吉村美栄子知事の義理のいとこ、吉村和文氏が社長をつとめる「ケーブルテレビ山形」は、2016年1月に「ダイバーシティメディア」と社名を変更した。
吉村県政が誕生した後、会社の売上高は急増したが、2011年3月期をピークに減少に転じた。とくに、主力のケーブルテレビ事業の収入が減り続けている(図1)。その落ち込みを補うためには経営を多角化するしかない。社名の変更は、その決意を示したものだろう。
この会社が学校法人、東海山形学園から3000万円の融資を受けたのは、社名変更から2カ月後のことだ。かなりの金額である。その融資が何のためだったのか、経営のかじ取りをする社長が記憶していないはずがない。
融資の目的について、和文氏は山形新聞の取材に対して次のように答えている。
「ダイバー社のハイビジョン化の設備投資を目的に、複数金融機関の融資承認がそろうまでの間の短期貸付だった」(2017年7月4日付の記事)
先細り気味とはいえ、ケーブルテレビ事業は売り上げの7割を占める。その部門への設備投資を怠るわけにはいかない。けれども、メインバンクの山形銀行をはじめとする金融機関はなかなか金を貸してくれない。それで自分が理事長をしている学校法人から借りた――というわけだ。
その3000万円をダイバー社は2カ月後に返済している。融資の審査が終わって銀行が貸してくれたのか、といった疑問は残るものの、それなりに筋の通った説明だった。
ところが、和文氏は最近になって「設備投資のための融資説」を撤回し、あれは「学校法人の資産運用だった」と言い始めた。今年の10月15日付で報道各社に配布した「東海山形学園の貸付についての経緯説明」という文書で次のように記している。少し長いが、冒頭部分をそのまま引用する。
「東日本大震災後の2013年当時は、国や県から校舎の耐震強化についての指導があり、本学園においても、生徒と教職員の命に関わる大事業に取り組むにあたり、いかにして自己資金を増やし経営を安定させるかが大きな課題でありました」
「このことについて理事会では何度も議論を重ね、学園の資金を増やし、耐久年数が心配される校舎の改築費用に充て、私立学校の高額な授業料を減額する目的で、文部科学省の『学校法人における資産運用について』を参考に『運用の安全性』を考慮し、元本が保証され資産が毀損(きそん)しない相手として、2013年に私個人に5000万円、2016年にダイバーシティメディアに3000万円の貸付を行いました」
このコラム(2020年9月30日)でお伝えしたように、和文氏個人にもダイバー社にもこの時期、担保として提供できる資産はほとんどなく、金融機関は融資を渋っていた。それを「元本の返済が保証される相手」と記す感覚には驚いてしまう。貸付に伴うリスクをまるで考えていない。
文書はA4判で2ページ分ある。2ページ目には、この資金運用について学校法人の理事会でどのような手続きをしたか、私学助成を担当する山形県学事文書課からどのような指摘を受けたかについて詳細につづっている。
とりわけ、和文氏が学校法人の理事長と会社の社長を兼ねていることから、金銭の貸付が利益相反行為になることについては「所轄庁である県に(特別代理人の選任を)申請しなければなりませんでしたが、その認識がなく、それを行っていませんでした。(中略)当学園の責任であり、心よりお詫び申し上げます」と陳謝している。
利益相反行為について「その認識がなかった」と書いている部分は正直とも言えるが、「会社の金も学校の金も自分のもの」と考えていたことを“自白”したようなものだ。学校法人の理事長としての資質を問われかねない重大事だが、そうした意識もないのだろう。
文書では、最初から最後まで「資産の運用だった」という主張を貫いている。「設備投資のための融資」という表現はまったく出てこない。してみると、先の山形新聞の取材に対しては「口から出まかせのウソ」を言った、ということだろう。河北新報にも当時、「資金は設備投資に充てた」と答えている(写真)。これもデタラメだったことになる。
報道機関に対してウソをつくのは許しがたいことである。ウソをつかれたと分かったなら、記者は猛烈に怒らなければならない。読者や視聴者はそれを事実と受けとめるからだ。少なくとも、報道する者にはその矛盾をきちんと追及し、フォーローする責任がある。黙って見過ごしてはいけない。
では、今回の釈明は信用できるのか。
文書によれば、最初に問題になった2016年の3000万円融資については、2カ月後に年利2・5%の利息13万円余りを付けて返済したという。そして、この秋に発覚した2013年の5000万円については「8日後」に同じ年利で2万7397円の利息を付けて返した、と記している。
資産の運用は通常、株式や債券などを購入して行う。リスクはあるが、見返りも大きい。リスクが心配なら、国債を買ったり、金融機関に定期で預けたりするのが常道だ。「8日間、金を貸して利子を得る」のを資産運用と言い張るのは和文氏くらいだろう。
金を貸して利子を取るのは「貸金業」という。もし、東海山形学園がこうしたことを繰り返せば、今度は貸金業法に触れるおそれがある。文部科学省も山形県も、学校法人が「資産運用のため」貸金業を営むのを認めることはあるまい。
いずれにせよ、利益相反行為の場合に必要な「特別代理人の選任」を怠ったので、東海山形学園は理事会でこれを追認する手続きを踏まなければならなかった。2016年の3000万円の貸付は、その年の9月の理事会で追認した。一方、2013年の5000万円については今年10月の理事会で追認したという。
なんと、7年もたってからの追認だ。異様と言うしかない。しかも、こんな重要なことを県には「口頭で報告」したのだとか。それで了承した学事文書課もどうかしている。議事録を添えて文書で報告させ、議事の内容をきちんと確認するのが当然ではないか。東海山形学園も県当局も常軌を逸している。
報道各社あてのこの文書は、10月27日に山形県私学会館で開かれた県内の学校法人の理事長・校長会でも日付だけ手直しして配布され、和文氏が釈明にあたった。出席者によれば、この会合でも「8日間の資産運用というのは短すぎるのではないか」という質問が出た。これに対し、和文氏は「試しに運用してみた」などと説明して煙に巻いたという。
質問はこれだけだった。出席者の一人は「少子化で生徒が減り、どこの高校も経営が厳しい。銀行から金を借りるのならともかく、貸すことなど考えられません」と述べ、こう言葉を継いだ。「ただ、私立学校にはそれぞれの立場があります。よその学校のことについて、あれこれ言うわけにはいきません」
誰も納得していない。和文氏はなぜ設備投資のための融資説を撤回したのか。これで資産の運用と言えるのか。和文氏に手紙をしたためて問い合わせたが、返事はない。説明を求めようと会社に電話をかけても、彼は出てこなかった。
本当は何に使ったのか。この5000万円については「プロレスに投資したのではないか」との憶測が消えない。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木といったスター選手がリングを降りてから、プロレス業界は四分五裂の状態に陥った。5000万円の貸付があった2013年当時も、人気プロレスラーの秋山準ら5人の選手がそれまで属していた団体から離れ、全日本プロレスに移籍する騒動があった。
事情通によると、この時、秋山選手らを支えたのがケーブルテレビ山形の吉村和文氏とジャイアント馬場の元子夫人だった。元子夫人は横浜市青葉区にあるプロレスの道場と合宿所を提供し、資金はケーブルテレビ山形が負担する段取りになったようだ。興行権の確保や新会社の設立準備などのため数千万円の資金を必要としたはず、という。
翌2014年の夏、和文氏は「全日本プロレス・イノベーション」(本社・山形市)という持ち株会社と運営会社の「オールジャパン・プロレスリング」(本社・横浜市)を立ち上げ、両方の会社の取締役会長に就任した。社長は秋山選手である。
ケーブルテレビが生き残るためには、NHKや民放が放送しない、あるいは放送できない番組を提供しなければならない。プロレスはそのための有力なコンテンツの一つ、と考えて進出を決めたようだ。
