政務活動費の不正受給と聞けば、多くの人は兵庫県の「号泣県議」こと、野々村竜太郎県議のことを思い浮かべるのではないだろうか。
不正が発覚したのは2014年である。ものすごい数のカラ出張を繰り返す。切手を大量に購入して換金する。そうした手法で政務活動費として使ったことにして公金をだまし取っていた。その年の7月には記者会見中に泣きじゃくり、その異様な姿は海外でも報じられた。
野々村氏は兵庫県議会の各会派代表の連名で刑事告発された。翌2015年8月に913万円を詐取したとして詐欺および虚偽公文書作成・同行使容疑で在宅起訴され、2016年7月に懲役3年、執行猶予4年の神戸地裁判決が確定した。
一連の騒ぎの間、山形県議の野川政文氏は勤務実態のない女性事務員を雇用したと偽り、人件費として毎月8万円を計上し、公金をだまし取っていた。年額96万円になる(後に2008年から続けていたことが判明)。
野々村氏の判決が確定した後、2016年9月には山形県内でも阿部賢一県議の政務活動費の不正受給が明るみに出た。山形新聞がスクープしたもので、会合費や事務費をごまかしていた。阿部県議は辞職し、県議会事務局によると最終的に663万円を返納した。
野川氏はこの時、山形県議会議長で「阿部県議の刑事告発を検討する」と表明している(民進党や社民党県議らでつくる県政クラブが反対して告発はされなかった)。おまけに野川氏は全国都道府県議会議長会の会長でもあった。2016年10月中旬には、全国議長会の会長として自民党との政策懇談会に出席し、要望事項を伝えたりしている。
にもかかわらず、その後も素知らぬ顔で架空の人件費を計上し、公金をだまし取っていた。よくそんなことが続けられたものだと思う。
◇ ◇
野川氏の長年の悪事が露見したのは11月4日である。NHK山形放送局が朝のニュースで特ダネとして報じ、新聞・テレビ各社が追いかけた。
市民オンブズマン山形県会議も報道の裏付けに走り、信頼できる筋から「本人は不正を認め、辞職する意向と聞いている」との情報を得た。その日の夕方には県政記者クラブで緊急会見を開き、「刑事告発も検討する」と表明した。
山形県に限らず、市民オンブズマンは全国で議員の政務活動費の不正を追及してきた。監査請求を繰り返し、撥(は)ねつけられると、裁判に訴えて不正をただそうとしてきた。「政務活動費の収支報告書や領収書類をインターネットで公開し、その内容をガラス張りにすべきだ」と提言もしている。
だが、山形県議会はこの間、ほとんど何の努力もしてこなかった。一方、足もとの山形市議会では、議長がリーダーシップを発揮して領収書のインターネット公開など次々に改善策を打ち出した。
その結果、全国市民オンブズマン連絡会議が毎年公表している「政務活動費の情報公開度ランキング」で、山形市議会は2019年の「中核市の議会でビリから3番目」から今年は「全国2位」(1位は函館市議会)へと大躍進した。改革どころか何もしない山形県議会は毎年、ズルズルと順位を下げ、今年は29位まで落ちた。その挙げ句に、県議会議長経験者の不正である。山形のオンブズマンが怒るのは当然ではないか。
不正受給が発覚すると、野川氏は2日後の6日に県議会の坂本貴美雄議長に辞職願を出し、身を引いた。15日には山形市内のレンタル会議場で記者会見を開き、人件費の架空計上が2008年度からの13年間で総額1248万円に上ることを明らかにした。
記者会見では、自宅の一部を事務所として使い、その電気代や水道代、灯油代などでも不適切な支出があるのではないかと追及され、否定しなかった。不正は人件費の架空請求にとどまらず、総額は有罪判決を受けた野々村氏のそれをかなり上回る。
不可解なのは、その後の山形県議会と山形県当局の対応である。坂本議長は「個人のモラルの問題」とし、刑事告発については「考えていない」と述べた。あきれる。「モラルの問題」であると同時に、政務活動費の制度と運用が問われているのだ。
坂本議長は「県議会には法人格がない。議会としての告発は法制度上できない」とも述べた。議会に「法人格」がないことくらい言われなくても分かっている。ならば、議会を代表して議長として、あるいは兵庫県議会のように各会派代表の連名で告発すればいいのだ。
公金詐取の被害者は納税者であり、それを代表すべきは県知事である。こちらは告発ではなく、告訴すべき立場にある。ところが、山形県の吉村美栄子知事は記者会見で対応を問われると、「一義的には議会が対応すべきこと。議会の独立性、自主性を尊重したい」と述べた。この発言だけ聞けば、もっともらしい。
だが、吉村知事は今年3月、若松正俊副知事の再任人事案が県議会で否決されるや、若松氏を議会の同意がいらない非常勤特別職に任命して続投させた。議会をこけにする暴挙である。なのに、こういう時は「議会を尊重する」と言って逃げようとする。つくづく、いい加減な政治家である。
