政治家や官僚と癒着して利益をむさぼる商人のことを世間では「政商」と呼ぶ。この言葉を聞いて私が思い浮かべるのは、児玉誉士夫(よしお)と小佐野賢治の2人である。ともに、田中角栄元首相がロッキード社の航空機の売り込みにからんで、首相在任中に5億円の賄賂を受け取ったとして逮捕、起訴された「ロッキード疑獄」で名を馳せた。
児玉は福島県、小佐野は山梨県の生まれである。2人とも極貧の家に生まれた。子どものころ、児玉は父親と掘っ立て小屋で暮らし、小佐野に至っては家すらなく、村の寺の軒先で夜露をしのいだと伝わる。その生い立ちを抜きにして、2人の壮絶な人生は語れない。
児玉は戦前、右翼の活動家になり、笹川良一の紹介で海軍航空本部の嘱託(佐官待遇)になる。上海を拠点に航空機の生産に欠かせないタングステンやニッケルなど戦略物資の調達にあたった。アヘンの密売に手を染め、その収益と軍費で物資を買い集めたという。
敗戦の直前、児玉はそうした戦略物資や貴金属を大量に抱えて引き揚げた。戦後はその資産を元手に影響力を行使し、岸信介首相らを陰で支えた。
ロッキード社の幹部の証言によれば、同社は航空機を日本に売り込むため、児玉に700万ドル(当時のレートで21億円)のコンサルタント料を支払った。首相への5億円の賄賂はその一部と見られるが、彼は病気を理由に国会でも法廷でも証言に立たず、世を去った。
小佐野は戦前、自ら設立した自動車部品販売会社を足場に軍需省の仕事をし、戦後は駐留米軍を相手にした中古車販売や観光事業で財を成した。ホテル経営にも乗り出し、帝国ホテルも傘下に収めた。ロッキード事件では、国会で証人喚問に応じたものの「記憶にございません」という言葉を連発し、その年の流行語になった。
2人に共通しているのは「常に時の権力にすり寄る」という点である。それは戦前には軍部であり、戦後はアメリカだった。権力の周りには「甘い蜜」がふんだんにあることを知っていたからにほかならない。
安土桃山時代の大盗賊で釜茹での刑にされた石川五右衛門の歌舞伎のせりふを借りるなら、「浜の真砂(まさご)は尽きるとも世に政商の種は尽きまじ」と言うべきか。時と所は変わっても、政商は常に存在する。
わが故郷の山形県では、地元紙山形新聞の服部敬雄(よしお)社長が長く政商として君臨し、県政と山形市政を壟断(ろうだん)した。当時の板垣清一郎知事と金澤忠雄市長をあごで使い、巷では「服部天皇、板垣総務部長、金澤庶務課長」と揶揄された。
その服部氏が1991年に亡くなるや登場したのが吉村和文氏で、吉村美栄子知事の義理のいとこにあたる。彼は1992年にケーブルテレビ山形を設立して、政商としての第一歩を踏み出した。服部氏の後を継ぐかのように。
この会社の設立について、和文氏は朝日新聞の東北各県版に掲載されたインタビュー記事「私の転機」(2013年10月24日)で、次のように語っている。
「政治家になりたい、と思っていました。小学生の頃、朝起きると、いつも色んな人が茶の間に集まっていました。議員秘書だった父に、陳情に来ていたんです。(中略)その後、県議になった父をずっと見ていて、次第に政治家は困っている人を助ける仕事なんだと、志すようになりました」
「転機は1990年の山形市長選です。父は2度目の挑戦でしたが、7期目を目指す現職に僅差で敗れました。2回もサラリーマンを辞めて父の秘書をした私にとって、失意のどん底でした。(中略)ただ、山形を変えたいとの思いは強く、政治からメディアにツールを変えたんです」
「30代の仲間と準備を進め、92年に起業しました。500社を訪問して、50社から200万円ずつ出資を得て、資本金1億円を集めました」
事実関係に誤りはない。ただ、重要な要素が抜けている。この記事だけを読めば、「情報技術(IT)の世界に活路を見出そうとした実業家」のようなイメージを受けるが、この会社の設立は「起業」と呼べるようなものではなかった、という点である。
以前、このコラムで詳述したように、ケーブルテレビ事業は当時の郵政省(のち総務省)が国策として推し進めたものだ。全国各地に自治体が出資する「第三セクター会社」を設立させ、ケーブル敷設費の半分を補助金として支給して広めた。普通の民間企業に対して、そのような高率の補助が与えられることはない。
ケーブルテレビ山形の場合も、設立後に山形県や山形市など六つの自治体が計2900万円を出資して「第三セクター」としての体裁を整え、そこに億単位の補助金が流し込まれた。最初に出資した企業も、そうした仕組みが分かっているから安心して協力したのだ。