和文氏はかなり前から、プロレスに関心を寄せていた。彼のブログ「約束の地へ」で「プロレス」と打ち込んで検索すると、この10年間で122件もヒットする。
ブログの主なものに目を通してみた。2013年ごろ、山形南高校応援団の後輩でプロレスのプロモーターをしていた高橋英樹氏や「平成のミスタープロレス」と呼ばれた武藤敬司氏、馬場元子夫人らが相次いで山形を訪れていた。和文氏に会うためで、彼は「プロレスのタニマチ」のように振る舞っている。新しいビジネスへの進出に意欲を燃やしていた。
ただ、この業界は昔から「売り上げの分配」をめぐる争いが絶えない。それぞれの選手にいくらギャラを払うのか。興行主の取り分をどうするのか。関連グッズの売り上げは・・・。新たにスタートした全日本プロレスも例外ではなかった。
別冊宝島のプロレス特集(2016年2月28日)によれば、立ち上げから1年で、新生全日本プロレスは5000万円の赤字になってしまった(図2)。「始める前は気分が高揚して期待を持ってしまうのだけれども、見通しが甘すぎるのと、現場の選手たちは誰も親会社に恩義など感じていないので、結果としてこうなってしまう」のだという。和文氏が会長をつとめる持ち株会社の最近3年間の決算を見ても、ずっと赤字続きだ。
秋山選手はすでに社長を退き、別のプロレス団体のコーチをしている。新会社の立ち上げ時に何があったのか。事実関係を問いただそうとしたが、ついに接触できなかった。
5000万円は何に使われたのか。いまだ闇の中である。
◇ ◇
3年前、東海山形学園からダイバーシティメディアへの3000万円融資問題が表面化した際、吉村美栄子知事は記者会見でどう思うか問われ、「(学校法人が)適切に運営されているのであれば、よろしいのではないかというふうに思っております。(中略)そのことについて問題ないようだというふうに担当のほうから聞いております」と涼しい顔で答えた。
その後、東海山形学園が私立学校法に定められた「特別代理人の選任申請」をしていなかったことが明らかになった。3000万円融資の事実は県に提出された貸借対照表に記載されており、担当者はそれが利益相反行為に該当することを知り得たのに、漫然と見過ごしていたことも判明した。
学校法人は、ちっとも「適切に運営」されていなかったし、「担当のほう」もまるで頼りにならない仕事ぶりだった。さらに、5000万円の貸付について担当者はその後、気づいたのに、市民オンブズマンが発表するまで隠していた。知事の涼しい顔は、次第に苦々しい顔に変わっていった。
とはいえ、吉村知事は4期目をめざして、来年1月の知事選に出馬することを表明した。「いつまでも、こんなことに構っていられない。知事選に全力を注ぐだけ」という心境だろう。
出馬表明の記者会見では、新型コロナウイルスへの対応と経済対策との両立を図る考えを示し、最初の知事選の時の初心に帰って「正々堂々と政策を掲げて戦いたい」と述べた。県政と吉村一族企業との問題など小さな争点にすらならない、という風情だ。
だが、一族企業と学校法人の問題はそんなに根の浅いものではない。実は、吉村和文氏は毎年のように利益相反行為を繰り返している疑いがあるのだ。
和文氏はダイバーシティメディアの社長であり、学園の理事長であると同時に、映画館運営会社「ムービーオン」の社長も兼ねている。
東海大山形高校の教職員や生徒、保護者の証言によれば、学園は毎年、生徒全員分の映画チケットを購入し、タダで配っているという。映画チケットは各映画館共通のチケットではない(そのようなものはない)。生徒に配られたのは「ムービーオン」という特定の映画館のチケットである。
筆者の取材によれば、少なくとも2014年まで遡ることができる。関係者が多数いるので、確認するのも難しいことではない。
東海大山形高校の生徒数は図3の通りである。ここ7年間の平均だと、800人ほどだ。高校生の団体割引の映画チケットは1枚800円なので、生徒数を掛けると年間64万円、7年で448万円になる。
それほど大きな金額ではないが、問題はそれらの映画チケットの購入が「東海山形学園 吉村和文理事長」の名前で行われることにある。この学校法人を代表して購入契約を結ぶ権限があるのは理事長ただ一人だけだ。
つまり、東海山形学園は毎年、理事長が社長を兼ねる映画館会社のチケットを大量に購入して売り上げ増に貢献しているが、それらのチケット購入はすべて「利益相反行為」になる、ということだ。
利益が相反する以上、そうしたことは理事長の権限で行うことはできない。私立学校法に基づいて、学園は毎年、所轄庁の山形県に「特別代理人の選任」を申請し、利害関係のない第三者に取引が公正かどうかチェックしてもらう義務があった。
さらに、今春施行の法改正によって特別代理人の選任は不要になったが、利益相反行為であることに変わりはないので、今後も理事会で厳正にチェックする必要がある。一族企業と学校法人の間で、資金の融通や物品の購入を勝手気ままに行うことは、いかなる場合でも許されないのだ。
ことは、東海山形学園とダイバーシティメディア、ムービーオンだけの関係にとどまらない。学園が一族企業と交わすすべての契約について「利益相反行為」の疑いが生じ、チェックする必要が出てくる。
多数の企業を経営する人物が学校法人の理事長を兼ねれば、常にこういう問題が起き、公平さを疑われる事態を招くことになる。
だからこそ、文部科学省は「理事長についてはできる限り常勤化や兼職の制限を行うことが期待される」との事務次官通知(2004年7月23日付)を出し、さらに「理事長は責任に見合った勤務形態を取り、対内的にも対外的にも責任を果たしていくことが重要と考える。兼職は避けることが望ましい」との見解(高等教育局私学行政課)を出しているのだ。
普通なら、都道府県の職員は中央官庁の通知に沿って、粛々と実務を進めていく。だが、問題の学校法人の理事長は知事の縁者で、知事室にわがもの顔で出入りしている人物だ。誰もその権限を適切に使い、職責をまっとうしようとしない。
それどころか、県内周遊促進事業の業務委託問題で見たように、和文氏にすり寄り、便宜を図った者がトントンと出世していく。それを周りの幹部や職員は見ている。県庁の空気はよどみ、活力が失われていく。
中堅幹部の言葉が忘れられない。彼は次のように嘆いた。
「県職員として一番やりがいを感じたのは、係長や主査のころでした。新しい事業を立ち上げるため、みんなでアイデアを出し合い、『これがいい』『こんな方法もある』と、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をして練っていきました。それを課長補佐や課長に上げて通し、予算化していくのが実に楽しかった」
「吉村知事は2期目の頃から、何でも自分で決めないと済まないようなスタイルになっていった。下から積み上げていっても、気に入らなければ歯牙にもかけない。一方で、上から突然、ドスンと新しい事業を下ろしてくる。フル規格の新幹線整備事業のように。これでは、若い職員はたまらない。振り回されるばかりで、意欲がなえていくのです」
吉村知事は政治や社会の小さな動きには敏感だが、歴史の大きな流れには鈍感だ。情報技術(IT)革命のインパクトのすさまじさがまるで分っていない。それゆえに、県庁ではいまだに「紙とハンコ」を使って仕事をしている。
菅政権が「デジタル庁の創設」を言い始めた途端、「県の業務のデジタル化」などと言い始めたが、この12年、いったい何をしていたのか。
「道半ば」と知事は言う。その道はどこに通じているのか。何を信じて歩んでいるのか。
*メールマガジン「風切通信 82」 2020年11月29日
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』2020年12月号に寄稿した文章を若干手直しして転載したものです。写真は12月号の表紙のイラスト
*図1、2、3をクリックすると、内容が表示されます
吉村県政が誕生した後、会社の売上高は急増したが、2011年3月期をピークに減少に転じた。とくに、主力のケーブルテレビ事業の収入が減り続けている(図1)。その落ち込みを補うためには経営を多角化するしかない。社名の変更は、その決意を示したものだろう。
