ロシアと戦っているウクライナに対して、ドイツとアメリカが主力戦車を提供することを決めた。独米から、高速で走行しながら射撃姿勢をデジタル制御できるレオパルト2とエイブラムスがそれぞれ供与されるという。
密林が広がるベトナムや山岳地帯が戦場となったアフガニスタンと違って、ウクライナ戦争は広大な平原で戦われている。戦車の果たす役割はきわめて大きい。ウクライナにとって朗報であることは間違いない。
この戦争では、ドローンが大きな役割を果たしていることも注目されている。偵察だけでなく敵への攻撃にも使われている。ウクライナのドローンに捕捉されたロシア兵が空を見上げ、十字を切って命乞いをする映像がネット上に流れた。「デジタル時代の戦争」を象徴するような映像だった。
武器の優劣は戦争の帰趨に決定的な影響を及ぼす。その意味で、メディアが戦車の供与やドローンの活用に注目して報道するのは当然のことだが、メディアで報じられないもので「戦争に決定的な影響」を及ぼすものがもう一つある。情報戦の行方、とりわけ暗号の解読がどうなっているかだ。
第2次大戦ではイギリスがドイツの暗号を、アメリカが日本の暗号を解読することに成功した。暗号の解読によって、ドイツと日本がどのような戦略のもとにどのような作戦を立てているか、連合国側にほぼ筒抜けになった。これでは、たとえ戦力が拮抗していたとしても勝てるはずがなかった。
日独とも、戦争の途中で「われわれの暗号は解読されているのではないか」との疑念を抱いた。だが、暗号担当の情報将校たちは「理論的にそのようなことはあり得ない」と主張し、戦争指導者たちを納得させた。当時、日独は無線通信で「5桁の乱数に符丁を組み合わせた暗号システム」を使っていた。これを解読するためには、一つの電文でも「1,000人がかりで3年かかる」とされていた。
戦争を遂行するうえでは、3年後に暗号を解読しても無意味であり、実質的には「解読不能」と言っていい。その意味では、日独の情報将校たちの釈明は間違ってはいなかった。当時普及していた電気リレー式の計算機を使う限り、解読にはそれくらいの人員と年月がかかるからだ。
だが、日独は「前提条件が変われば、解読が可能になる」ということを想定していなかった。イギリスはロンドン北西の暗号解読本部に数学者や言語学者、クロスワードパズルの名手ら約1万人の要員を集め、総力を挙げてドイツの暗号エニグマの解読に挑んだ。
その中に数学者、アラン・チューリングと彼の仲間たちがいた。計算可能性理論の天才であるチューリングは、その理論を暗号解読に生かし、解読のための「電子計算機」を発明した(写真)。この計算機は真空管を使い、プログラムで稼働する。後のコンピューターの原型とも言える機械で、イギリスはこれを活用してドイツの暗号の解読に成功したのである。
「電気リレー式の計算機」から「電子計算機」への飛躍は、暗号解読の世界をガラリと変えた。実質的に解読不能という説明の前提条件が崩れたことに、ドイツも日本も気づかなかった。「知の総合力に大きな差があった」と言うしかない。
アメリカは1941年の対日開戦前に日本の外交暗号の解読には成功していたが、重要な軍事暗号、とりわけ日本海軍のD暗号(18種類の海軍暗号の中で最も広く使われた)は解読できていなかった。暗号解読の態勢を立て直し、開戦半年後にはD暗号の解読に成功する。イギリスとは密接な協力関係にあり、電子計算機の供与も受けている。
第2次大戦の終結後も米英による「暗号解読の成功」は極秘とされた。その解読の内実が明らかになったのは1970年代になってからである。その間、両国は冷戦で新たな敵となったソ連の暗号解読にいそしんだが、「ソ連の暗号は秘匿度が強く、解読できていない」と装い続けた。
実は、かなり早い段階で米英はソ連の暗号の解読に成功していた。それが明らかになったのは、1991年にソ連が崩壊し、関係文書が公開されてからだ。暗号の解読は常に、徹底的に秘匿される。
今回のウクライナ戦争でも、第2次大戦と似たことが起きているのではないか。米英はロシアの暗号を解読しており、それを適宜、ウクライナ側に提供している可能性がある。そう考えると、ウクライナ側が少ない兵力で首都キーウなどを守り抜き、侵攻したソ連軍を押し戻していることも納得がいく。
もちろん、具体的な証拠やデータは何もない。アメリカもイギリスも、こと暗号の解読に関しては厳重に秘匿し続けている。両国のメディアも報じようとしない。暗号の解読状況に触れるような記事を書こうものなら、たちまち政府と軍から「出入り禁止」にされる。「国家の安全保障に直結する機微な情報」は報じないのが米英メディアの伝統だ。
ロシア軍の暗号担当将校は「わが国の暗号はスーパーコンピューターを使っても、簡単には解読できない」とプーチン大統領に説明しているのではないか。確かに、スパコンでも解読できないようなシステムを使っているのかもしれない。
