*メールマガジン「風切通信 55」 2019年3月29日
人は誰しも過ちを犯す。間違えることなく生きていける人などいない。ただ、前に進もうとする人はその過ちから何かを学ぶ。少なくとも、学ぼうとする。
だが、山形県庁には過ちを過ちとして自覚せず、教訓を引き出そうとしない人たちがいる。月刊『素晴らしい山形』の2月号で観光キャンペーンをめぐる山形県幹部職員による露骨な業務委託の実態を報告したばかりなのに、今度は山形駅西口に建設中の新しい県民会館をめぐって、同じようなことが繰り返された。しかも、県庁の同じ部局の手で。
新しい県民会館の正式名称は、山形県総合文化芸術館という。完成後にその運営にあたる指定管理者を選ぶ審査委員会が1月9日に県庁で開かれた。名乗りを上げたのは、山形県生涯学習文化財団を代表とする共同企業体とステージアンサンブル東北という会社である。
生涯学習文化財団は山形県が50億円の資金を投じて作った外郭団体で、細谷知行・前副知事が理事長を務めている。県立図書館に事務所を構え、文翔館(旧県庁)の運営も担っている。この財団と山形交響楽協会、サントリーのグループ企業(サントリーパブリシティサービス)の3者が共同企業体を組んだ。
一方のステージアンサンブル東北には、現在の県民会館を10年間、指定管理者として運営してきた実績がある。とはいえ、従業員22人、資本金1000万円の小さな会社である。規模という点では、共同企業体にとても太刀打ちできない。山形県の担当者の胸の内を推し量れば、「勝負は最初から見えている」というところだったのではないか。
ところが、双方の提案を審査した結果は意外なものだった。表1のように、僅差ながらステージアンサンブル東北の評価が共同企業体を上回ったのである。とくに、中高生や文化団体など幅広い層が利用できる条件を整えているか、専門的な能力のある人材はいるか、といった面での評価が高かった。
上野雅郷(まさと)社長は「新しい会館になれば、利用料金が高くなって中学や高校の吹奏楽部や合唱部は利用しにくくなります。なので、こうした利用には料金を減免するといった提案も盛り込みました。今まで、限られた人数で県民会館をしっかり運営してきたことも評価していただいたと思っています」と語る。
審査委員7人の構成は表2の通りである。外部の有識者が4人、カラー文字で表示した3人が県幹部だ。外部の審査委員は4人のうち3人がステージアンサンブル東北に軍配を上げた。とりわけ、全国の音楽ホールの運営状況を熟知する間瀬(ませ)勝一氏と草加叔也(としや)氏が高く評価した。3人の県幹部はそろって共同企業体に高い点数を付けたが、及ばなかった。
県の指定管理者募集要項は、選定基準や審査項目、配点を詳細に記している。それに基づいた審査であり、本来なら「この評価で決定」のはずだった。ところが、審査委員長の齋藤真幸(まさき)・観光文化スポーツ部次長ら県幹部は、「僅差なので協議したい」と言い出した。協議は延々と続き、最終的には齋藤氏が「(委員長を除くと)3対3の同数なので私に一任していただきたい」と述べ、共同企業体を指定管理者候補にすることを決めたという。
強引な裁定である。全国公立文化施設協会のアドバイザーも務める草加氏は「審査の評価点で決めるのが本来あるべき姿」と言う。同じく協会アドバイザーでもある間瀬氏は「共同企業体の内部でどのように責任を分担するのか、あいまいな点が気になった」と指摘する。
あいまいなはずである。事情通によれば、共同企業体の代表を引き受けた生涯学習文化財団は、もともと指定管理者に応募するつもりなどなかったのだという。財団は50億円の基金の利子で運営する前提でスタートしたが、低金利が長く続いて資産を取り崩すしかなくなり、基金は32億円まで目減りした。財団の運営そのものが厳しい状況にあり、リスクを背負う余裕などないのだ。
細谷理事長に「県側から要請されて、渋々引き受けたと聞きました」と問うと、否定した。財団の財政状況に触れ、「総合文化芸術館の運営で赤字が出れば、大変なことになる」と聞くと、「(損失が出ても)負担は最小限にと伝えてあります」と答えた。実際に運営を担うサントリーパブリシティサービスの文化事業担当部長、篠原慎一氏は「責任分担は9対1で合意ずみです。私どもが9、財団と協会が合わせて1」と認めた。