この会社が学校法人、東海山形学園から3000万円の融資を受けたのは、社名変更から2カ月後のことだ。かなりの金額である。その融資が何のためだったのか、経営のかじ取りをする社長が記憶していないはずがない。
融資の目的について、和文氏は山形新聞の取材に対して次のように答えている。
「ダイバー社のハイビジョン化の設備投資を目的に、複数金融機関の融資承認がそろうまでの間の短期貸付だった」(2017年7月4日付の記事)
先細り気味とはいえ、ケーブルテレビ事業は売り上げの7割を占める。その部門への設備投資を怠るわけにはいかない。けれども、メインバンクの山形銀行をはじめとする金融機関はなかなか金を貸してくれない。それで自分が理事長をしている学校法人から借りた――というわけだ。
その3000万円をダイバー社は2カ月後に返済している。融資の審査が終わって銀行が貸してくれたのか、といった疑問は残るものの、それなりに筋の通った説明だった。
ところが、和文氏は最近になって「設備投資のための融資説」を撤回し、あれは「学校法人の資産運用だった」と言い始めた。今年の10月15日付で報道各社に配布した「東海山形学園の貸付についての経緯説明」という文書で次のように記している。少し長いが、冒頭部分をそのまま引用する。
「東日本大震災後の2013年当時は、国や県から校舎の耐震強化についての指導があり、本学園においても、生徒と教職員の命に関わる大事業に取り組むにあたり、いかにして自己資金を増やし経営を安定させるかが大きな課題でありました」
「このことについて理事会では何度も議論を重ね、学園の資金を増やし、耐久年数が心配される校舎の改築費用に充て、私立学校の高額な授業料を減額する目的で、文部科学省の『学校法人における資産運用について』を参考に『運用の安全性』を考慮し、元本が保証され資産が毀損(きそん)しない相手として、2013年に私個人に5000万円、2016年にダイバーシティメディアに3000万円の貸付を行いました」
このコラム(2020年9月30日)でお伝えしたように、和文氏個人にもダイバー社にもこの時期、担保として提供できる資産はほとんどなく、金融機関は融資を渋っていた。それを「元本の返済が保証される相手」と記す感覚には驚いてしまう。貸付に伴うリスクをまるで考えていない。
文書はA4判で2ページ分ある。2ページ目には、この資金運用について学校法人の理事会でどのような手続きをしたか、私学助成を担当する山形県学事文書課からどのような指摘を受けたかについて詳細につづっている。
とりわけ、和文氏が学校法人の理事長と会社の社長を兼ねていることから、金銭の貸付が利益相反行為になることについては「所轄庁である県に(特別代理人の選任を)申請しなければなりませんでしたが、その認識がなく、それを行っていませんでした。(中略)当学園の責任であり、心よりお詫び申し上げます」と陳謝している。
利益相反行為について「その認識がなかった」と書いている部分は正直とも言えるが、「会社の金も学校の金も自分のもの」と考えていたことを“自白”したようなものだ。学校法人の理事長としての資質を問われかねない重大事だが、そうした意識もないのだろう。
文書では、最初から最後まで「資産の運用だった」という主張を貫いている。「設備投資のための融資」という表現はまったく出てこない。してみると、先の山形新聞の取材に対しては「口から出まかせのウソ」を言った、ということだろう。河北新報にも当時、「資金は設備投資に充てた」と答えている(写真)。これもデタラメだったことになる。
報道機関に対してウソをつくのは許しがたいことである。ウソをつかれたと分かったなら、記者は猛烈に怒らなければならない。読者や視聴者はそれを事実と受けとめるからだ。少なくとも、報道する者にはその矛盾をきちんと追及し、フォーローする責任がある。黙って見過ごしてはいけない。
では、今回の釈明は信用できるのか。
文書によれば、最初に問題になった2016年の3000万円融資については、2カ月後に年利2・5%の利息13万円余りを付けて返済したという。そして、この秋に発覚した2013年の5000万円については「8日後」に同じ年利で2万7397円の利息を付けて返した、と記している。
資産の運用は通常、株式や債券などを購入して行う。リスクはあるが、見返りも大きい。リスクが心配なら、国債を買ったり、金融機関に定期で預けたりするのが常道だ。「8日間、金を貸して利子を得る」のを資産運用と言い張るのは和文氏くらいだろう。
金を貸して利子を取るのは「貸金業」という。もし、東海山形学園がこうしたことを繰り返せば、今度は貸金業法に触れるおそれがある。文部科学省も山形県も、学校法人が「資産運用のため」貸金業を営むのを認めることはあるまい。
いずれにせよ、利益相反行為の場合に必要な「特別代理人の選任」を怠ったので、東海山形学園は理事会でこれを追認する手続きを踏まなければならなかった。2016年の3000万円の貸付は、その年の9月の理事会で追認した。一方、2013年の5000万円については今年10月の理事会で追認したという。
なんと、7年もたってからの追認だ。異様と言うしかない。しかも、こんな重要なことを県には「口頭で報告」したのだとか。それで了承した学事文書課もどうかしている。議事録を添えて文書で報告させ、議事の内容をきちんと確認するのが当然ではないか。東海山形学園も県当局も常軌を逸している。
報道各社あてのこの文書は、10月27日に山形県私学会館で開かれた県内の学校法人の理事長・校長会でも日付だけ手直しして配布され、和文氏が釈明にあたった。出席者によれば、この会合でも「8日間の資産運用というのは短すぎるのではないか」という質問が出た。これに対し、和文氏は「試しに運用してみた」などと説明して煙に巻いたという。
質問はこれだけだった。出席者の一人は「少子化で生徒が減り、どこの高校も経営が厳しい。銀行から金を借りるのならともかく、貸すことなど考えられません」と述べ、こう言葉を継いだ。「ただ、私立学校にはそれぞれの立場があります。よその学校のことについて、あれこれ言うわけにはいきません」
誰も納得していない。和文氏はなぜ設備投資のための融資説を撤回したのか。これで資産の運用と言えるのか。和文氏に手紙をしたためて問い合わせたが、返事はない。説明を求めようと会社に電話をかけても、彼は出てこなかった。
本当は何に使ったのか。この5000万円については「プロレスに投資したのではないか」との憶測が消えない。
ジャイアント馬場、アントニオ猪木といったスター選手がリングを降りてから、プロレス業界は四分五裂の状態に陥った。5000万円の貸付があった2013年当時も、人気プロレスラーの秋山準ら5人の選手がそれまで属していた団体から離れ、全日本プロレスに移籍する騒動があった。
事情通によると、この時、秋山選手らを支えたのがケーブルテレビ山形の吉村和文氏とジャイアント馬場の元子夫人だった。元子夫人は横浜市青葉区にあるプロレスの道場と合宿所を提供し、資金はケーブルテレビ山形が負担する段取りになったようだ。興行権の確保や新会社の設立準備などのため数千万円の資金を必要としたはず、という。
翌2014年の夏、和文氏は「全日本プロレス・イノベーション」(本社・山形市)という持ち株会社と運営会社の「オールジャパン・プロレスリング」(本社・横浜市)を立ち上げ、両方の会社の取締役会長に就任した。社長は秋山選手である。
ケーブルテレビが生き残るためには、NHKや民放が放送しない、あるいは放送できない番組を提供しなければならない。プロレスはそのための有力なコンテンツの一つ、と考えて進出を決めたようだ。
和文氏はかなり前から、プロレスに関心を寄せていた。彼のブログ「約束の地へ」で「プロレス」と打ち込んで検索すると、この10年間で122件もヒットする。
ブログの主なものに目を通してみた。2013年ごろ、山形南高校応援団の後輩でプロレスのプロモーターをしていた高橋英樹氏や「平成のミスタープロレス」と呼ばれた武藤敬司氏、馬場元子夫人らが相次いで山形を訪れていた。和文氏に会うためで、彼は「プロレスのタニマチ」のように振る舞っている。新しいビジネスへの進出に意欲を燃やしていた。
