせてくれている』と思うはずです。だから、全力を尽くします」。結果は2回目の試技に進んだ85人中、67位。メダルには遠く及びませんでしたが、その姿は光り輝いていました。

 モロッコ代表のラムハメディ選手もカナダ生まれ。父親がモロッコ人の大学教授、母親がカナダ人です。アベダ選手と同じく二つの国籍を持ち、オーストリア・インスブルックの国際ユーススキー大会で優勝したこともある実力者です。4年前のソチ・オリンピックに続いて2回目の五輪参加で、今回の大回転では61位でした。アルペンスキーのこの2人を含め、平昌五輪にはアフリカから過去最多の8カ国13人が参加と報じられています。

 欧米のスポーツだったウィンタースポーツにアジアや中南米の選手が挑み、今やアフリカ諸国の選手も少しずつ増えていることを知りました。ゆっくりとではあっても、世界は着実に一つに結ばれる方向に進んでいます。平昌五輪のスローガンは「ひとつになった情熱 Passion. Connected.」。難民の子がエリトリアの代表としてスロープを疾走する姿は、そのスローガンを体現しているように思えました。


≪参考サイト&文献≫
◎エリトリアのスキー選手、シャノン・アベダ Shannon Abeda(英語版ウィキペディア)
https://en.wikipedia.org/wiki/Shannon-Ogbani_Abeda
◎モロッコのスキー選手、アダム・ラムハメディAdam Lamhamedi(同)
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Lamhamedi
◎アベダ選手のことを報じるカナダのフォートマクマレー・トゥデイ紙(電子版)
http://www.fortmcmurraytoday.com/2018/01/03/mcmurray-born-skiier-first-to-represent-eritrea-at-winter-olympics
◎アフリカの五輪選手の活躍を伝えるフランスのテレビ局「France 24」の記事(同)
http://www.france24.com/en/20180206-sport-olympics-africa-five-rings-one-dream-athletes-road-pyeongchang-winter-games-2018
◎アフリカからの冬季五輪参加が8カ国になったことを伝える記事(ウェブメディアQuartzから)
https://qz.com/1197726/pyeongchang-2018-will-be-the-african-winter-olympics/
◎エリトリアの歴史(日本語版ウィキペディアから)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
◎エリトリア独立戦争(同)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E6%88%A6%E4%BA%89
◎共同通信社『世界年鑑2007』

≪写真説明≫
◎エリトリアから冬季五輪に初めて参加したシャノン・アベダ選手(カナダのフォートマクマレー・トゥデイ紙の電子版から)
http://www.fortmcmurraytoday.com/2018/01/03/mcmurray-born-skiier-first-to-represent-eritrea-at-winter-olympics


 *メールマガジン「風切通信 44」 2018年2月8日
           
 北陸の福井県が37年ぶりの大雪に見舞われ、生活に甚大な影響が出ています。福井市の2月7日現在の積雪は143センチ。しかも、その多くが数日のうちに降ったそうですから、車が立ち往生して物流が滞り、市民生活がマヒしたのも当然でしょう。1日で大人の腰の高さまで積もったところもあるとか。これでは、雪に慣れた地域でも簡単には対処できません。

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 福井の人たちの困惑と困窮はどのようなものか。わがふるさと、山形県に引き付けて考えれば、以下のようなことかと推察します。同じ雪国でも、山の位置や風の通り道によって、雪の降り方はまるで異なります。県庁所在地の山形市の平年の積雪は28センチほど。これに対し、私が暮らす朝日町の平年の積雪は140センチ前後と、この冬の福井市並みです。この差は、冬の暮らしに各段の違いをもたらします。

 まず、日々の雪かきのレベルが異なります。山形市の降雪は一晩で通常5センチほど、多くても15センチくらいです。これなら、一般の住宅の場合、スコップかラッセルスノーという幅広のスコップでかき出すことができます。これが朝日町になると、一晩に20センチから30センチ、多い時には50センチほど積もります。こうなると、スコップでは大変なので、ガソリンエンジン駆動のロータリー式除雪機が「標準装備」として必要になります。庭が広く、母屋に加えて納屋やお蔵の周りも除雪しなければならないからです。

 わが家は玄関先が車1台分ほどと狭く、除雪スペースが小さいので除雪機はありません。手作業で雪かきをしています。それでも、スコップやラッセルでは対処できないので、スノーダンプと呼ばれる、両手で押す大きなスコップのような雪かき道具が必要になります。これで新雪をゴソッとすくい取り、側溝に流し込みます。田んぼに水を供給するための村の水路が、冬は融雪溝として活躍してくれるのです。