なんのことはない。事業の幅を広げたい山形交響楽協会がサントリー側に声をかけたが、指定管理者の募集要項には「県内に主たる事務所(本店)があること」という資格要件があり、サントリー側は代表にはなれない。かといって、山形交響楽協会では代表として力不足。そこで県の幹部が生涯学習文化財団に頼み込んだ、という構図のようだ。県の外郭団体をダミーとして使ったのである。
2月下旬の県議会常任委員会で、選定のプロセスが問題になった。村形弘也・県総合文化芸術館整備推進室長は「財務状況が健全で安定的な運営が可能となる経営基盤があるか」などを総合的に評価した、と答弁した。おかしな答えである。表1にあるように、審査項目には「財務状況と経営基盤」も含まれている。7人の審査委員はそれも含めて採点しているからだ。
審査委員長を務めた齋藤真幸次長に説明を求めた。事実関係については「議事概要をご覧ください」と答えるのみ(現在、開示請求中)。決定のプロセスについても「(村形室長の)答弁の通りです」とかわした。「木で鼻をくくる」という表現がぴったりの対応だった。
指定管理者制度は2003年、小泉政権の時に導入された。公営施設の運営に民間の活力とノウハウを導入してサービスの向上と効率化を図るために作られた制度だ。県の外郭団体をダミーとして担ぎ出し、県の幹部職員が審査結果をひっくり返して管理者を決めた今回のケースは、制度の根幹を揺るがすもので、審査委員を引き受けた専門家たちもあきれたことだろう。
この制度に詳しい香川大学の三野(みの)靖・法学部長は「指定管理者をどのようにして決めるかについて、自治体には裁量権がある。ただ、裁量権を逸脱していないかという問題はある。制度の趣旨から考えれば、これは問題になり得るケースだろう」と言う。
実際、自治体による指定管理者の決定が違法とされた事例がある。2014年に北茨城市が観光施設の指定管理者を公募し、審査会が民間企業を選んだのに、市長がこれを覆して市の外郭団体を管理者にした。これを不当として企業側が訴え、水戸地裁でも東京高裁でも企業側が勝訴した(昨年、判決が確定)。今回は、知事が決定する前に県幹部が審査委員会の評価を覆しており、より巧妙と言える。
吉村美栄子知事は「冷ったい県政から温かい県政に」と唱えて当選したが、いつの間にかそれは「身内と取り巻きに温かい県政」に転じてしまったようだ。ステージアンサンブル東北のように、小粒ながら一生懸命働いてきた人たちの努力に砂をかけるようなことをしておいて、「山形を元気に」と呼びかけても虚しく響くだけだ。
知事は観光の振興に熱心だ。サクランボのかぶり物をして、トップセールスに精を出している。県商工労働観光部の末席にあった観光振興課は、吉村県政になってから人員も予算も急増した。ついには観光文化スポーツ部として独立し、観光立県推進課と名を変えて主幹課になった。その部局が勢いに乗り、歪んだ行政を推し進めている。
山形駅西口の県総合文化芸術館は、表3に見るように計画の検討開始から27年の曲折を経て、ようやくこの秋に完成する。用地取得に67億円、建設に148億円が投じられる。さらに、来年春に本格的にオープンすれば、指定管理者に年間約3億円、5年余で15億円の管理料が支払われる。
長い年月と多額の血税を費やして、山形に新しい文化の拠点が誕生する。その施設を舞台にして、県の幹部が意のままに振る舞い、物事を決めていく。こんなことをいつまで繰り返すのか。いつまで許すのか。目を覚まし、声を上げる時だ。
*このコラムは月刊『素晴らしい山形』の4月号に寄稿した文章を若干手直ししたものです。表1から表3をクリックすると、内容が表示されます。
≪訂正≫月刊『素晴らしい山形』4月号の山形県総合文化芸術館の指定管理者選考に関する記事(4ページ)に「細谷理事長に『県側から要請されて、渋々引き受けたと聞きました』と問うと、肯定も否定もしなかった」と書きましたが、「問うと、否定した」に訂正します(ウェブ版は訂正ずみ)。細谷氏から申し入れがありました。山形県生涯学習文化財団が指定管理者の共同企業体の代表を引き受けた経緯についてはなお調査中です。
≪写真説明とSource≫