ただ、この業界は昔から「売り上げの分配」をめぐる争いが絶えない。それぞれの選手にいくらギャラを払うのか。興行主の取り分をどうするのか。関連グッズの売り上げは・・・。新たにスタートした全日本プロレスも例外ではなかった。
別冊宝島のプロレス特集(2016年2月28日)によれば、立ち上げから1年で、新生全日本プロレスは5000万円の赤字になってしまった(図2)。「始める前は気分が高揚して期待を持ってしまうのだけれども、見通しが甘すぎるのと、現場の選手たちは誰も親会社に恩義など感じていないので、結果としてこうなってしまう」のだという。和文氏が会長をつとめる持ち株会社の最近3年間の決算を見ても、ずっと赤字続きだ。
秋山選手はすでに社長を退き、別のプロレス団体のコーチをしている。新会社の立ち上げ時に何があったのか。事実関係を問いただそうとしたが、ついに接触できなかった。
5000万円は何に使われたのか。いまだ闇の中である。
◇ ◇
3年前、東海山形学園からダイバーシティメディアへの3000万円融資問題が表面化した際、吉村美栄子知事は記者会見でどう思うか問われ、「(学校法人が)適切に運営されているのであれば、よろしいのではないかというふうに思っております。(中略)そのことについて問題ないようだというふうに担当のほうから聞いております」と涼しい顔で答えた。
その後、東海山形学園が私立学校法に定められた「特別代理人の選任申請」をしていなかったことが明らかになった。3000万円融資の事実は県に提出された貸借対照表に記載されており、担当者はそれが利益相反行為に該当することを知り得たのに、漫然と見過ごしていたことも判明した。
学校法人は、ちっとも「適切に運営」されていなかったし、「担当のほう」もまるで頼りにならない仕事ぶりだった。さらに、5000万円の貸付について担当者はその後、気づいたのに、市民オンブズマンが発表するまで隠していた。知事の涼しい顔は、次第に苦々しい顔に変わっていった。
とはいえ、吉村知事は4期目をめざして、来年1月の知事選に出馬することを表明した。「いつまでも、こんなことに構っていられない。知事選に全力を注ぐだけ」という心境だろう。
出馬表明の記者会見では、新型コロナウイルスへの対応と経済対策との両立を図る考えを示し、最初の知事選の時の初心に帰って「正々堂々と政策を掲げて戦いたい」と述べた。県政と吉村一族企業との問題など小さな争点にすらならない、という風情だ。
だが、一族企業と学校法人の問題はそんなに根の浅いものではない。実は、吉村和文氏は毎年のように利益相反行為を繰り返している疑いがあるのだ。
和文氏はダイバーシティメディアの社長であり、学園の理事長であると同時に、映画館運営会社「ムービーオン」の社長も兼ねている。
東海大山形高校の教職員や生徒、保護者の証言によれば、学園は毎年、生徒全員分の映画チケットを購入し、タダで配っているという。映画チケットは各映画館共通のチケットではない(そのようなものはない)。生徒に配られたのは「ムービーオン」という特定の映画館のチケットである。
筆者の取材によれば、少なくとも2014年まで遡ることができる。関係者が多数いるので、確認するのも難しいことではない。
東海大山形高校の生徒数は図3の通りである。ここ7年間の平均だと、800人ほどだ。高校生の団体割引の映画チケットは1枚800円なので、生徒数を掛けると年間64万円、7年で448万円になる。
それほど大きな金額ではないが、問題はそれらの映画チケットの購入が「東海山形学園 吉村和文理事長」の名前で行われることにある。この学校法人を代表して購入契約を結ぶ権限があるのは理事長ただ一人だけだ。
つまり、東海山形学園は毎年、理事長が社長を兼ねる映画館会社のチケットを大量に購入して売り上げ増に貢献しているが、それらのチケット購入はすべて「利益相反行為」になる、ということだ。
利益が相反する以上、そうしたことは理事長の権限で行うことはできない。私立学校法に基づいて、学園は毎年、所轄庁の山形県に「特別代理人の選任」を申請し、利害関係のない第三者に取引が公正かどうかチェックしてもらう義務があった。
さらに、今春施行の法改正によって特別代理人の選任は不要になったが、利益相反行為であることに変わりはないので、今後も理事会で厳正にチェックする必要がある。一族企業と学校法人の間で、資金の融通や物品の購入を勝手気ままに行うことは、いかなる場合でも許されないのだ。
ことは、東海山形学園とダイバーシティメディア、ムービーオンだけの関係にとどまらない。学園が一族企業と交わすすべての契約について「利益相反行為」の疑いが生じ、チェックする必要が出てくる。
多数の企業を経営する人物が学校法人の理事長を兼ねれば、常にこういう問題が起き、公平さを疑われる事態を招くことになる。
だからこそ、文部科学省は「理事長についてはできる限り常勤化や兼職の制限を行うことが期待される」との事務次官通知(2004年7月23日付)を出し、さらに「理事長は責任に見合った勤務形態を取り、対内的にも対外的にも責任を果たしていくことが重要と考える。兼職は避けることが望ましい」との見解(高等教育局私学行政課)を出しているのだ。
普通なら、都道府県の職員は中央官庁の通知に沿って、粛々と実務を進めていく。だが、問題の学校法人の理事長は知事の縁者で、知事室にわがもの顔で出入りしている人物だ。誰もその権限を適切に使い、職責をまっとうしようとしない。
それどころか、県内周遊促進事業の業務委託問題で見たように、和文氏にすり寄り、便宜を図った者がトントンと出世していく。それを周りの幹部や職員は見ている。県庁の空気はよどみ、活力が失われていく。
中堅幹部の言葉が忘れられない。彼は次のように嘆いた。
「県職員として一番やりがいを感じたのは、係長や主査のころでした。新しい事業を立ち上げるため、みんなでアイデアを出し合い、『これがいい』『こんな方法もある』と、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論をして練っていきました。それを課長補佐や課長に上げて通し、予算化していくのが実に楽しかった」
「吉村知事は2期目の頃から、何でも自分で決めないと済まないようなスタイルになっていった。下から積み上げていっても、気に入らなければ歯牙にもかけない。一方で、上から突然、ドスンと新しい事業を下ろしてくる。フル規格の新幹線整備事業のように。これでは、若い職員はたまらない。振り回されるばかりで、意欲がなえていくのです」
吉村知事は政治や社会の小さな動きには敏感だが、歴史の大きな流れには鈍感だ。情報技術(IT)革命のインパクトのすさまじさがまるで分っていない。それゆえに、県庁ではいまだに「紙とハンコ」を使って仕事をしている。
菅政権が「デジタル庁の創設」を言い始めた途端、「県の業務のデジタル化」などと言い始めたが、この12年、いったい何をしていたのか。
「道半ば」と知事は言う。その道はどこに通じているのか。何を信じて歩んでいるのか。
*メールマガジン「風切通信 82」 2020年11月29日
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』2020年12月号に寄稿した文章を若干手直しして転載したものです。写真は12月号の表紙のイラスト
*図1、2、3をクリックすると、内容が表示されます
類は友を呼ぶ、という。似た者同士は自然と寄り集まる。それを裏返せば、友達をよく見れば、その人の性格や考え方も分かる、ということだ。
週刊新潮が10月15日号で、菅義偉首相の友達特集を載せていた。最初に、共同通信の論説副委員長から首相補佐官に転じた柿崎明二(めいじ)氏が登場する。そして、この柿崎氏と菅首相をつないだ人物として、政治系シンクタンク「大樹(たいじゅ)グループ」の矢島義也氏(59歳)を取り上げていた。「令和の政商」なのだという。
謎多き人物だ。週刊新潮は「長野県出身」と報じたが、「静岡県浜松市生まれ」とするメディアもあり、はっきりしない。高校を卒業した後、実業界に身を投じ、のし上がっていった人物のようだ。「矢島義成」と名乗っていた時期もある。
「政商」としての矢島氏の力を示したのは、2016年5月に開かれた彼の「結婚を祝う会」だった。週刊新潮によれば、主賓は当時官房長官だった菅義偉氏。二階俊博・自民党政務会長(当時)が乾杯の音頭を取り、安倍晋三首相もビデオメッセージを寄せた。