時代の波に乗って、当初、ケーブルテレビ事業は順調に伸びていった。だが、IT革命の進展に伴ってビジネスは暗転する。一般家庭でもインターネットが気軽に利用できるようになるにつれ、「ケーブルを敷設して家庭につなげ、多様なテレビ放送を楽しむ」というビジネスモデルが優位性を失っていったからだ。
今や、若い世代は映画やテレビドラマを、主にアマゾンプライムやネットフリックス、Hulu(フールー)といったIT企業のインターネットサービスを利用して見る。家でテレビにかじりつく必要はない。端末があれば、ダウンロードして都合のいい時に楽しむことができる。おまけに料金が安く、作品の質と量が勝っているのだから、当然の流れと言える。
日本のケーブルテレビ各社は、そうした新しいビジネスと生き残りをかけた競争を強いられている。小さい会社は次々に吸収合併されて消えていった。図1は、日本政策投資銀行がまとめた『ケーブルテレビ事業の現状』(2016年度決算版)に掲載された業界の略図である。
最大手のジュピターテレコムは、KDDIと住友商事が出資して作ったケーブルテレビ事業の統括会社だ。傘下に東京や大阪、九州のケーブルテレビ会社を擁し、サービス契約は2127万世帯。次が関西電力系のケイ・オプティコム(昨年、オプテージと社名変更)である。
各社とも、ケーブルを通してインターネットサービスを提供するなど生き残りを模索しているが、前途は容易ではない。ケーブルテレビ山形も4年前に「ダイバーシティメディア」と社名を変え、経営の多角化を図って難局を乗り切ろうとしている。
吉村和文氏が2番目に作ったのも「補助金頼りの会社」である。
2001年に経済産業省が「IT装備都市研究事業」という構想を打ち上げ、全国21カ所のモデル地区で実証実験を始めた。山形市もモデル地区に選ばれ、その事業の一翼を担うために設立したのが「バーチャルシティやまがた」という会社だ。ちなみに、当時の山形市長は和文氏の父親で県議から転じた吉村和夫氏である。
この事業は、国がIC(集積回路)を内蔵する多機能カードを作って市民に無料で配布し、市役所や公民館に設置された端末機器で住民票や印鑑証明書の発行を受けられるようにする、という大盤振る舞いの事業だった。登録した商店で買い物をすればポイントがたまるメリットもあるとの触れ込みで、「バーチャルシティやまがた」はこの部分を担うために作られた。
山形市は5万枚の市民カードを希望者に配布したが、利用は広がらなかった。おまけに総務省が翌2002年から住民基本台帳ネットワークを稼働させ、住基カードの発行を始めた。経産省と総務省が何の連携もなく、別々に似たような機能を持つカードを発行したのだ。「省あって国なし」を地で行く愚挙と言わなければならない。
全国で172億円を投じた経産省の実証実験はさしたる成果もなく頓挫し、総務省の住基カードも、その後、マイナンバーカードが導入されて無用の長物と化した。こちらの無駄遣いは、政府と自治体を合わせて1兆円近いとの試算がある(注参照)。
国民がどんなに勤勉に働いても、こんな税金の使い方をしていたら、国の屋台骨が揺らぎかねない。だが、官僚たちはどこ吹く風。責任を取る者は誰もいない。政商は肥え太り、次の蜜を探して動き回る。
吉村和文氏は多数の企業を率いるかたわら、学校法人東海山形学園の理事長をしている。多忙で、学校法人が運営する東海大山形高校に顔を出すことは少ないが、それでも入学式や卒業式には出席して生徒に語りかける。
彼のブログ「約束の地へ」によれば、2014年4月の入学式では「自分と向かい合うこと、主体的に行動すること」を訴え、さらに「棚ボタとは、棚の下まで行かなければ、ボタ餅は受け取れない。だから、前向きの状態でいること」と述べた。
いささか珍妙な講話だが、彼が歩んできた道を思えば、意味深長ではある。彼にとっては、郵政省のケーブルテレビ事業が第1のボタ餅、経済産業省のIT装備都市構想が第2のボタ餅なのかもしれない。そして、3番目が2007年頃から推し進められたユビキタス事業である。
ユビキタスとは、アメリカの研究者が考え出した言葉で、「あらゆる場所であらゆるものがコンピューターのネットワークにつながる社会」を意味する。衣服にコンピューターを取り付け、体温を測定して空調を自動調節する。ゴミになるものにコンピューターを取り付け、焼却施設のコンピューターと交信して処理方法を決める。そんな未来社会を思い描いていた。