ことは巨額の詐欺事件である。本人も詐取したことを認めている。血税をだまし取った人間がいるなら、納税者の代表として知事が告訴するのは当然のことであり、責務であると言ってもいい。
野川氏は会見で「(詐取した金を)私的には使っていない」と繰り返した。それを見出しに取った愚かな新聞もあるが、だまし取った金をどう使ったかは詐欺罪の立件には関係がない。刑の言い渡しに際して「情状酌量の材料の一つ」になるに過ぎない。
一般人が一般人から金をだまし取る詐欺でも罪は重い。ましてや、政務活動費が適切に使われるようにする責任を負う県議会の議長経験者が公金をだまし取ったのである。議会が告発し、知事が告訴するのは当然ではないか。
知事や議会のこうした対応を見ていると、この人たちは「不正を知っても、こっそりと処理して闇に葬ってしまおうとしていたのではないか」と疑ってしまう。
あらためて、報道の大切さを思う。悪いことは悪い。許されないことは許してはならない。政治や行政をしっかり監視して不正を暴くのは、報道機関の重要な役割の一つである。
警察や検察がお目こぼしをしようとしても、それが納税者のためにならないなら、見過ごしてはならない。真相の解明に果敢に挑み、人々に伝えなければならない。日々の出来事の報道ももちろん大切なことだが、やはり「スクーブ」こそ、報道の要と言うべきだろう。
長岡 昇( NPO「ブナの森」 代表)
*メールマガジン「風切通信 98」 2021年11月27日
*この文章は、月刊『素晴らしい山形』2021年12月号に寄稿したコラムを手直しし、加筆したものです。
≪写真説明&Source≫
◎記者会見で号泣する野々村竜太郎県議
https://looking.fandom.com/ja/wiki/%E9%87%8E%E3%80%85%E6%9D%91%E7%AB%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E
◎2016年10月19日、自民党との政策懇談会で全国都道府県議会議長会の会長として発言する野川政文氏(全国都道府県議会議長会のサイトから)
http://www.gichokai.gr.jp/topics/2016/161019/index.html
不正が発覚したのは2014年である。ものすごい数のカラ出張を繰り返す。切手を大量に購入して換金する。そうした手法で政務活動費として使ったことにして公金をだまし取っていた。その年の7月には記者会見中に泣きじゃくり、その異様な姿は海外でも報じられた。
野々村氏は兵庫県議会の各会派代表の連名で刑事告発された。翌2015年8月に913万円を詐取したとして詐欺および虚偽公文書作成・同行使容疑で在宅起訴され、2016年7月に懲役3年、執行猶予4年の神戸地裁判決が確定した。
一連の騒ぎの間、山形県議の野川政文氏は勤務実態のない女性事務員を雇用したと偽り、人件費として毎月8万円を計上し、公金をだまし取っていた。年額96万円になる(後に2008年から続けていたことが判明)。
野々村氏の判決が確定した後、2016年9月には山形県内でも阿部賢一県議の政務活動費の不正受給が明るみに出た。山形新聞がスクープしたもので、会合費や事務費をごまかしていた。阿部県議は辞職し、県議会事務局によると最終的に663万円を返納した。
野川氏はこの時、山形県議会議長で「阿部県議の刑事告発を検討する」と表明している(民進党や社民党県議らでつくる県政クラブが反対して告発はされなかった)。おまけに野川氏は全国都道府県議会議長会の会長でもあった。2016年10月中旬には、全国議長会の会長として自民党との政策懇談会に出席し、要望事項を伝えたりしている。
にもかかわらず、その後も素知らぬ顔で架空の人件費を計上し、公金をだまし取っていた。よくそんなことが続けられたものだと思う。
◇ ◇
野川氏の長年の悪事が露見したのは11月4日である。NHK山形放送局が朝のニュースで特ダネとして報じ、新聞・テレビ各社が追いかけた。
市民オンブズマン山形県会議も報道の裏付けに走り、信頼できる筋から「本人は不正を認め、辞職する意向と聞いている」との情報を得た。その日の夕方には県政記者クラブで緊急会見を開き、「刑事告発も検討する」と表明した。
山形県に限らず、市民オンブズマンは全国で議員の政務活動費の不正を追及してきた。監査請求を繰り返し、撥(は)ねつけられると、裁判に訴えて不正をただそうとしてきた。「政務活動費の収支報告書や領収書類をインターネットで公開し、その内容をガラス張りにすべきだ」と提言もしている。
だが、山形県議会はこの間、ほとんど何の努力もしてこなかった。一方、足もとの山形市議会では、議長がリーダーシップを発揮して領収書のインターネット公開など次々に改善策を打ち出した。