現職閣僚の林幹雄、遠藤利明、加藤勝信の各氏も出席し、さらに野党からも野田佳彦・元首相や安住淳、細野豪志、山尾志桜里の各氏が顔をそろえた。福田淳一・財務事務次官や黒川弘務・法務省官房長ら、後にセクハラや定年延長問題で世を騒がせた高官も並んだ。永田町や霞が関の事情通をうならせる顔ぶれだった。
では、これだけの人々を呼ぶことができる矢島氏とは、いかなる人物なのか。彼が率いる「大樹グループ」の公式サイトには、持ち株会社の大樹ホールディングスや大樹総研、大樹コンサルティング、大樹リスクマネジメントといったグループ企業と社長名が列記してある。所在地はすべて「中央区銀座7丁目2-22」だ。
業務内容は「戦略コンサルティング」「フェロー派遣サービス」「地方自治体向けサービス」「政策研究・提言」と記してあるが、サイトはわずか2ページしかない。説明文を読んでも、具体的なイメージがまるで湧いてこない。
その内実を探るべく、資料をあさっているうちに、月刊誌『選択』の2018年8月号と9月号にたどり着いた。
それによれば、このグループは政界と官界に人脈を張り巡らし、「口利き商売と補助金ビジネスを売り物にしている」のだという。「補助金という名の血税を巧みに吸い込み、濾過するビジネス」を得意とするグループだ、と断じている。
例えば、グループのエネルギー開発会社「JCサービス」は2013年に鹿児島県で太陽光発電の蓄電池を活用するモデル事業を計画し、環境省から補助金を得た。だが、ろくに事業も進めず、2018年に補助金2億9600万円の返還と加算金1億3600万円の支払いを命じられた。
別のグループ企業「グリーンインフラレンディング」は、再生可能エネルギー事業を進めると称して投資家から巨額の資金を集めたものの、資金の一部が不正に流用されたとして、資金の募集停止に追い込まれている。
『選択』によれば、このグループの謎を解くキーワードは「浜松」「松下政経塾」「自然エネルギー」の三つだという。矢島氏は、浜松を拠点とする熊谷弘・元官房長官(羽田内閣)や鈴木康友・浜松市長と昵懇の間柄にあり、これを足場に政界と官界の人脈を広げていった。
鈴木康友氏は松下政経塾の1期生であり、同じ1期生の野田佳彦・元首相を矢島氏につないだ。その人脈は民主党政権時代に細野豪志、安住淳の各氏や官界へと広がっていく。同時に、野党の代議士として不遇をかこっていた菅義偉氏や二階俊博氏との知遇も得た。
このグループのしたたかさは、民主党政権から自民党・安倍政権になってからも、「再生可能エネルギー関連のビジネス」をテコとして、さらに政官財とのパイプを太くしていった点だ。いわば、「自民党の不得意分野」で活路を切り開いていったのである。
見過ごしにできないのは、その手法だ。週刊新潮は、写真誌『FOCUS』の1999年7月21日号を引用して、矢島氏が<乱交パーティー「女衒芸能プロ社長」の正体>と報じられた過去があることを紹介している。東京のマンションの一室で週に1回ほど乱交パーティーを開き、有名な俳優や人気アイドルを集めていたのだという。
「金と色」で人脈を広げ、その人脈を使って影響力をさらに強めていく。「再生可能エネルギー」という衣をまとっているところが「平成流」と言うべきか。時の首相の友人として、いかがなものかと思う。
週刊新潮は11月5日号で、「菅首相のタニマチが公有地の払い下げを受け、ぼろ儲けした」と続報を放った。こちらは別の人物が主役で、地元の神奈川県を舞台にした疑惑である。安倍政権の「森友学園問題」より、はるかに露骨な利益誘導ぶりを伝えている。
地縁血縁のない横浜で政治家を志し、有力なスポンサーも見つけられない中で権力の中枢へと駆け上がっていっただけに、菅首相の周りには有象無象がうごめいている。何が起きているのか。メディアは臆することなく、その闇に分け入っていかなければならない。
*メールマガジン「風切通信 81」 2020年11月7日
≪写真説明≫
◎大樹グループの総帥、矢島義也氏
週刊新潮が10月15日号で、菅義偉首相の友達特集を載せていた。最初に、共同通信の論説副委員長から首相補佐官に転じた柿崎明二(めいじ)氏が登場する。そして、この柿崎氏と菅首相をつないだ人物として、政治系シンクタンク「大樹(たいじゅ)グループ」の矢島義也氏(59歳)を取り上げていた。「令和の政商」なのだという。
謎多き人物だ。週刊新潮は「長野県出身」と報じたが、「静岡県浜松市生まれ」とするメディアもあり、はっきりしない。高校を卒業した後、実業界に身を投じ、のし上がっていった人物のようだ。「矢島義成」と名乗っていた時期もある。
「政商」としての矢島氏の力を示したのは、2016年5月に開かれた彼の「結婚を祝う会」だった。週刊新潮によれば、主賓は当時官房長官だった菅義偉氏。二階俊博・自民党政務会長(当時)が乾杯の音頭を取り、安倍晋三首相もビデオメッセージを寄せた。
現職閣僚の林幹雄、遠藤利明、加藤勝信の各氏も出席し、さらに野党からも野田佳彦・元首相や安住淳、細野豪志、山尾志桜里の各氏が顔をそろえた。福田淳一・財務事務次官や黒川弘務・法務省官房長ら、後にセクハラや定年延長問題で世を騒がせた高官も並んだ。永田町や霞が関の事情通をうならせる顔ぶれだった。
では、これだけの人々を呼ぶことができる矢島氏とは、いかなる人物なのか。彼が率いる「大樹グループ」の公式サイトには、持ち株会社の大樹ホールディングスや大樹総研、大樹コンサルティング、大樹リスクマネジメントといったグループ企業と社長名が列記してある。所在地はすべて「中央区銀座7丁目2-22」だ。
業務内容は「戦略コンサルティング」「フェロー派遣サービス」「地方自治体向けサービス」「政策研究・提言」と記してあるが、サイトはわずか2ページしかない。説明文を読んでも、具体的なイメージがまるで湧いてこない。
その内実を探るべく、資料をあさっているうちに、月刊誌『選択』の2018年8月号と9月号にたどり着いた。
それによれば、このグループは政界と官界に人脈を張り巡らし、「口利き商売と補助金ビジネスを売り物にしている」のだという。「補助金という名の血税を巧みに吸い込み、濾過するビジネス」を得意とするグループだ、と断じている。
例えば、グループのエネルギー開発会社「JCサービス」は2013年に鹿児島県で太陽光発電の蓄電池を活用するモデル事業を計画し、環境省から補助金を得た。だが、ろくに事業も進めず、2018年に補助金2億9600万円の返還と加算金1億3600万円の支払いを命じられた。
別のグループ企業「グリーンインフラレンディング」は、再生可能エネルギー事業を進めると称して投資家から巨額の資金を集めたものの、資金の一部が不正に流用されたとして、資金の募集停止に追い込まれている。
『選択』によれば、このグループの謎を解くキーワードは「浜松」「松下政経塾」「自然エネルギー」の三つだという。矢島氏は、浜松を拠点とする熊谷弘・元官房長官(羽田内閣)や鈴木康友・浜松市長と昵懇の間柄にあり、これを足場に政界と官界の人脈を広げていった。
鈴木康友氏は松下政経塾の1期生であり、同じ1期生の野田佳彦・元首相を矢島氏につないだ。その人脈は民主党政権時代に細野豪志、安住淳の各氏や官界へと広がっていく。同時に、野党の代議士として不遇をかこっていた菅義偉氏や二階俊博氏との知遇も得た。
このグループのしたたかさは、民主党政権から自民党・安倍政権になってからも、「再生可能エネルギー関連のビジネス」をテコとして、さらに政官財とのパイプを太くしていった点だ。いわば、「自民党の不得意分野」で活路を切り開いていったのである。
見過ごしにできないのは、その手法だ。週刊新潮は、写真誌『FOCUS』の1999年7月21日号を引用して、矢島氏が<乱交パーティー「女衒芸能プロ社長」の正体>と報じられた過去があることを紹介している。東京のマンションの一室で週に1回ほど乱交パーティーを開き、有名な俳優や人気アイドルを集めていたのだという。
「金と色」で人脈を広げ、その人脈を使って影響力をさらに強めていく。「再生可能エネルギー」という衣をまとっているところが「平成流」と言うべきか。時の首相の友人として、いかがなものかと思う。