だが、米英が量子コンピューターをすでに実戦配備していたら、どうか。量子力学の原理を応用するこのコンピューターは、スパコンで1万年かかるような計算を3分ほどでこなすという。すでに試作機も登場しており、暗号解読の世界で新しい「パラダイムシフト」が起きている可能性がある。
ウクライナ戦争でロシア側の暗号はどのくらい解読されているのか。解読された情報はウクライナ側にどのくらい伝えられているのか。そうしたことが明らかになるのは20年後、あるいは30年後かもしれない。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」2023年1月31日
≪写真説明&Source≫
・ドイツ製の戦車レオパルト2(東京新聞のサイトから)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/227185
・チューリングが暗号解読のために製作した電子計算機の複製
=大駒誠一『コンピュータ開発史』(共立出版)から引用
≪参考文献≫
◎『暗号の天才』(R・W・クラーク、新潮選書)
◎『暗号解読』(サイモン・シン、新潮社)
◎『暗号 原理とその世界』(長田順行、ダイヤモンド社)
◎『ヴェノナ』(ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア、PHP研究所)
密林が広がるベトナムや山岳地帯が戦場となったアフガニスタンと違って、ウクライナ戦争は広大な平原で戦われている。戦車の果たす役割はきわめて大きい。ウクライナにとって朗報であることは間違いない。
この戦争では、ドローンが大きな役割を果たしていることも注目されている。偵察だけでなく敵への攻撃にも使われている。ウクライナのドローンに捕捉されたロシア兵が空を見上げ、十字を切って命乞いをする映像がネット上に流れた。「デジタル時代の戦争」を象徴するような映像だった。
武器の優劣は戦争の帰趨に決定的な影響を及ぼす。その意味で、メディアが戦車の供与やドローンの活用に注目して報道するのは当然のことだが、メディアで報じられないもので「戦争に決定的な影響」を及ぼすものがもう一つある。情報戦の行方、とりわけ暗号の解読がどうなっているかだ。
第2次大戦ではイギリスがドイツの暗号を、アメリカが日本の暗号を解読することに成功した。暗号の解読によって、ドイツと日本がどのような戦略のもとにどのような作戦を立てているか、連合国側にほぼ筒抜けになった。これでは、たとえ戦力が拮抗していたとしても勝てるはずがなかった。
日独とも、戦争の途中で「われわれの暗号は解読されているのではないか」との疑念を抱いた。だが、暗号担当の情報将校たちは「理論的にそのようなことはあり得ない」と主張し、戦争指導者たちを納得させた。当時、日独は無線通信で「5桁の乱数に符丁を組み合わせた暗号システム」を使っていた。これを解読するためには、一つの電文でも「1,000人がかりで3年かかる」とされていた。
戦争を遂行するうえでは、3年後に暗号を解読しても無意味であり、実質的には「解読不能」と言っていい。その意味では、日独の情報将校たちの釈明は間違ってはいなかった。当時普及していた電気リレー式の計算機を使う限り、解読にはそれくらいの人員と年月がかかるからだ。
だが、日独は「前提条件が変われば、解読が可能になる」ということを想定していなかった。イギリスはロンドン北西の暗号解読本部に数学者や言語学者、クロスワードパズルの名手ら約1万人の要員を集め、総力を挙げてドイツの暗号エニグマの解読に挑んだ。
その中に数学者、アラン・チューリングと彼の仲間たちがいた。計算可能性理論の天才であるチューリングは、その理論を暗号解読に生かし、解読のための「電子計算機」を発明した(写真)。この計算機は真空管を使い、プログラムで稼働する。後のコンピューターの原型とも言える機械で、イギリスはこれを活用してドイツの暗号の解読に成功したのである。
「電気リレー式の計算機」から「電子計算機」への飛躍は、暗号解読の世界をガラリと変えた。実質的に解読不能という説明の前提条件が崩れたことに、ドイツも日本も気づかなかった。「知の総合力に大きな差があった」と言うしかない。
アメリカは1941年の対日開戦前に日本の外交暗号の解読には成功していたが、重要な軍事暗号、とりわけ日本海軍のD暗号(18種類の海軍暗号の中で最も広く使われた)は解読できていなかった。暗号解読の態勢を立て直し、開戦半年後にはD暗号の解読に成功する。イギリスとは密接な協力関係にあり、電子計算機の供与も受けている。
第2次大戦の終結後も米英による「暗号解読の成功」は極秘とされた。その解読の内実が明らかになったのは1970年代になってからである。その間、両国は冷戦で新たな敵となったソ連の暗号解読にいそしんだが、「ソ連の暗号は秘匿度が強く、解読できていない」と装い続けた。
実は、かなり早い段階で米英はソ連の暗号の解読に成功していた。それが明らかになったのは、1991年にソ連が崩壊し、関係文書が公開されてからだ。暗号の解読は常に、徹底的に秘匿される。