その結果、全国市民オンブズマン連絡会議が毎年公表している「政務活動費の情報公開度ランキング」で、山形市議会は2019年の「中核市の議会でビリから3番目」から今年は「全国2位」(1位は函館市議会)へと大躍進した。改革どころか何もしない山形県議会は毎年、ズルズルと順位を下げ、今年は29位まで落ちた。その挙げ句に、県議会議長経験者の不正である。山形のオンブズマンが怒るのは当然ではないか。
不正受給が発覚すると、野川氏は2日後の6日に県議会の坂本貴美雄議長に辞職願を出し、身を引いた。15日には山形市内のレンタル会議場で記者会見を開き、人件費の架空計上が2008年度からの13年間で総額1248万円に上ることを明らかにした。
記者会見では、自宅の一部を事務所として使い、その電気代や水道代、灯油代などでも不適切な支出があるのではないかと追及され、否定しなかった。不正は人件費の架空請求にとどまらず、総額は有罪判決を受けた野々村氏のそれをかなり上回る。
不可解なのは、その後の山形県議会と山形県当局の対応である。坂本議長は「個人のモラルの問題」とし、刑事告発については「考えていない」と述べた。あきれる。「モラルの問題」であると同時に、政務活動費の制度と運用が問われているのだ。
坂本議長は「県議会には法人格がない。議会としての告発は法制度上できない」とも述べた。議会に「法人格」がないことくらい言われなくても分かっている。ならば、議会を代表して議長として、あるいは兵庫県議会のように各会派代表の連名で告発すればいいのだ。
公金詐取の被害者は納税者であり、それを代表すべきは県知事である。こちらは告発ではなく、告訴すべき立場にある。ところが、山形県の吉村美栄子知事は記者会見で対応を問われると、「一義的には議会が対応すべきこと。議会の独立性、自主性を尊重したい」と述べた。この発言だけ聞けば、もっともらしい。
だが、吉村知事は今年3月、若松正俊副知事の再任人事案が県議会で否決されるや、若松氏を議会の同意がいらない非常勤特別職に任命して続投させた。議会をこけにする暴挙である。なのに、こういう時は「議会を尊重する」と言って逃げようとする。つくづく、いい加減な政治家である。
ことは巨額の詐欺事件である。本人も詐取したことを認めている。血税をだまし取った人間がいるなら、納税者の代表として知事が告訴するのは当然のことであり、責務であると言ってもいい。
野川氏は会見で「(詐取した金を)私的には使っていない」と繰り返した。それを見出しに取った愚かな新聞もあるが、だまし取った金をどう使ったかは詐欺罪の立件には関係がない。刑の言い渡しに際して「情状酌量の材料の一つ」になるに過ぎない。
一般人が一般人から金をだまし取る詐欺でも罪は重い。ましてや、政務活動費が適切に使われるようにする責任を負う県議会の議長経験者が公金をだまし取ったのである。議会が告発し、知事が告訴するのは当然ではないか。
知事や議会のこうした対応を見ていると、この人たちは「不正を知っても、こっそりと処理して闇に葬ってしまおうとしていたのではないか」と疑ってしまう。
あらためて、報道の大切さを思う。悪いことは悪い。許されないことは許してはならない。政治や行政をしっかり監視して不正を暴くのは、報道機関の重要な役割の一つである。
警察や検察がお目こぼしをしようとしても、それが納税者のためにならないなら、見過ごしてはならない。真相の解明に果敢に挑み、人々に伝えなければならない。日々の出来事の報道ももちろん大切なことだが、やはり「スクーブ」こそ、報道の要と言うべきだろう。
長岡 昇( NPO「ブナの森」 代表)
*メールマガジン「風切通信 98」 2021年11月27日
*この文章は、月刊『素晴らしい山形』2021年12月号に寄稿したコラムを手直しし、加筆したものです。
≪写真説明&Source≫
◎記者会見で号泣する野々村竜太郎県議
https://looking.fandom.com/ja/wiki/%E9%87%8E%E3%80%85%E6%9D%91%E7%AB%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E
◎2016年10月19日、自民党との政策懇談会で全国都道府県議会議長会の会長として発言する野川政文氏(全国都道府県議会議長会のサイトから)
http://www.gichokai.gr.jp/topics/2016/161019/index.html
山形地方検察庁の友添太郎検事正が今年7月に地検の公式サイトにアップした着任挨拶文は、前任の松下裕子(ひろこ)氏の挨拶文を名前以外すべて盗用したものだ、との記事を11月11日の朝、調査報道サイト「ハンター」に掲載した。すると、ほどなく投稿欄を通して「松下氏のも前任者のコピペでした」との情報が寄せられた。