週刊新潮は11月5日号で、「菅首相のタニマチが公有地の払い下げを受け、ぼろ儲けした」と続報を放った。こちらは別の人物が主役で、地元の神奈川県を舞台にした疑惑である。安倍政権の「森友学園問題」より、はるかに露骨な利益誘導ぶりを伝えている。
地縁血縁のない横浜で政治家を志し、有力なスポンサーも見つけられない中で権力の中枢へと駆け上がっていっただけに、菅首相の周りには有象無象がうごめいている。何が起きているのか。メディアは臆することなく、その闇に分け入っていかなければならない。
*メールマガジン「風切通信 81」 2020年11月7日
≪写真説明≫
◎大樹グループの総帥、矢島義也氏
私たちが暮らす山形県という地域は、どういうところなのか。その政治風土や県民性を考える時に忘れてならないのは、「蔵王県境移動事件」である。
半世紀以上も前に起きた事件だが、山形県の政治や経済、社会の特質をこれほど雄弁に物語るものはほかにない。地元の支配的企業グループに便宜を図るため、秋田営林局と山形営林署は山形、宮城の県境を勝手に移動させた。そして、山形県当局もグルになってそれを押し通そうとした。信じがたいような出来事だ。
事件が起きたのは1963年である。
蔵王連峰を横断する道路「蔵王エコーライン」が前年に開通したのを機に、山形市の観光バス会社「北都開発」が蔵王の「お釜」(写真)に通じるリフトの建設を計画した。建設予定地は山形営林署が管轄する国有林内だった。そこで、北都開発は営林署に用地の貸付申請をし、山形県にはリフト建設の届け出をした。
すると、山形営林署長は同じように観光リフトの建設を計画していた山形交通にその内容を伝え、北都開発の貸付申請書を受理しないなど様々な妨害工作を始めた。山形県も「お釜には道路を造って行けるようにする計画だ」と、リフトの建設に反対した。
その一方で、山形交通は宮城県内の土地にお釜に通じる観光リフトの建設を決め、営林当局の支援を受けて着々と工事を進めていった。
都開発はあきらめず、妨害を跳ねのけて手続きを進めた。すると、秋田営林局と山形営林署は「山形と宮城の県境はもっと西寄りである。北都開発のリフト建設予定地は宮城県側だ。白石営林署で手続きせよ」と言い始めた。勝手に県境を変え、山形県の土地の一部を宮城県に譲り渡してしまったのである。
観光リフトの建設問題は県境紛争となり、国会議員や県知事、中央官庁も巻き込んだ大騒動に発展した。
この渦中で絶大な力を発揮したのが山形新聞の服部敬雄(よしお)社長である。グループ企業の山形交通の権益を守るため、政治家や経済人を動かし、傘下の新聞とテレビを動員して世論操作を図った。権力を監視すべきメディアが権力そのものと化していたのだ。
汚職の臭いをかぎ取り、山形地方検察庁が動き始める。警察は地元のしがらみにからめとられて、当てにできない。検察だけで捜査を進め、翌64年年に山形営林署長や山形交通の課長ら12人を逮捕し、65年に営林署長を公務員職権濫用罪で起訴した。
この刑事裁判で事実関係が明らかにされ、営林署長に有罪の判決が下っていれば、その後の展開はまるで異なるものになっていたはずだ。
ところが、一審の山形地裁でも控訴審でも営林署長は無罪になり、70年に確定した。致命的だったのは、検察側が「山形県と宮城県の本当の県境はどこか」を立証できなかったことである。
山形新聞・山形交通グループと営林当局、山形県はあらゆる手段を使って、勝手に移動させた県境こそ「本来の県境である」と主張し続けた。江戸時代の絵図を持ち出し、地図作成を担当する国土地理院の専門家まで引っ張り出して、被告に有利な証言をさせた。
裁判所は「ごまかしと嘘の洪水」にのみ込まれ、県境の画定をあきらめざるを得なかった。「県境の移動」が立証されなければ、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則にのっとり、無罪を言い渡すしかなかった。
この間、北都開発の佐藤要作(ようさく)社長は妨害を乗り越えてリフトを完成させたが、嫌がらせはその後も続いた。万が一の噴火に備えて観光客用の避難所を建設した。すると、山形県は「お釜の景観を損ねる」と別の場所への建て替えを命じ、さらにその建て替えた避難所を新たな理由を持ち出して強制的に取り壊した。
意を決して、佐藤要作社長は「営林当局による県境の移動は不法行為である。これによって生じた損害を賠償せよ」と国を相手に民事訴訟を起こした。だが、弁護士が次々に辞めるなどして訴訟は停滞した。
転機は1980年に訪れた。
この年、大阪で仕事をしていた佐藤欣哉(きんや)弁護士が山形市に移り、事務所を開いた。1946年、山形県余目(あまるめ)町(現庄内町)生まれ。鶴岡南高校、一橋大学卒。34歳の闘志あふれる弁護士がこの事件を引き受けた。弁護団に加わった三浦元(はじめ)、外塚功両弁護士も30歳前後の若さだ。彼らは刑事訴訟の分も含め、膨大な証拠と記録の洗い直しを進め、止まっていた裁判を動かしていった。
しかし、87年、一審の山形地裁ではまたしても敗れた。「営林当局が県境を勝手に移動させた」ということを立証できなかったのである。刑事訴訟を含め、三連敗。それでも、控訴して闘い続けた。みな「県境は勝手に移動された」と確信していた。
救いの神は、意外なところから現れた。地図の専門家が「山形地裁の判決は間違っている」と明言した、という情報が佐藤欣哉弁護士のもとに寄せられたのだ。会ってみると、彼はその理由を明快に語ってくれた。
山形と宮城の県境を記した蔵王周辺の地形図を最初に作成したのは明治44年(1911年)、陸軍参謀本部の陸地測量部である。それ以来、その5万分の1の地図がずっと使われてきたが、問題のお釜周辺の境界線は特殊な線で描かれていた。
彼はその線の意味を旧陸軍の内規に基づいて詳しく説明し、「この線は『登山道が県境である』という北都開発の当初からの主張が正しいことを示している」と語った。決定的な証言だった。「地図屋の良心」がごまかしを許さなかったのである。
1995年、仙台高裁は旧陸軍の内規に基づく弁護団の主張を採用し、原告逆転勝訴の判決を言い渡した。事件から、実に32年後のことだった。
「山交は県内陸部最大のバス会社であったほか、同県の政財界に多大な影響力を有していた山形新聞、山形放送とグループを形成して密接な連携を保っていた」
「山形営林署長らは姑息な理由で(北都開発の)申請の受理を拒否ないし遷延(せんえん)し、他方で山交リフトの建設に対しては陰に陽に支援・協力していた」
「(山形営林署長らの)一連の貸付権限の行使は、故意による権限の濫用つまり包括的な不法行為に該当するというべきである」
高裁判決は、山形新聞・山形交通グループの策動を暴き、営林当局者の職権濫用を厳しく断罪した。先の刑事裁判の判断を覆し、事実上の「有罪判決」を下したのである。
長い闘いの記録は、佐藤欣哉氏によって『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』という本にまとめられ、出版された。
蔵王県境事件の弁護士たちはこの年、公金の使い方を監視する「市民オンブズマン山形県会議」を立ち上げ、山形県発注の土木建設工事をめぐる談合事件や山形市議、山形県議の政務調査費(のち政務活動費)の不適切な支出の追及に乗り出した。不正を次々に暴き、貴重な血税を取り戻すのに多大な貢献をした。
その先頭に立ってきた佐藤欣哉弁護士が10月17日、闘病の末、74歳で亡くなった。不正を許さず、闘い続けた人生だった。
◇ ◇
メディアを核に支配を広げ、「天皇」と称された山形新聞の服部敬雄氏は1991年に死去し、山新・山交(現ヤマコー)グループの結束は著しく弱まった。服部氏の番頭のような存在だった県知事も代替わりし、2009年には吉村美栄子氏が東北初の女性知事になった。
それによって、山形県の政治風土と県民性は変わったのだろうか。私たちはどれだけ前に進むことができたのだろうか。
この2年、このコラムで報じてきた通り、吉村知事が誕生して以来、知事の義理のいとこの吉村和文氏が率いる企業・法人グループは「わが世の春」を謳歌してきた。吉村県政誕生以来の10年間で、このグループに支出された公金は40億円を上回る。2019年度以降、さらに上積みされていることは言うまでもない。