日本では、坂村健・東大教授が提唱し、総務省がすぐに飛び付いた。2009年にユビキタス構想の推進を決定し、経済危機関連対策と称して195億円の補正予算を組み、全国に予算をばら撒いた。補助金の対象はまたもや「自治体と第三セクター」である。
山形県では鶴岡市や最上町とともにケーブルテレビ山形が補助の対象になり、「新山形ブランドの発信による地域・観光振興事業」に5898万円の補助金が交付された。その補助金で和文氏は「東北サプライズ商店街」なるサイトを立ち上げ、加盟した飲食店や商店の情報発信を始めた。そのサイトによってどの程度、成果が上がり、現在、どのように機能しているのかは窺い知れない。
だが、ITの技術革新は研究者や官僚たちの想定をはるかに超えて急激に進み、「ユビキタス」という言葉そのものが、すでにITの世界では「死語」と化した。スマートフォンが普及し、「あらゆる場所で誰もがネットワークにつながる社会」が到来してしまったからだ。
日本の政府や自治体がIT分野でやっていることは、IT企業の取り組みの「周回遅れ」と言われて久しい。周回遅れのランナーが訳知り顔で旗を振り、実験やら構想やらを唱えるのは滑稽である。その滑稽さを自覚していないところがいっそう悲しい。
この国はどうなってしまうのだろうか。「世の中、なんとかなる」といつも気楽に構えている私のような人間ですら、時々、本当に心配になってくる。
*注 週刊現代2016年1月31日号は、総務官僚の証言として次のように報じている。「住基ネットに費やされた税金は、システム構築の初期費用と運営維持費で2100億円ほど(13年間の合算)とされているが、全国の自治体でもシステム構築費と維持費がかかっており、それらを合計すれば全体で1兆円近い」
*メールマガジン「風切通信 68」 2020年1月29日
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』2020年2月号に寄稿した文章を若干手直ししたものです。
≪写真説明&Source≫
◎ロッキード事件で国会の証人喚問に応じた小佐野賢治
https://picpanzee.com/tag/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB
≪参考文献&サイト≫ *ウィキペディアのURLは省略
◎最後の「フィクサー」児玉誉士夫とは何者だったのか(週刊現代2016年12月10月号)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50389
◎稀代の政商「小佐野賢治」国際興業社長(週刊新潮3000号記念別冊「黄金の昭和」)
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/08211100/
◎『政商 小佐野賢治』(佐木隆三、徳間文庫)
◎石川五右衛門(ウィキペディア)
◎『ケーブルテレビ事業の現状』(2016年度決算版)日本政策投資銀行
◎ジュピター・テレコム(ウィキペディア)
◎オプテージ(同)
◎『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(ジーナ・キーティング、新潮社)
◎ICカードの普及等によるIT装備都市研究事業(電子自治体情報)
http://www.jjseisakuken.jp/elocalgov/contents/c108.html
◎血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」(週刊現代2016年1月31日号)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571
◎ユビキタスタウン構想実現を支援(総務省報道資料、2009年12月22日)
https://www.soumu.go.jp/soutsu/tohoku/hodo/h2110-12/1222b1001.html
児玉は福島県、小佐野は山梨県の生まれである。2人とも極貧の家に生まれた。子どものころ、児玉は父親と掘っ立て小屋で暮らし、小佐野に至っては家すらなく、村の寺の軒先で夜露をしのいだと伝わる。その生い立ちを抜きにして、2人の壮絶な人生は語れない。