仰天した。2代続けての盗用など考えてもいなかった。投稿には次のような「証拠」も添付されていた(カッコ内の在任期間は筆者が補足)。
◎松下裕子検事正(2020年1月?2021年7月)
https://web.archive.org/web/20200828002412/http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
◎伊藤栄二検事正(2019年7月?2020年1月)
https://web.archive.org/web/20190919082509/https://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
◎吉田久検事正(2018年7月?2019年7月)
https://web.archive.org/web/20180929050945/http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
クリックすると、その検事正の紹介画面が出てくる。顔写真と略歴の下に着任の挨拶がそれぞれ掲載されていた。読んでみると、松下裕子氏の着任挨拶文も前任の伊藤栄二氏(現静岡地検検事正)の文章をほぼそのままなぞったものであることが分かる。伊藤氏の挨拶文は次の通りである。
* *
この度、山形地方検察庁検事正に就任しました伊藤栄二です。山形県をはじめ東北で勤務するのは今回が初めてですが、山形県は豊かな自然と歴史・文化があり、人は温和で情に厚く、とても良い所だと聞いており、これからの生活を楽しみにしているところです。
近年の当県内における犯罪の情勢を見ますと、一人暮らしの高齢者や幼児・児童などの弱い立場にある方が被害に遭い、キャッシュカードや現金をだまし取られるなどの特殊詐欺や児童虐待に当たる事件が増え続けています。
当山形地方検察庁は、これら一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合い、警察等関係機関とも連携し、罰すべき者が適切に罰されるよう対処することを通じ、山形県民の皆様の期待に応え、その安心・安全の確保に力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
* *
松下氏は仙台地検に勤務したことがあるので「山形県をはじめ東北で勤務するのは今回が初めて」とは言えない。そこで「山形県で勤務するのは今回が初めて」と直してある。が、その後にある「山形県の犯罪情勢」と「検察官としての決意」の部分は、伊藤氏の文章をほぼそのままなぞっていた。
「被害に遭い」を「被害に遭われ」、「事件が増え続けています」を「事件が、連続的に発生しています」と手を入れている程度だ。伊藤氏の挨拶文343文字のうち、松下氏が変えたのは名前を含めて18文字のみ。文章の盗用率は95%である(ちなみに、伊藤氏の挨拶文は前任の吉田氏のものとはまるで異なる)。
この松下氏の着任挨拶文を、次の友添太郎検事正は名前の4文字を入れ替えただけで全文盗用したわけだ。伊藤氏の着任挨拶文を2代続けてパクッていたのである。
検察官同士での挨拶文の盗用なので、「論文の盗用」とは意味合いが異なる。著作権法などの法律に触れるわけではない。だが、こんな行為は「法律以前の人としての道義の問題」として許されるものではない。何よりも、地元山形の人たちに対して失礼きわまる。着任の挨拶を盗用しておきながら「一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合う」などと言われても、誰が信用すると言うのか。
情報提供の詳細を知った時、筆者は「それにしても、とうの昔に検察庁の公式サイトから消えた挨拶文がなぜあるのか」と、素朴な疑問を抱いた。手がかりはURL(インターネット上の位置情報)にある、と考え、冒頭の「https://web.archive.org/」の意味をネットに強い知人に尋ねた。以下は知人の解説である。
アメリカのカリフォルニアに「インターネットアーカイブ Internet Archive 」というNPO(非営利団体)がある。ここがネット上にある世界中のサイトをほぼすべて収集して保管し、検索できるサービスを提供している。「インターネットの国際図書館」のようなものだ。1996年に設立され、運営はすべて寄付金でまかなっている。もちろん、世界にはものすごい数のサイトがあるので、すべてを毎日収集するわけにはいかない。定期的に巡回して自動的にダウンロードするプログラムを使っている。保管しているサイトのページ数は5880億ページに及ぶ。