吉村一族企業の所業は、山新・山交グループの振る舞いとそっくりではないか。
その実態を解明するため、筆者が学校法人東海山形学園の財務書類の情報公開を請求したところ、県は詳しい内容を白塗りにして隠し、不開示にした(2017年5月)。
「白塗り」は「黒塗り」より悪質である。「黒塗り」なら貸借対照表の備考欄に融資などの利益相反行為があることをうかがわせる痕跡が残るが、「白塗り」だと、そうしたものがあるかどうかも分からないからだ。
私学助成を担当する山形県学事文書課は「あるかどうかも分からなくする」のが得意だ。東海山形学園から和文氏の率いるダイバーシティメディアへの3000万円融資に関する「特別代理人の選任文書」について、私が情報公開を求めると、「存否(そんぴ)応答拒否」(文書があるかどうかも答えない)という決定をした(2018年10月)。その理由は「学校法人の利益を害するおそれがある」という理不尽なものだった。
私立学校法は「利益相反行為がある場合、所轄庁(山形県)は特別代理人を選んでチェックさせなさい」と規定していた。私は「その法律に基づいて選んだのですか」と問いただしたに過ぎない。「利益を害する」ことなどあり得ないのだ。知事の義理のいとこが理事長をつとめる学校法人の不始末を隠そうとした、としか考えられない対応だった。
財務書類の不開示をめぐる裁判は、仙台高裁で「山形県の対応は違法。すべて開示しなさい」との判決が出され、県の上告が退けられて確定した。この判決に基づいて全面開示された財務書類を点検したところ、2016年の3000万円とは別に、2013年にも学校法人から和文氏個人に5000万円の融資が行われていたことが明らかになった。
県学事文書課は全面開示の直前に、この5000万円融資の事実に気づいたことを認めている。だが、筆者が記者会見をして明らかにするまで口をつぐんでいた。
蔵王県境事件の際の秋田営林局や山形営林署の対応と何と似ていることか。県知事も県職員も「学校法人と一蓮托生」とでも思っているのだろうか。
3000万円の融資でも5000万円の融資でも、県は「特別代理人」を選ばず、私立学校法に定められた責務を果たしていなかった。
その点を追及されると、吉村知事は記者会見や県議会で「県としては(融資という利益相反行為を)知り得なかったのです」と答え、そこに逃げ込もうとしている。
確かに、学校法人とグループ企業の間での融資という利益相反行為を事前に知るのは難しい。だが、私学助成を受けている学校法人は次年度の6月までにはすべての財務書類を県に提出する。丁寧に目を通せば、その時点で気づくはずだ。「知り得ない」という答えは、論理的にも日本語としても間違っている。
10月13日の定例記者会見で知事が答えに窮すると、大滝洋・総務部長は助け舟を出し、こう述べた。「(貸借対照表などの)財務諸表は参考資料なんです。その注記部分はチェックすべき対象になっていない」
暴言と言うしかない。私立学校振興助成法によって、学校法人は所轄庁(山形県)に財務書類を提出することを義務づけられている。学校法人の財務状況を示す重要な書類だからだ。それを「参考資料でチェック不要」と言ってのける度胸に驚く。
大滝部長が果たしている役割は、蔵王県境事件の刑事裁判で被告側の証人になった国土地理院の専門家に似ている。訳知り顔で不正確な情報をばらまき、混乱させて真相の解明を妨げる役回りだ。
当事者である東海山形学園の吉村和文理事長はメディアに対して様々な釈明をしている。いずれも説得力がなく、信ずるに足りない。紙幅が尽きてきた。どこがどのように信用できないのか、次号で詳しく分析したい。
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』の2020年11月号に寄稿した文章を若干手直しして転載したものです。
≪写真説明≫
1995年1月23日、仙台高裁で逆転勝訴した原告と弁護団(『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』から複写)
≪参考文献&資料≫
◎蔵王県境事件の国家損害賠償請求に対する仙台高裁の判決(1995年1月23日)
◎『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』(佐藤欣哉著、やまがた散歩社)
◎『小説 蔵王県境事件』(須貝和輔著、東北出版企画)
◎『山形の政治 戦後40年・ある地方政界・』(朝日新聞山形支局、未来社)
◎1963年8月29日から1995年1月29日の朝日新聞山形県版の関係記事
半世紀以上も前に起きた事件だが、山形県の政治や経済、社会の特質をこれほど雄弁に物語るものはほかにない。地元の支配的企業グループに便宜を図るため、秋田営林局と山形営林署は山形、宮城の県境を勝手に移動させた。そして、山形県当局もグルになってそれを押し通そうとした。信じがたいような出来事だ。
事件が起きたのは1963年である。
蔵王連峰を横断する道路「蔵王エコーライン」が前年に開通したのを機に、山形市の観光バス会社「北都開発」が蔵王の「お釜」(写真)に通じるリフトの建設を計画した。建設予定地は山形営林署が管轄する国有林内だった。そこで、北都開発は営林署に用地の貸付申請をし、山形県にはリフト建設の届け出をした。
すると、山形営林署長は同じように観光リフトの建設を計画していた山形交通にその内容を伝え、北都開発の貸付申請書を受理しないなど様々な妨害工作を始めた。山形県も「お釜には道路を造って行けるようにする計画だ」と、リフトの建設に反対した。
その一方で、山形交通は宮城県内の土地にお釜に通じる観光リフトの建設を決め、営林当局の支援を受けて着々と工事を進めていった。
都開発はあきらめず、妨害を跳ねのけて手続きを進めた。すると、秋田営林局と山形営林署は「山形と宮城の県境はもっと西寄りである。北都開発のリフト建設予定地は宮城県側だ。白石営林署で手続きせよ」と言い始めた。勝手に県境を変え、山形県の土地の一部を宮城県に譲り渡してしまったのである。
観光リフトの建設問題は県境紛争となり、国会議員や県知事、中央官庁も巻き込んだ大騒動に発展した。
この渦中で絶大な力を発揮したのが山形新聞の服部敬雄(よしお)社長である。グループ企業の山形交通の権益を守るため、政治家や経済人を動かし、傘下の新聞とテレビを動員して世論操作を図った。権力を監視すべきメディアが権力そのものと化していたのだ。
汚職の臭いをかぎ取り、山形地方検察庁が動き始める。警察は地元のしがらみにからめとられて、当てにできない。検察だけで捜査を進め、翌64年年に山形営林署長や山形交通の課長ら12人を逮捕し、65年に営林署長を公務員職権濫用罪で起訴した。
この刑事裁判で事実関係が明らかにされ、営林署長に有罪の判決が下っていれば、その後の展開はまるで異なるものになっていたはずだ。
ところが、一審の山形地裁でも控訴審でも営林署長は無罪になり、70年に確定した。致命的だったのは、検察側が「山形県と宮城県の本当の県境はどこか」を立証できなかったことである。
山形新聞・山形交通グループと営林当局、山形県はあらゆる手段を使って、勝手に移動させた県境こそ「本来の県境である」と主張し続けた。江戸時代の絵図を持ち出し、地図作成を担当する国土地理院の専門家まで引っ張り出して、被告に有利な証言をさせた。
裁判所は「ごまかしと嘘の洪水」にのみ込まれ、県境の画定をあきらめざるを得なかった。「県境の移動」が立証されなければ、「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則にのっとり、無罪を言い渡すしかなかった。
この間、北都開発の佐藤要作(ようさく)社長は妨害を乗り越えてリフトを完成させたが、嫌がらせはその後も続いた。万が一の噴火に備えて観光客用の避難所を建設した。すると、山形県は「お釜の景観を損ねる」と別の場所への建て替えを命じ、さらにその建て替えた避難所を新たな理由を持ち出して強制的に取り壊した。
意を決して、佐藤要作社長は「営林当局による県境の移動は不法行為である。これによって生じた損害を賠償せよ」と国を相手に民事訴訟を起こした。だが、弁護士が次々に辞めるなどして訴訟は停滞した。