児玉は戦前、右翼の活動家になり、笹川良一の紹介で海軍航空本部の嘱託(佐官待遇)になる。上海を拠点に航空機の生産に欠かせないタングステンやニッケルなど戦略物資の調達にあたった。アヘンの密売に手を染め、その収益と軍費で物資を買い集めたという。
敗戦の直前、児玉はそうした戦略物資や貴金属を大量に抱えて引き揚げた。戦後はその資産を元手に影響力を行使し、岸信介首相らを陰で支えた。
ロッキード社の幹部の証言によれば、同社は航空機を日本に売り込むため、児玉に700万ドル(当時のレートで21億円)のコンサルタント料を支払った。首相への5億円の賄賂はその一部と見られるが、彼は病気を理由に国会でも法廷でも証言に立たず、世を去った。
小佐野は戦前、自ら設立した自動車部品販売会社を足場に軍需省の仕事をし、戦後は駐留米軍を相手にした中古車販売や観光事業で財を成した。ホテル経営にも乗り出し、帝国ホテルも傘下に収めた。ロッキード事件では、国会で証人喚問に応じたものの「記憶にございません」という言葉を連発し、その年の流行語になった。
2人に共通しているのは「常に時の権力にすり寄る」という点である。それは戦前には軍部であり、戦後はアメリカだった。権力の周りには「甘い蜜」がふんだんにあることを知っていたからにほかならない。
安土桃山時代の大盗賊で釜茹での刑にされた石川五右衛門の歌舞伎のせりふを借りるなら、「浜の真砂(まさご)は尽きるとも世に政商の種は尽きまじ」と言うべきか。時と所は変わっても、政商は常に存在する。
わが故郷の山形県では、地元紙山形新聞の服部敬雄(よしお)社長が長く政商として君臨し、県政と山形市政を壟断(ろうだん)した。当時の板垣清一郎知事と金澤忠雄市長をあごで使い、巷では「服部天皇、板垣総務部長、金澤庶務課長」と揶揄された。
その服部氏が1991年に亡くなるや登場したのが吉村和文氏で、吉村美栄子知事の義理のいとこにあたる。彼は1992年にケーブルテレビ山形を設立して、政商としての第一歩を踏み出した。服部氏の後を継ぐかのように。
この会社の設立について、和文氏は朝日新聞の東北各県版に掲載されたインタビュー記事「私の転機」(2013年10月24日)で、次のように語っている。
「政治家になりたい、と思っていました。小学生の頃、朝起きると、いつも色んな人が茶の間に集まっていました。議員秘書だった父に、陳情に来ていたんです。(中略)その後、県議になった父をずっと見ていて、次第に政治家は困っている人を助ける仕事なんだと、志すようになりました」
「転機は1990年の山形市長選です。父は2度目の挑戦でしたが、7期目を目指す現職に僅差で敗れました。2回もサラリーマンを辞めて父の秘書をした私にとって、失意のどん底でした。(中略)ただ、山形を変えたいとの思いは強く、政治からメディアにツールを変えたんです」
「30代の仲間と準備を進め、92年に起業しました。500社を訪問して、50社から200万円ずつ出資を得て、資本金1億円を集めました」
事実関係に誤りはない。ただ、重要な要素が抜けている。この記事だけを読めば、「情報技術(IT)の世界に活路を見出そうとした実業家」のようなイメージを受けるが、この会社の設立は「起業」と呼べるようなものではなかった、という点である。
以前、このコラムで詳述したように、ケーブルテレビ事業は当時の郵政省(のち総務省)が国策として推し進めたものだ。全国各地に自治体が出資する「第三セクター会社」を設立させ、ケーブル敷設費の半分を補助金として支給して広めた。普通の民間企業に対して、そのような高率の補助が与えられることはない。
ケーブルテレビ山形の場合も、設立後に山形県や山形市など六つの自治体が計2900万円を出資して「第三セクター」としての体裁を整え、そこに億単位の補助金が流し込まれた。最初に出資した企業も、そうした仕組みが分かっているから安心して協力したのだ。
時代の波に乗って、当初、ケーブルテレビ事業は順調に伸びていった。だが、IT革命の進展に伴ってビジネスは暗転する。一般家庭でもインターネットが気軽に利用できるようになるにつれ、「ケーブルを敷設して家庭につなげ、多様なテレビ放送を楽しむ」というビジネスモデルが優位性を失っていったからだ。
今や、若い世代は映画やテレビドラマを、主にアマゾンプライムやネットフリックス、Hulu(フールー)といったIT企業のインターネットサービスを利用して見る。家でテレビにかじりつく必要はない。端末があれば、ダウンロードして都合のいい時に楽しむことができる。おまけに料金が安く、作品の質と量が勝っているのだから、当然の流れと言える。