山形駅西口に建設中の山形県総合文化芸術館の完成予想図(「ふるさとチョイス」のサイトから)
https://www.furusato-tax.jp/product/detail/06000/4411576
*メールマガジン「風切通信 54」 2019年3月10日
あの日、東北は雪だった。大きく、異様に長い揺れ。海が巨大な壁となって押し寄せ、家と工場をなぎ倒していった。後に残された瓦礫の山と黒い泥。降りしきる雪の中で、被災者は凍えていた。その光景を思い出すと、今でも目がうるむ。
東北全域が停電になり、その夜は光がなかった。被災者は天を仰ぎ、今まで見たこともない満天の星を目にした。海を押し上げた地殻のとてつもないエネルギー。そして、何事もなかったかのようにまたたく星。心に沁みる星空だったという。
自然の力におののきながらも、被災者は健気だった。声を荒げることもなく、静かに列をつくって支援物資を受け取り、生きるために歩き始めた。災害列島に生まれ、しばしば天災に見舞われ、耐え抜くしか術(すべ)がないから、ということもあるのかもしれない。けれども、それだけだったのか。
私は「被災した人たちは信じていたのだ」と思う。私たちの社会は、苦しむ人たちを見捨てたりしない。支援の手が必ず差し伸べられる。だから、いたわり合いながら、それを待とう――そう確信していたから、静かに並ぶことができたのではないか。その姿を通して、見つめる人たちまで元気づけることができたのではないか。
大きな災害や紛争があり、食べ物と飲み水が欠乏すれば、誰もが家族を守るために血眼になる。貧しい国に限った話ではない。ハリケーンに襲われたアメリカでも、支援物資を受け取るために集まった群衆を力で押しとどめなければならなかった。それは自然なことであり、誰も非難したりできない。
だからこそ、世界は驚いたのだ。あれほどの大災害が起き、あれだけの犠牲者を出したのに、生き残った人たちが静かに列をなしていることに。そうした社会を作り上げてきたことを、少なくとも私たちは誇りにしてもいいのではないか。
東日本大震災の後、国連関係者や災害支援の国際組織の人たちの間で、「日本から学ぶ10のこと」という詩が作られ、広まった。
1. 静けさ
胸をたたいたり、取り乱したりする映像はまったくなかった。悲しみそのものが気高いものになった。
2. 厳粛さ
水や食料を求める整然とした行列。声を荒げることも粗野な振る舞いもなく。
3. 才覚
例えば、信じがたいような建築家たち。建物は揺れたが、倒れなかった。
4. 品格
人々は取りあえず必要な物だけを買った。だから、みんな何がしかのものを手にすることができた。
5. 秩序
商店の略奪なし。道路には警笛を鳴らす者も追い越しをする者もいない。思慮分別があった。
6. 犠牲
50人の作業員が原子炉に海水を注入するためにとどまった。彼らに報いることなどできようか。
7. 優しさ
レストランは料金を下げた。ATMは警備もしていないのにそこにある。強き者が弱き者の世話をした。
8. 訓練
老人も子どもも、みんな何をすべきかよく分かっていた。そして、それを実行した。
9. 報道
速報に際して、彼らはとてつもない節度を示した。愚かな記者はいない。落ち着いた報道だった。
10. 良心
店が停電になると、人々は品物を棚に戻し、静かに立ち去った。
大震災から8年。被災地はまだ、復興のただ中にある。福島では、いつ終わるとも知れない原発事故への対処が続いている。私たちも、後に続く世代もそれを背負って生きていくしかない。険しい道だ。けれども、私たちの社会には世界を驚かせる力もある。その力を信じて、ともに歩んでいきたい。
《詩のSource》
「日本から学ぶ10のこと」 “ 10 things to learn from JAPAN “ には、いくつかのバージョンがあります。上記の詩は次のURLから引用したものです(日本語訳は長岡昇)。
http://www.facebook.com/notes/xkin/10-things-to-learn-from-japan-/202059083151692
≪写真説明とSource≫
冬の星座(ブログ「星空の珊瑚礁」から)
https://hosiya.at.webry.info/201902/article_1.html