今回のウクライナ戦争でも、第2次大戦と似たことが起きているのではないか。米英はロシアの暗号を解読しており、それを適宜、ウクライナ側に提供している可能性がある。そう考えると、ウクライナ側が少ない兵力で首都キーウなどを守り抜き、侵攻したソ連軍を押し戻していることも納得がいく。
もちろん、具体的な証拠やデータは何もない。アメリカもイギリスも、こと暗号の解読に関しては厳重に秘匿し続けている。両国のメディアも報じようとしない。暗号の解読状況に触れるような記事を書こうものなら、たちまち政府と軍から「出入り禁止」にされる。「国家の安全保障に直結する機微な情報」は報じないのが米英メディアの伝統だ。
ロシア軍の暗号担当将校は「わが国の暗号はスーパーコンピューターを使っても、簡単には解読できない」とプーチン大統領に説明しているのではないか。確かに、スパコンでも解読できないようなシステムを使っているのかもしれない。
だが、米英が量子コンピューターをすでに実戦配備していたら、どうか。量子力学の原理を応用するこのコンピューターは、スパコンで1万年かかるような計算を3分ほどでこなすという。すでに試作機も登場しており、暗号解読の世界で新しい「パラダイムシフト」が起きている可能性がある。
ウクライナ戦争でロシア側の暗号はどのくらい解読されているのか。解読された情報はウクライナ側にどのくらい伝えられているのか。そうしたことが明らかになるのは20年後、あるいは30年後かもしれない。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」2023年1月31日
≪写真説明&Source≫
・ドイツ製の戦車レオパルト2(東京新聞のサイトから)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/227185
・チューリングが暗号解読のために製作した電子計算機の複製
=大駒誠一『コンピュータ開発史』(共立出版)から引用
≪参考文献≫
◎『暗号の天才』(R・W・クラーク、新潮選書)
◎『暗号解読』(サイモン・シン、新潮社)
◎『暗号 原理とその世界』(長田順行、ダイヤモンド社)
◎『ヴェノナ』(ジョン・アール・ヘインズ&ハーヴェイ・クレア、PHP研究所)
学問の世界では、ある時期に定説として扱われた学説が後に覆されることはよくあることである。新しい事実が見つかったり、新たな知見が得られたりすれば、定説は「旧説」として打ち捨てられていく。
定説を唱えた者たちはそれまでの蓄積を踏まえ、精進を重ねたうえでそうしたのであって、責められるいわれはない。その当時、彼らには新しい事実を知り、知見を得るすべがなかったからである。
だが、被差別部落の歴史をめぐる研究については、いささか事情が異なる。戦後、長い間、被差別部落の起源については「戦国末期から江戸時代にかけて支配層が民衆を分断統治するため新たにつくり出したもの」という、いわゆる近世政治起源説が定説となった。
この説を唱えた者たちは「事実の持つ厳粛さ」と誠実に向き合うという学問の大原則をないがしろにし、自らが信じるイデオロギーに沿って研究を進め、その「成果」を発表し、「確固たる学説」として広めていった。
彼らが唱えた学説は、部落解放同盟が展開した運動と一体となって、「被差別部落の起源に関する自由な研究」を許さないような状況を作り出した。そして、表現と言論の自由を侵害し、部落差別の解消をめざす政府の同和対策事業をもゆがめるような結果をもたらした。
死者に鞭打つようなことはしたくはない。だが、被差別部落の歴史研究に関しては、この近世政治起源説を広めた学者たちの棺を掘り起こし、弾劾せずにはいられない。その罪は重く、それがもたらした影響はあまりにも深刻だからだ。
◇ ◇
すでに紹介したように、被差別部落=近世政治起源説の原型とも言える学説を唱えたのは、戦前の歴史学者、喜田貞吉・京都帝大教授である。喜田はこれを皇国史観に立って主張したのだが、その学説を別のイデオロギーで作り直し、定説と言えるものに仕立て上げていったのは、戦後のマルクス主義を信奉する学者たちだった。
その第一人者は、井上清・京都大学教授である。日本近代史を専門とする井上は、部落解放同盟の北原泰作書記長との共著『部落の歴史』(1956年)に、被差別部落の起源について次のように記した。
「戦国時代は『下剋上』が発展し、日本の歴史のもっとも活気あふれたときであった。古代からの天皇制は、天皇の位につく儀式の費用にもこまるほど無力になり、身分や家がらよりも、経済、軍事、知恵等々の実力がものをいった」
「近世の大名ができる過程で、すでに中世とはちがう差別された『部落』がつくられている。そして豊臣秀吉が全国をしたがえてゆくなかで、刀狩りや検地で、百姓町人の武装の自由はうばわれ、百姓の移動および職業をかえることは禁止され、百姓は孫子の末まで永久に百姓として領主の土地にしばりつけられ、士農工商の身分制の骨組がつくられる。徳川幕府時代に入って、それは細かいところまで完成される」