日本のケーブルテレビ各社は、そうした新しいビジネスと生き残りをかけた競争を強いられている。小さい会社は次々に吸収合併されて消えていった。図1は、日本政策投資銀行がまとめた『ケーブルテレビ事業の現状』(2016年度決算版)に掲載された業界の略図である。
最大手のジュピターテレコムは、KDDIと住友商事が出資して作ったケーブルテレビ事業の統括会社だ。傘下に東京や大阪、九州のケーブルテレビ会社を擁し、サービス契約は2127万世帯。次が関西電力系のケイ・オプティコム(昨年、オプテージと社名変更)である。
各社とも、ケーブルを通してインターネットサービスを提供するなど生き残りを模索しているが、前途は容易ではない。ケーブルテレビ山形も4年前に「ダイバーシティメディア」と社名を変え、経営の多角化を図って難局を乗り切ろうとしている。
吉村和文氏が2番目に作ったのも「補助金頼りの会社」である。
2001年に経済産業省が「IT装備都市研究事業」という構想を打ち上げ、全国21カ所のモデル地区で実証実験を始めた。山形市もモデル地区に選ばれ、その事業の一翼を担うために設立したのが「バーチャルシティやまがた」という会社だ。ちなみに、当時の山形市長は和文氏の父親で県議から転じた吉村和夫氏である。
この事業は、国がIC(集積回路)を内蔵する多機能カードを作って市民に無料で配布し、市役所や公民館に設置された端末機器で住民票や印鑑証明書の発行を受けられるようにする、という大盤振る舞いの事業だった。登録した商店で買い物をすればポイントがたまるメリットもあるとの触れ込みで、「バーチャルシティやまがた」はこの部分を担うために作られた。
山形市は5万枚の市民カードを希望者に配布したが、利用は広がらなかった。おまけに総務省が翌2002年から住民基本台帳ネットワークを稼働させ、住基カードの発行を始めた。経産省と総務省が何の連携もなく、別々に似たような機能を持つカードを発行したのだ。「省あって国なし」を地で行く愚挙と言わなければならない。
全国で172億円を投じた経産省の実証実験はさしたる成果もなく頓挫し、総務省の住基カードも、その後、マイナンバーカードが導入されて無用の長物と化した。こちらの無駄遣いは、政府と自治体を合わせて1兆円近いとの試算がある(注参照)。
国民がどんなに勤勉に働いても、こんな税金の使い方をしていたら、国の屋台骨が揺らぎかねない。だが、官僚たちはどこ吹く風。責任を取る者は誰もいない。政商は肥え太り、次の蜜を探して動き回る。
吉村和文氏は多数の企業を率いるかたわら、学校法人東海山形学園の理事長をしている。多忙で、学校法人が運営する東海大山形高校に顔を出すことは少ないが、それでも入学式や卒業式には出席して生徒に語りかける。
彼のブログ「約束の地へ」によれば、2014年4月の入学式では「自分と向かい合うこと、主体的に行動すること」を訴え、さらに「棚ボタとは、棚の下まで行かなければ、ボタ餅は受け取れない。だから、前向きの状態でいること」と述べた。
いささか珍妙な講話だが、彼が歩んできた道を思えば、意味深長ではある。彼にとっては、郵政省のケーブルテレビ事業が第1のボタ餅、経済産業省のIT装備都市構想が第2のボタ餅なのかもしれない。そして、3番目が2007年頃から推し進められたユビキタス事業である。
ユビキタスとは、アメリカの研究者が考え出した言葉で、「あらゆる場所であらゆるものがコンピューターのネットワークにつながる社会」を意味する。衣服にコンピューターを取り付け、体温を測定して空調を自動調節する。ゴミになるものにコンピューターを取り付け、焼却施設のコンピューターと交信して処理方法を決める。そんな未来社会を思い描いていた。
日本では、坂村健・東大教授が提唱し、総務省がすぐに飛び付いた。2009年にユビキタス構想の推進を決定し、経済危機関連対策と称して195億円の補正予算を組み、全国に予算をばら撒いた。補助金の対象はまたもや「自治体と第三セクター」である。
山形県では鶴岡市や最上町とともにケーブルテレビ山形が補助の対象になり、「新山形ブランドの発信による地域・観光振興事業」に5898万円の補助金が交付された。その補助金で和文氏は「東北サプライズ商店街」なるサイトを立ち上げ、加盟した飲食店や商店の情報発信を始めた。そのサイトによってどの程度、成果が上がり、現在、どのように機能しているのかは窺い知れない。