転機は1980年に訪れた。
この年、大阪で仕事をしていた佐藤欣哉(きんや)弁護士が山形市に移り、事務所を開いた。1946年、山形県余目(あまるめ)町(現庄内町)生まれ。鶴岡南高校、一橋大学卒。34歳の闘志あふれる弁護士がこの事件を引き受けた。弁護団に加わった三浦元(はじめ)、外塚功両弁護士も30歳前後の若さだ。彼らは刑事訴訟の分も含め、膨大な証拠と記録の洗い直しを進め、止まっていた裁判を動かしていった。
しかし、87年、一審の山形地裁ではまたしても敗れた。「営林当局が県境を勝手に移動させた」ということを立証できなかったのである。刑事訴訟を含め、三連敗。それでも、控訴して闘い続けた。みな「県境は勝手に移動された」と確信していた。
救いの神は、意外なところから現れた。地図の専門家が「山形地裁の判決は間違っている」と明言した、という情報が佐藤欣哉弁護士のもとに寄せられたのだ。会ってみると、彼はその理由を明快に語ってくれた。
山形と宮城の県境を記した蔵王周辺の地形図を最初に作成したのは明治44年(1911年)、陸軍参謀本部の陸地測量部である。それ以来、その5万分の1の地図がずっと使われてきたが、問題のお釜周辺の境界線は特殊な線で描かれていた。
彼はその線の意味を旧陸軍の内規に基づいて詳しく説明し、「この線は『登山道が県境である』という北都開発の当初からの主張が正しいことを示している」と語った。決定的な証言だった。「地図屋の良心」がごまかしを許さなかったのである。
1995年、仙台高裁は旧陸軍の内規に基づく弁護団の主張を採用し、原告逆転勝訴の判決を言い渡した。事件から、実に32年後のことだった。
「山交は県内陸部最大のバス会社であったほか、同県の政財界に多大な影響力を有していた山形新聞、山形放送とグループを形成して密接な連携を保っていた」
「山形営林署長らは姑息な理由で(北都開発の)申請の受理を拒否ないし遷延(せんえん)し、他方で山交リフトの建設に対しては陰に陽に支援・協力していた」
「(山形営林署長らの)一連の貸付権限の行使は、故意による権限の濫用つまり包括的な不法行為に該当するというべきである」
高裁判決は、山形新聞・山形交通グループの策動を暴き、営林当局者の職権濫用を厳しく断罪した。先の刑事裁判の判断を覆し、事実上の「有罪判決」を下したのである。
長い闘いの記録は、佐藤欣哉氏によって『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』という本にまとめられ、出版された。
蔵王県境事件の弁護士たちはこの年、公金の使い方を監視する「市民オンブズマン山形県会議」を立ち上げ、山形県発注の土木建設工事をめぐる談合事件や山形市議、山形県議の政務調査費(のち政務活動費)の不適切な支出の追及に乗り出した。不正を次々に暴き、貴重な血税を取り戻すのに多大な貢献をした。
その先頭に立ってきた佐藤欣哉弁護士が10月17日、闘病の末、74歳で亡くなった。不正を許さず、闘い続けた人生だった。
◇ ◇
メディアを核に支配を広げ、「天皇」と称された山形新聞の服部敬雄氏は1991年に死去し、山新・山交(現ヤマコー)グループの結束は著しく弱まった。服部氏の番頭のような存在だった県知事も代替わりし、2009年には吉村美栄子氏が東北初の女性知事になった。
それによって、山形県の政治風土と県民性は変わったのだろうか。私たちはどれだけ前に進むことができたのだろうか。
この2年、このコラムで報じてきた通り、吉村知事が誕生して以来、知事の義理のいとこの吉村和文氏が率いる企業・法人グループは「わが世の春」を謳歌してきた。吉村県政誕生以来の10年間で、このグループに支出された公金は40億円を上回る。2019年度以降、さらに上積みされていることは言うまでもない。
吉村一族企業の所業は、山新・山交グループの振る舞いとそっくりではないか。
その実態を解明するため、筆者が学校法人東海山形学園の財務書類の情報公開を請求したところ、県は詳しい内容を白塗りにして隠し、不開示にした(2017年5月)。
「白塗り」は「黒塗り」より悪質である。「黒塗り」なら貸借対照表の備考欄に融資などの利益相反行為があることをうかがわせる痕跡が残るが、「白塗り」だと、そうしたものがあるかどうかも分からないからだ。
私学助成を担当する山形県学事文書課は「あるかどうかも分からなくする」のが得意だ。東海山形学園から和文氏の率いるダイバーシティメディアへの3000万円融資に関する「特別代理人の選任文書」について、私が情報公開を求めると、「存否(そんぴ)応答拒否」(文書があるかどうかも答えない)という決定をした(2018年10月)。その理由は「学校法人の利益を害するおそれがある」という理不尽なものだった。
私立学校法は「利益相反行為がある場合、所轄庁(山形県)は特別代理人を選んでチェックさせなさい」と規定していた。私は「その法律に基づいて選んだのですか」と問いただしたに過ぎない。「利益を害する」ことなどあり得ないのだ。知事の義理のいとこが理事長をつとめる学校法人の不始末を隠そうとした、としか考えられない対応だった。
財務書類の不開示をめぐる裁判は、仙台高裁で「山形県の対応は違法。すべて開示しなさい」との判決が出され、県の上告が退けられて確定した。この判決に基づいて全面開示された財務書類を点検したところ、2016年の3000万円とは別に、2013年にも学校法人から和文氏個人に5000万円の融資が行われていたことが明らかになった。
県学事文書課は全面開示の直前に、この5000万円融資の事実に気づいたことを認めている。だが、筆者が記者会見をして明らかにするまで口をつぐんでいた。
蔵王県境事件の際の秋田営林局や山形営林署の対応と何と似ていることか。県知事も県職員も「学校法人と一蓮托生」とでも思っているのだろうか。
3000万円の融資でも5000万円の融資でも、県は「特別代理人」を選ばず、私立学校法に定められた責務を果たしていなかった。
その点を追及されると、吉村知事は記者会見や県議会で「県としては(融資という利益相反行為を)知り得なかったのです」と答え、そこに逃げ込もうとしている。
確かに、学校法人とグループ企業の間での融資という利益相反行為を事前に知るのは難しい。だが、私学助成を受けている学校法人は次年度の6月までにはすべての財務書類を県に提出する。丁寧に目を通せば、その時点で気づくはずだ。「知り得ない」という答えは、論理的にも日本語としても間違っている。
10月13日の定例記者会見で知事が答えに窮すると、大滝洋・総務部長は助け舟を出し、こう述べた。「(貸借対照表などの)財務諸表は参考資料なんです。その注記部分はチェックすべき対象になっていない」
暴言と言うしかない。私立学校振興助成法によって、学校法人は所轄庁(山形県)に財務書類を提出することを義務づけられている。学校法人の財務状況を示す重要な書類だからだ。それを「参考資料でチェック不要」と言ってのける度胸に驚く。
大滝部長が果たしている役割は、蔵王県境事件の刑事裁判で被告側の証人になった国土地理院の専門家に似ている。訳知り顔で不正確な情報をばらまき、混乱させて真相の解明を妨げる役回りだ。
当事者である東海山形学園の吉村和文理事長はメディアに対して様々な釈明をしている。いずれも説得力がなく、信ずるに足りない。紙幅が尽きてきた。どこがどのように信用できないのか、次号で詳しく分析したい。
*このコラムは、月刊『素晴らしい山形』の2020年11月号に寄稿した文章を若干手直しして転載したものです。
≪写真説明≫
1995年1月23日、仙台高裁で逆転勝訴した原告と弁護団(『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』から複写)
≪参考文献&資料≫
◎蔵王県境事件の国家損害賠償請求に対する仙台高裁の判決(1995年1月23日)
◎『蔵王県境が動く 官財癒着の真相』(佐藤欣哉著、やまがた散歩社)
◎『小説 蔵王県境事件』(須貝和輔著、東北出版企画)
◎『山形の政治 戦後40年・ある地方政界・』(朝日新聞山形支局、未来社)
◎1963年8月29日から1995年1月29日の朝日新聞山形県版の関係記事