古代と中世の賤民制度は戦国の世を経てバラバラになり、近世に入って新たな身分制度がつくられた、という主張だ。随所にマルクス主義の歴史観がにじむ。そのうえで、井上はこう唱えた。
「百姓以下の身分として『えた』、『非人』および『宿の者』、『はちや』、『茶せん』、『おん坊』、『とうない』そのほかのいわゆる『雑種賤民』が、身分と職業と住所と三つをきりはなせないものにされ、いまに残る部落がつくられたのである」
近世の賤民の特徴は、この時代に定められた身分と職業、住所の三つが切り離せないものになった点にあるとの主張で、「三位一体説」と呼ばれ、近世政治起源説の根幹をなすものになった。
ちなみに、「被差別部落」という表現を初めて使って定着させたのも井上である。賤称を廃止するとの明治4年の太政官布告(いわゆる解放令)の後も、部落の人たちは「新平民」あるいは「特殊部落民」などと呼ばれ、差別され続けた。井上は新しい言葉を作り出して、そうした呼称を一掃したのである。
井上を中心とする学者たちが敷いた路線に沿って、近世の部落差別に関する史料や記録の発掘が進められ、研究論文の発表や書籍の出版が相次いだ。立命館大学の奈良本辰也、林家辰三郎両教授や大阪市立大学の原田伴彦教授ら錚々たるメンバーが部落問題研究所などに集い、近世政治起源説を打ち固めていった。
そして、この学説はついに政府の同和対策審議会の答申(1965年)に明記されるに至った。
同和対策審議会は、部落差別の解消に向けての基本方針と総合的な政策を打ち出すため、1961年に総理府の付属機関として設置された。4年の審議を経て出された答申は、部落差別を放置することは「断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と記し、政府として部落の環境改善や社会福祉、教育面での支援に乗り出すよう求めるものだった。
差別に苦しみ、さいなまれてきた部落の人たちは、1922年(大正11年)に全国水平社を結成し、戦後も差別をなくすための闘争を繰り広げてきた。同対審の答申は、その長くて困難な道を歩み続けた末にたどり着いた到達点であり、部落解放運動の大きな成果であった。
問題は、その歴史的な文書に「部落の起源」に関する記述を書き加えたことである。前文の後の「第一部 同和問題の認識」に次のような文言が盛り込まれた。
「本審議会は、これら同和地区の起源を学問的に究明することを任務とするものではない。ただ、世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかなければならないのは、同和地区の住民は異人種でも異民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民である、ということである」
「同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落である」
内閣総理大臣、佐藤栄作あてに出された審議会の答申に、研究途上の一学説にすぎない近世政治起源説がそっくりそのまま盛り込まれのだ。異様と言うしかない。
政府側の委員として答申の作成にかかわった磯村英一は、第4回部落問題研究者全国集会でその内情を次のように語っている(1967年の同集会報告所収)。
「はっきり申し上げますと、委員のメンバーの中でのイデオロギーの相違からきた反撥の問題が、具体的内容を定めるのにかなり強くひびいたことです。(中略)同対審の会長が三回も四回もやめるといったような問題の中には、今申しましたような問題も若干あります。」
「審議の過程における意見の対立は結構ですが、どちらがイニシャティブをとるとか、またどうしてもその関係者でなければ執筆できないというような点については、もう少し広い立場に立ってよいのではないかと思います」
審議会の内部で激しい意見の対立と葛藤があったことをうかがわせる報告だが、ともあれ、マルクス主義を信奉する研究者たちの学説は「政府のお墨付き」を得た形になり、揺るぎないものとして世に広まっていった。
この答申を受けて、4年後の1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、同和地区のインフラ整備や職業・教育支援などのために巨額の公費が投じられた。2002年に同和対策事業に終止符が打たれるまで、投じられた公費は総額15兆円とされる。
こうした同和対策事業によって被差別部落の環境が大幅に改善され、福祉や教育の面で大きな成果があったことは間違いないが、そのひずみもまた大きかった。
大阪府では同和教育のための副読本『にんげん』が作られ、すべての小中学生に無償で配布された。その副読本に書かれていたのは、もちろん「部落は戦国時代の終わりから江戸時代にかけて新しくつくられたもの」という内容だった。他の自治体でも同様である。
部落の近世政治起源説は1980年代以降、中世の史料や記録の発掘・研究が進むにつれて揺らぎ始め、やがて「破綻した学説」としてほとんどの研究者が見向きもしなくなった。