筆者のようなアナログ人間には想像もできなかった。そんなサービスがあるとは。ウェブサイト制作会社のエンジニアたちの間では広く知られており、さまざまな目的で使われているという。利用の仕方を教わり、さっそく検索を始めた。
着任挨拶文の使い回しは山形地検だけなのか。ほかの地検にはないのか。東北を皮切りに全国の地検の公式サイトを手当たり次第に調べてみた。これまで調べた範囲では、挨拶文の盗用をしているような検事正は山形以外にはいなかった。
東日本大震災の被災地である福島、仙台、盛岡の各地検検事正は、復興状況を織り交ぜながら、被災地の人たちに寄り添う言葉を綴っていた。鳥取の検事正は自ら歩んできた道をたどりながら犯罪に立ち向かう決意を語り、佐賀の検事正は「薩長土肥の一翼を担った歴史」に触れつつ支援と協力を呼びかけていた。それぞれ、「自分の言葉」と分かる内容だった(紋切型の文章を載せている地検はある。また、そもそも検事正の着任挨拶を載せていない地検もある)。
なぜ、山形地検でこのようなことが起きたのか。検察関係者はこんな風に言う。「山形県は大きな事件もないし、落ち着いている。激務に追われた人を『しばし、リフレッシュしておいで』と送り出すところなのだ」
松下氏は千葉や横浜など主に首都圏の地検で現場を踏み、東京地検特捜部の副部長を務めた。法務省の国際課長や刑事課長も歴任している。「検察の本流」を経てきた検察官で、激務の連続だったことは間違いない。
山形県はソバと日本酒がうまい。果物も牛肉もブランドものがそろっている。温泉もいたる所にある。リフレッシュには最適の土地の一つだろう。要するに、山形県は「検察の湯治場」のようなもの、ということのようだ。
松下氏も友添氏も「地検のサイトの挨拶文をじっくり読む人などいない」とでも思ったのか。あまりと言えばあまりの見下しようである。この問題の第一報をアップした後、筆者は山形地検を訪ね、見解を問おうとした。だが、広報を担当する大林潤・次席検事は会おうともせず、事務官を通して「ノーコメント」と伝えてきた。見下しぶりは徹底している。
2代続けて盗用された着任挨拶文にあるように、山形県民の多くは「温和で情に厚い」。だが、その温和さにも限度がある、と知るべきである。
長岡 昇(NPO「ブナの森」代表)
【追記】この記事がアップされた11月22日に山形地検の公式サイトにある検事正挨拶は全面的に更新された。ようやく、自分で書く気になったようだ。
≪写真説明≫
検察官の「秋霜烈日」のバッジ
*山形地検・友添太郎検事正の着任挨拶(11月22日に更新)
https://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
*インターネットアーカイブの利用方法(筆者作成)
https://news-hunter.org/wp-content/uploads/2021/11/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9.pdf
仰天した。2代続けての盗用など考えてもいなかった。投稿には次のような「証拠」も添付されていた(カッコ内の在任期間は筆者が補足)。
◎松下裕子検事正(2020年1月?2021年7月)
https://web.archive.org/web/20200828002412/http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
◎伊藤栄二検事正(2019年7月?2020年1月)
https://web.archive.org/web/20190919082509/https://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
◎吉田久検事正(2018年7月?2019年7月)
https://web.archive.org/web/20180929050945/http://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
クリックすると、その検事正の紹介画面が出てくる。顔写真と略歴の下に着任の挨拶がそれぞれ掲載されていた。読んでみると、松下裕子氏の着任挨拶文も前任の伊藤栄二氏(現静岡地検検事正)の文章をほぼそのままなぞったものであることが分かる。伊藤氏の挨拶文は次の通りである。
* *
この度、山形地方検察庁検事正に就任しました伊藤栄二です。山形県をはじめ東北で勤務するのは今回が初めてですが、山形県は豊かな自然と歴史・文化があり、人は温和で情に厚く、とても良い所だと聞いており、これからの生活を楽しみにしているところです。