 降った雪はその重みで沈み、日中の日差しで少しずつ解けますから、積雪量は上記のように山形市で28センチ、朝日町で140センチほどになります。積雪が1メートルを超すと、雪の重みで家が破損する恐れが出てきます。そこで、必ず屋根の雪下ろしをしなければなりません。つまり、山形市程度の積雪なら屋根の雪下ろしをする必要はないが、朝日町では雪下ろしをしなれければ家がつぶれる危険性がある、ということです。

 今回の福井の大雪は、例年なら山形市程度の積雪なのに、急に、しかも数日で朝日町並みの雪が降ってしまった、ということになります。それなりに雪に備えていたとしても、これでは市民生活がマヒ状態に陥ったのも無理はありません。日ごろ雪かきに追われ、大汗をかいている身としては「今年の冬将軍はなんて気まぐれなんだ」と思ってしまいます。

 9年前に東京から山形に戻り、最初の冬に「雪かきは容易じゃない」とぼやきました。すると、近くの西川町大井沢出身の人から「こだな、雪(ゆぎ)んね!」と、いさめられました。「この程度の雪で大変だなんて、冗談じゃない」という意味です。月山のふもとにある大井沢の平年の積雪は3メートルほど。同じ西川町の志津(しづ)温泉はさらに多く、時には6メートルを超します(志津温泉は気象庁のアメダスの観測地点になっていないため積雪記録がニュースになることはありません)。「何事も上には上がある」と、あらためて思い知らされました。

 積雪がある程度以上になると、雪かきよりも「雪の始末」の方が大変なことも知りました。取り除いた雪をどう始末するか。除雪機があれば、広い庭や畑に雪を飛ばしてしまえばいいのですが、私のように手作業でやる場合には、それもできません。側溝に流し込みたくても、肝心の側溝がしばしば埋もれてしまいます。そこで、雪かきの後に必ず「側溝を掘り出す作業」をしなければなりません。古い雪は往々にして氷と化しています。なので、剣先スコップで氷を削り、側溝を掘り出さなければならないのです。

 降ったら除雪し、氷を削って側溝を掘り出し、流し込む。多い時には朝、昼、晩と1日に3回。いつも大汗をかきます。これを繰り返していると、時折、「まるでシシュフォスの石みたいだなぁ」と思ってしまいます。ギリシャ神話に出てくるコリントスの王シシュフォスは、神々を何度も欺いた罰として、巨大な石を山頂に押し上げる苦役を課されました。大石はいつも山頂まであと一歩というところで、またふもとまで転げ落ちる。かくして、シシュフォスは終わることのない苦行を続けなければならなくなった、という神話です。

 私は神々を欺いたことはありませんが、何度か会社を欺いたことはあります。取材を装って職場を抜け出し、映画を観に行ったり、上野の鈴本演芸場に落語を聞きに行ったり。そうやって適当にさぼっているから、ストレスの多い仕事を続けることができるのだ、と開き直っていました。雪かきは、その罰なのか。

 いや、シシュフォスの石と違って、雪は春になれば解けます。そして、雪解け水は夏まで田畑を潤し、農民に「干魃の恐れのない大地」をもたらしてくれます。しんどい雪かきの一方で恵みも与えるという点で、シシュフォスの石とはまるで違います。冬将軍様、不適切な例えでした。お詫びして訂正しますので、北陸にはもうあまり雪を降らせないでください。お願いいたします。青森や新潟、山形は例年より少し多い程度ですので、お願い事はとくにありません。はい。


≪参考サイト&文献≫
◎全国各地の積雪データ(気象庁の公式サイトから)
http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/mdrr/snc_rct/alltable/snc00.html#a35
◎雪かき道具のあれこれ(楽天市場「雪かき道具の通販」から)
https://search.rakuten.co.jp/search/mall/%E9%9B%AA%E3%81%8B%E3%81%8D+%E9%81%93%E5%85%B7/
◎山形県西川町の積雪データ(同町の公式サイトから)
https://www.facebook.com/295465570563835/photos/a.644330602343995.1073741831.295465570563835/1399251570185224/?type=3&theater
◎志津温泉の積雪については、2013年6月1日のメールマガジン「小白川通信 3」参照
http://www.bunanomori.org/NucleusCMS_3.41Release/index.php?catid=10&blogid=1
◎シシュフォスの石(「コトバンク」から)
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A9%E3%82%B9-73318
◎『北越雪譜』(鈴木牧之編撰、岩波文庫)

≪写真説明≫
◎山形県朝日町のわが家の積雪状況(2月7日、筆者撮影)。積雪に加えて、屋根から下した雪が積み重なっています。車の右前にある黄色の雪かき道具がスノーダンプ