しかしこの間、数十年にわたって、教師たちは「部落は近世になって新しく作られたもの」と子どもたちに教え続けた。イデオロギーに囚われた学者たちが仕立て上げた、誤った学説を垂れ流し続けた。それは広く、深く浸透し、再生産された。
答申に「近世政治起源説」を盛り込んだのは取り返しのつかない過ちであり、その悪影響は政治や行政、学問や教育、文化、言論などあらゆる分野に及んでいった。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2023年1月25日
≪写真説明≫
1922年に結成された全国水平社の宣言文
≪参考文献&サイト≫
◎『部落の歴史 物語・部落解放運動史』(井上清・北原泰作、理論社)
◎『賤民の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』(北原泰作、筑摩書房)
◎『被差別部落の歴史』(原田伴彦、明石書店)
◎『同和対策審議会答申』(京都大学の公式サイト)
◎『「同対審」答申を読む』(奥田均、解放出版社)
◎『同和対策と部落問題:第4回部落問題研究者全国集会報告』(部落問題研究所)所収の磯村英一講演録=国立国会図書館のデジタルデータから抜粋
◎『部落史がかわる』(上杉聰、三一書房)
定説を唱えた者たちはそれまでの蓄積を踏まえ、精進を重ねたうえでそうしたのであって、責められるいわれはない。その当時、彼らには新しい事実を知り、知見を得るすべがなかったからである。
だが、被差別部落の歴史をめぐる研究については、いささか事情が異なる。戦後、長い間、被差別部落の起源については「戦国末期から江戸時代にかけて支配層が民衆を分断統治するため新たにつくり出したもの」という、いわゆる近世政治起源説が定説となった。
この説を唱えた者たちは「事実の持つ厳粛さ」と誠実に向き合うという学問の大原則をないがしろにし、自らが信じるイデオロギーに沿って研究を進め、その「成果」を発表し、「確固たる学説」として広めていった。
彼らが唱えた学説は、部落解放同盟が展開した運動と一体となって、「被差別部落の起源に関する自由な研究」を許さないような状況を作り出した。そして、表現と言論の自由を侵害し、部落差別の解消をめざす政府の同和対策事業をもゆがめるような結果をもたらした。
死者に鞭打つようなことはしたくはない。だが、被差別部落の歴史研究に関しては、この近世政治起源説を広めた学者たちの棺を掘り起こし、弾劾せずにはいられない。その罪は重く、それがもたらした影響はあまりにも深刻だからだ。
◇ ◇
すでに紹介したように、被差別部落=近世政治起源説の原型とも言える学説を唱えたのは、戦前の歴史学者、喜田貞吉・京都帝大教授である。喜田はこれを皇国史観に立って主張したのだが、その学説を別のイデオロギーで作り直し、定説と言えるものに仕立て上げていったのは、戦後のマルクス主義を信奉する学者たちだった。
その第一人者は、井上清・京都大学教授である。日本近代史を専門とする井上は、部落解放同盟の北原泰作書記長との共著『部落の歴史』(1956年)に、被差別部落の起源について次のように記した。
「戦国時代は『下剋上』が発展し、日本の歴史のもっとも活気あふれたときであった。古代からの天皇制は、天皇の位につく儀式の費用にもこまるほど無力になり、身分や家がらよりも、経済、軍事、知恵等々の実力がものをいった」
「近世の大名ができる過程で、すでに中世とはちがう差別された『部落』がつくられている。そして豊臣秀吉が全国をしたがえてゆくなかで、刀狩りや検地で、百姓町人の武装の自由はうばわれ、百姓の移動および職業をかえることは禁止され、百姓は孫子の末まで永久に百姓として領主の土地にしばりつけられ、士農工商の身分制の骨組がつくられる。徳川幕府時代に入って、それは細かいところまで完成される」
古代と中世の賤民制度は戦国の世を経てバラバラになり、近世に入って新たな身分制度がつくられた、という主張だ。随所にマルクス主義の歴史観がにじむ。そのうえで、井上はこう唱えた。
「百姓以下の身分として『えた』、『非人』および『宿の者』、『はちや』、『茶せん』、『おん坊』、『とうない』そのほかのいわゆる『雑種賤民』が、身分と職業と住所と三つをきりはなせないものにされ、いまに残る部落がつくられたのである」
近世の賤民の特徴は、この時代に定められた身分と職業、住所の三つが切り離せないものになった点にあるとの主張で、「三位一体説」と呼ばれ、近世政治起源説の根幹をなすものになった。
ちなみに、「被差別部落」という表現を初めて使って定着させたのも井上である。賤称を廃止するとの明治4年の太政官布告(いわゆる解放令)の後も、部落の人たちは「新平民」あるいは「特殊部落民」などと呼ばれ、差別され続けた。井上は新しい言葉を作り出して、そうした呼称を一掃したのである。