だが、ITの技術革新は研究者や官僚たちの想定をはるかに超えて急激に進み、「ユビキタス」という言葉そのものが、すでにITの世界では「死語」と化した。スマートフォンが普及し、「あらゆる場所で誰もがネットワークにつながる社会」が到来してしまったからだ。
日本の政府や自治体がIT分野でやっていることは、IT企業の取り組みの「周回遅れ」と言われて久しい。周回遅れのランナーが訳知り顔で旗を振り、実験やら構想やらを唱えるのは滑稽である。その滑稽さを自覚していないところがいっそう悲しい。
この国はどうなってしまうのだろうか。「世の中、なんとかなる」といつも気楽に構えている私のような人間ですら、時々、本当に心配になってくる。
*注 週刊現代2016年1月31日号は、総務官僚の証言として次のように報じている。「住基ネットに費やされた税金は、システム構築の初期費用と運営維持費で2100億円ほど(13年間の合算)とされているが、全国の自治体でもシステム構築費と維持費がかかっており、それらを合計すれば全体で1兆円近い」
*メールマガジン「風切通信 68」 2020年1月29日
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』2020年2月号に寄稿した文章を若干手直ししたものです。
≪写真説明&Source≫
◎ロッキード事件で国会の証人喚問に応じた小佐野賢治
https://picpanzee.com/tag/%E5%B0%8F%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%B3%A2%E6%B2%BB
≪参考文献&サイト≫ *ウィキペディアのURLは省略
◎最後の「フィクサー」児玉誉士夫とは何者だったのか(週刊現代2016年12月10月号)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/50389
◎稀代の政商「小佐野賢治」国際興業社長(週刊新潮3000号記念別冊「黄金の昭和」)
https://www.dailyshincho.jp/article/2016/08211100/
◎『政商 小佐野賢治』(佐木隆三、徳間文庫)
◎石川五右衛門(ウィキペディア)
◎『ケーブルテレビ事業の現状』(2016年度決算版)日本政策投資銀行
◎ジュピター・テレコム(ウィキペディア)
◎オプテージ(同)
◎『NETFLIX コンテンツ帝国の野望』(ジーナ・キーティング、新潮社)
◎ICカードの普及等によるIT装備都市研究事業(電子自治体情報)
http://www.jjseisakuken.jp/elocalgov/contents/c108.html
◎血税1兆円をドブに捨てた「住基ネット」(週刊現代2016年1月31日号)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47571
◎ユビキタスタウン構想実現を支援(総務省報道資料、2009年12月22日)
https://www.soumu.go.jp/soutsu/tohoku/hodo/h2110-12/1222b1001.html
2003年1月20日付 朝日新聞 社説
ただひたすら土を集める。造形作家の栗田宏一さん(40)が修行僧のような仕事を始めてから、もう10年以上がたつ。
車で全国を回る。持ち帰る土は、いつも一握りだけ。「もっと欲しいと思いだしたら、際限がなくなるから」という。山梨県石和(いさわ)町の自宅で、その土を乾かし、ふるいにかけてサラサラにする。淡い桃色の土、青みを帯びた土、灰白色の土。同じものはひとつとしてない。
少しずつ色合いの異なる土を細いガラス管に詰めて並べると、長い虹ができる。そうして生まれた作品が「虹色の土」だ。京都の法然院では、庫裏に小さな土盛りを多数配して曼陀羅をつくった。ふだん気にもとめない土が放つ色彩の豊かさに、訪れた人は息をのんだ。
古い土器のかけらを手にしたり、石ころを集めたりするのが好きな子どもだった。宝石加工の専門学校を出た後、アジアやアフリカを旅した。宿代を含め1日千円で暮らす日々。触れ合う人々は貧しかったが、大地を踏みしめて生きていた。その国々の土をテープではがきにはり付けて、日本の自分の住所に送った。