井上を中心とする学者たちが敷いた路線に沿って、近世の部落差別に関する史料や記録の発掘が進められ、研究論文の発表や書籍の出版が相次いだ。立命館大学の奈良本辰也、林家辰三郎両教授や大阪市立大学の原田伴彦教授ら錚々たるメンバーが部落問題研究所などに集い、近世政治起源説を打ち固めていった。
そして、この学説はついに政府の同和対策審議会の答申(1965年)に明記されるに至った。
同和対策審議会は、部落差別の解消に向けての基本方針と総合的な政策を打ち出すため、1961年に総理府の付属機関として設置された。4年の審議を経て出された答申は、部落差別を放置することは「断じて許されないことであり、その早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」と記し、政府として部落の環境改善や社会福祉、教育面での支援に乗り出すよう求めるものだった。
差別に苦しみ、さいなまれてきた部落の人たちは、1922年(大正11年)に全国水平社を結成し、戦後も差別をなくすための闘争を繰り広げてきた。同対審の答申は、その長くて困難な道を歩み続けた末にたどり着いた到達点であり、部落解放運動の大きな成果であった。
問題は、その歴史的な文書に「部落の起源」に関する記述を書き加えたことである。前文の後の「第一部 同和問題の認識」に次のような文言が盛り込まれた。
「本審議会は、これら同和地区の起源を学問的に究明することを任務とするものではない。ただ、世人の偏見を打破するためにはっきり断言しておかなければならないのは、同和地区の住民は異人種でも異民族でもなく、疑いもなく日本民族、日本国民である、ということである」
「同和地区は、中世末期ないしは近世初期において、封建社会の政治的、経済的、社会的諸条件に規制せられ、一定地域に定着して居住することにより形成された集落である」
内閣総理大臣、佐藤栄作あてに出された審議会の答申に、研究途上の一学説にすぎない近世政治起源説がそっくりそのまま盛り込まれのだ。異様と言うしかない。
政府側の委員として答申の作成にかかわった磯村英一は、第4回部落問題研究者全国集会でその内情を次のように語っている(1967年の同集会報告所収)。
「はっきり申し上げますと、委員のメンバーの中でのイデオロギーの相違からきた反撥の問題が、具体的内容を定めるのにかなり強くひびいたことです。(中略)同対審の会長が三回も四回もやめるといったような問題の中には、今申しましたような問題も若干あります。」
「審議の過程における意見の対立は結構ですが、どちらがイニシャティブをとるとか、またどうしてもその関係者でなければ執筆できないというような点については、もう少し広い立場に立ってよいのではないかと思います」
審議会の内部で激しい意見の対立と葛藤があったことをうかがわせる報告だが、ともあれ、マルクス主義を信奉する研究者たちの学説は「政府のお墨付き」を得た形になり、揺るぎないものとして世に広まっていった。
この答申を受けて、4年後の1969年に同和対策事業特別措置法が制定され、同和地区のインフラ整備や職業・教育支援などのために巨額の公費が投じられた。2002年に同和対策事業に終止符が打たれるまで、投じられた公費は総額15兆円とされる。
こうした同和対策事業によって被差別部落の環境が大幅に改善され、福祉や教育の面で大きな成果があったことは間違いないが、そのひずみもまた大きかった。
大阪府では同和教育のための副読本『にんげん』が作られ、すべての小中学生に無償で配布された。その副読本に書かれていたのは、もちろん「部落は戦国時代の終わりから江戸時代にかけて新しくつくられたもの」という内容だった。他の自治体でも同様である。
部落の近世政治起源説は1980年代以降、中世の史料や記録の発掘・研究が進むにつれて揺らぎ始め、やがて「破綻した学説」としてほとんどの研究者が見向きもしなくなった。
しかしこの間、数十年にわたって、教師たちは「部落は近世になって新しく作られたもの」と子どもたちに教え続けた。イデオロギーに囚われた学者たちが仕立て上げた、誤った学説を垂れ流し続けた。それは広く、深く浸透し、再生産された。
答申に「近世政治起源説」を盛り込んだのは取り返しのつかない過ちであり、その悪影響は政治や行政、学問や教育、文化、言論などあらゆる分野に及んでいった。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2023年1月25日
≪写真説明≫
1922年に結成された全国水平社の宣言文
≪参考文献&サイト≫
◎『部落の歴史 物語・部落解放運動史』(井上清・北原泰作、理論社)
◎『賤民の後裔 わが屈辱と抵抗の半生』(北原泰作、筑摩書房)
◎『被差別部落の歴史』(原田伴彦、明石書店)
◎『同和対策審議会答申』(京都大学の公式サイト)
◎『「同対審」答申を読む』(奥田均、解放出版社)
◎『同和対策と部落問題:第4回部落問題研究者全国集会報告』(部落問題研究所)所収の磯村英一講演録=国立国会図書館のデジタルデータから抜粋
◎『部落史がかわる』(上杉聰、三一書房)
新型コロナウイルスのワクチンを開発できなかった日本の製薬会社が、ついに治療薬の開発に成功したという。塩野義製薬が北海道大学と共同で開発した「ゾコーバ」である。昨年11月下旬に厚生労働省が治療薬として緊急承認し、医療機関への供給が始まった。
本来なら、「これで一安心」と祝福したいところだが、この「コロナ治療薬」、どうもおかしい。コロナ患者の治療にあたっている医師たちがほとんど使っていないのだという。理由はハッキリしている。あまり効き目がないからだ。
厚生労働省や塩野義製薬の発表資料をよく読むと、このコロナ治療薬「ゾコーバ」は1日1回服用すると、鼻水やせき、発熱などの症状が7日間ほどでなくなり、服用しない場合に比べて症状が1日早く治まるのだという。それって、個人差あるいは誤差の範囲内ではないのか。
おまけに、この薬は「軽症や中程度の症状の患者用」で、重症化するリスクが高い患者には向かないのだとか。これでは、医師が処方したがらないのも当然だろう。12月30日付の朝日新聞によると、この薬の供給が始まってから1カ月ほどで処方されたのは7700人余り。毎日20万人前後のコロナ患者が確認されていることを考えれば、「ほとんど使われていない」と言っていい。
そんな薬を厚生労働省は塩野義製薬と事前に「100万人分購入する」と契約し、緊急承認した後、さらに100万人分、合計で200万人分も購入する契約を結んだ。常日頃、厚生労働省の仕事ぶりに首をひねっている筆者としては「また、税金の無駄遣いになるのではないか」と疑いたくもなる。
新型コロナウイルスの感染症対策が急務なのは言うまでもない。従って、昨年5月に法律を改正して治療薬の「緊急承認制度」を作ったことまでは理解できる。「ゾコーバ」はその緊急承認制度が適用された第1号の治療薬である。
だが、薬の調達は処方される量に応じて確保する、というのが常道ではないか。どの程度使われるか分からないうちから、「200万人分買います」と約束して税金を投入する必要がどこにあるのか。
ましてや、塩野義製薬の「ゾコーバ」は日本国内で治療薬として緊急承認されただけで、アメリカなどでは治療薬として承認されていない。「効き目があるかどうか分からない」ような薬を承認しないのは当たり前だろう。
コロナの感染が広がってから、政府は国産ワクチンの開発を支援するため、2020年度の補正予算に2577億円、2021年度の補正予算に2562億円を計上し、合わせて5139億円の税金を投入した。にもかかわらず、国産のワクチンは開発できず、米英の大手製薬会社のワクチンを使うはめになった。5000億円余りの補助金はムダ金になったと言うしかない。
国産のコロナ治療薬の開発にも多額の税金が投じられている。その結果が「症状を1日短縮するだけの治療薬」の開発である。しかも、それを気前よく購入する契約を結んだ。日本の医療を担う厚労省の幹部たちは、恥ずかしくないのだろうか。
塩野義製薬のコロナ治療薬の開発経過を調べていて気になるのは、早い段階から政治家がうごめいている気配があることである。自民党の甘利明・元幹事長は去年の2月4日、この治療薬の薬事承認の手続き中に「(塩野義製薬の薬は)日本人対象の治験で副作用は既存薬より極めて少なく、効能は他を圧している。外国承認をアリバイに石橋を叩いても渡らない厚労省を督促中だ」と自身のツイッターに書き込んだ。
治験の結果もまだ明らかになっていない段階で「効能は他を圧している」と書き込む神経にあきれる。塩野義製薬側から伝えられた情報をうのみにして発信したのだろう。政財官がどのように癒着しているか、問わず語りにその一端を語ってしまった、といったところか。
ああ、また私たちの貴重な税金が政治家と企業、官僚の談合で消えていく。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2023年1月16日
https://news-hunter.org/?p=15960
≪写真説明&Source≫
塩野義製薬のコロナ治療薬「ゾコーバ」
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20221124_n01/
≪参考サイト&記事≫
◎「ゾコーバ」の緊急承認に関する塩野義製薬のプレスリリース(2022年11月22日)
https://www.shionogi.com/jp/ja/news/2022/11/20221122.html
◎「塩野義製 国産コロナ薬 低調」(朝日新聞2022年12月30日付)
◎国産ワクチンの開発支援予算の概要(厚生労働省のサイト)
https://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/21hosei/dl/21hosei_20211129_02.pdf
◎塩野義の手代木(てしろぎ)社長、甘利氏ツイート念頭に「政治など外部の影響を受けることない」(日経バイオテクONLINE、2022年2月8日)
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/22/02/07/09135/
本来なら、「これで一安心」と祝福したいところだが、この「コロナ治療薬」、どうもおかしい。コロナ患者の治療にあたっている医師たちがほとんど使っていないのだという。理由はハッキリしている。あまり効き目がないからだ。
厚生労働省や塩野義製薬の発表資料をよく読むと、このコロナ治療薬「ゾコーバ」は1日1回服用すると、鼻水やせき、発熱などの症状が7日間ほどでなくなり、服用しない場合に比べて症状が1日早く治まるのだという。それって、個人差あるいは誤差の範囲内ではないのか。
おまけに、この薬は「軽症や中程度の症状の患者用」で、重症化するリスクが高い患者には向かないのだとか。これでは、医師が処方したがらないのも当然だろう。12月30日付の朝日新聞によると、この薬の供給が始まってから1カ月ほどで処方されたのは7700人余り。毎日20万人前後のコロナ患者が確認されていることを考えれば、「ほとんど使われていない」と言っていい。
そんな薬を厚生労働省は塩野義製薬と事前に「100万人分購入する」と契約し、緊急承認した後、さらに100万人分、合計で200万人分も購入する契約を結んだ。常日頃、厚生労働省の仕事ぶりに首をひねっている筆者としては「また、税金の無駄遣いになるのではないか」と疑いたくもなる。
新型コロナウイルスの感染症対策が急務なのは言うまでもない。従って、昨年5月に法律を改正して治療薬の「緊急承認制度」を作ったことまでは理解できる。「ゾコーバ」はその緊急承認制度が適用された第1号の治療薬である。
だが、薬の調達は処方される量に応じて確保する、というのが常道ではないか。どの程度使われるか分からないうちから、「200万人分買います」と約束して税金を投入する必要がどこにあるのか。
ましてや、塩野義製薬の「ゾコーバ」は日本国内で治療薬として緊急承認されただけで、アメリカなどでは治療薬として承認されていない。「効き目があるかどうか分からない」ような薬を承認しないのは当たり前だろう。
コロナの感染が広がってから、政府は国産ワクチンの開発を支援するため、2020年度の補正予算に2577億円、2021年度の補正予算に2562億円を計上し、合わせて5139億円の税金を投入した。にもかかわらず、国産のワクチンは開発できず、米英の大手製薬会社のワクチンを使うはめになった。5000億円余りの補助金はムダ金になったと言うしかない。
国産のコロナ治療薬の開発にも多額の税金が投じられている。その結果が「症状を1日短縮するだけの治療薬」の開発である。しかも、それを気前よく購入する契約を結んだ。日本の医療を担う厚労省の幹部たちは、恥ずかしくないのだろうか。
塩野義製薬のコロナ治療薬の開発経過を調べていて気になるのは、早い段階から政治家がうごめいている気配があることである。自民党の甘利明・元幹事長は去年の2月4日、この治療薬の薬事承認の手続き中に「(塩野義製薬の薬は)日本人対象の治験で副作用は既存薬より極めて少なく、効能は他を圧している。外国承認をアリバイに石橋を叩いても渡らない厚労省を督促中だ」と自身のツイッターに書き込んだ。
治験の結果もまだ明らかになっていない段階で「効能は他を圧している」と書き込む神経にあきれる。塩野義製薬側から伝えられた情報をうのみにして発信したのだろう。政財官がどのように癒着しているか、問わず語りにその一端を語ってしまった、といったところか。
ああ、また私たちの貴重な税金が政治家と企業、官僚の談合で消えていく。
(長岡 昇:NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2023年1月16日
https://news-hunter.org/?p=15960
≪写真説明&Source≫
塩野義製薬のコロナ治療薬「ゾコーバ」
https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20221124_n01/
≪参考サイト&記事≫
◎「ゾコーバ」の緊急承認に関する塩野義製薬のプレスリリース(2022年11月22日)
https://www.shionogi.com/jp/ja/news/2022/11/20221122.html
◎「塩野義製 国産コロナ薬 低調」(朝日新聞2022年12月30日付)
◎国産ワクチンの開発支援予算の概要(厚生労働省のサイト)
https://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/21hosei/dl/21hosei_20211129_02.pdf
◎塩野義の手代木(てしろぎ)社長、甘利氏ツイート念頭に「政治など外部の影響を受けることない」(日経バイオテクONLINE、2022年2月8日)
https://bio.nikkeibp.co.jp/atcl/news/p1/22/02/07/09135/