近年の当県内における犯罪の情勢を見ますと、一人暮らしの高齢者や幼児・児童などの弱い立場にある方が被害に遭い、キャッシュカードや現金をだまし取られるなどの特殊詐欺や児童虐待に当たる事件が増え続けています。
当山形地方検察庁は、これら一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合い、警察等関係機関とも連携し、罰すべき者が適切に罰されるよう対処することを通じ、山形県民の皆様の期待に応え、その安心・安全の確保に力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
* *
松下氏は仙台地検に勤務したことがあるので「山形県をはじめ東北で勤務するのは今回が初めて」とは言えない。そこで「山形県で勤務するのは今回が初めて」と直してある。が、その後にある「山形県の犯罪情勢」と「検察官としての決意」の部分は、伊藤氏の文章をほぼそのままなぞっていた。
「被害に遭い」を「被害に遭われ」、「事件が増え続けています」を「事件が、連続的に発生しています」と手を入れている程度だ。伊藤氏の挨拶文343文字のうち、松下氏が変えたのは名前を含めて18文字のみ。文章の盗用率は95%である(ちなみに、伊藤氏の挨拶文は前任の吉田氏のものとはまるで異なる)。
この松下氏の着任挨拶文を、次の友添太郎検事正は名前の4文字を入れ替えただけで全文盗用したわけだ。伊藤氏の着任挨拶文を2代続けてパクッていたのである。
検察官同士での挨拶文の盗用なので、「論文の盗用」とは意味合いが異なる。著作権法などの法律に触れるわけではない。だが、こんな行為は「法律以前の人としての道義の問題」として許されるものではない。何よりも、地元山形の人たちに対して失礼きわまる。着任の挨拶を盗用しておきながら「一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合う」などと言われても、誰が信用すると言うのか。
情報提供の詳細を知った時、筆者は「それにしても、とうの昔に検察庁の公式サイトから消えた挨拶文がなぜあるのか」と、素朴な疑問を抱いた。手がかりはURL(インターネット上の位置情報)にある、と考え、冒頭の「https://web.archive.org/」の意味をネットに強い知人に尋ねた。以下は知人の解説である。
アメリカのカリフォルニアに「インターネットアーカイブ Internet Archive 」というNPO(非営利団体)がある。ここがネット上にある世界中のサイトをほぼすべて収集して保管し、検索できるサービスを提供している。「インターネットの国際図書館」のようなものだ。1996年に設立され、運営はすべて寄付金でまかなっている。もちろん、世界にはものすごい数のサイトがあるので、すべてを毎日収集するわけにはいかない。定期的に巡回して自動的にダウンロードするプログラムを使っている。保管しているサイトのページ数は5880億ページに及ぶ。
筆者のようなアナログ人間には想像もできなかった。そんなサービスがあるとは。ウェブサイト制作会社のエンジニアたちの間では広く知られており、さまざまな目的で使われているという。利用の仕方を教わり、さっそく検索を始めた。
着任挨拶文の使い回しは山形地検だけなのか。ほかの地検にはないのか。東北を皮切りに全国の地検の公式サイトを手当たり次第に調べてみた。これまで調べた範囲では、挨拶文の盗用をしているような検事正は山形以外にはいなかった。
東日本大震災の被災地である福島、仙台、盛岡の各地検検事正は、復興状況を織り交ぜながら、被災地の人たちに寄り添う言葉を綴っていた。鳥取の検事正は自ら歩んできた道をたどりながら犯罪に立ち向かう決意を語り、佐賀の検事正は「薩長土肥の一翼を担った歴史」に触れつつ支援と協力を呼びかけていた。それぞれ、「自分の言葉」と分かる内容だった(紋切型の文章を載せている地検はある。また、そもそも検事正の着任挨拶を載せていない地検もある)。
なぜ、山形地検でこのようなことが起きたのか。検察関係者はこんな風に言う。「山形県は大きな事件もないし、落ち着いている。激務に追われた人を『しばし、リフレッシュしておいで』と送り出すところなのだ」
松下氏は千葉や横浜など主に首都圏の地検で現場を踏み、東京地検特捜部の副部長を務めた。法務省の国際課長や刑事課長も歴任している。「検察の本流」を経てきた検察官で、激務の連続だったことは間違いない。
山形県はソバと日本酒がうまい。果物も牛肉もブランドものがそろっている。温泉もいたる所にある。リフレッシュには最適の土地の一つだろう。要するに、山形県は「検察の湯治場」のようなもの、ということのようだ。
松下氏も友添氏も「地検のサイトの挨拶文をじっくり読む人などいない」とでも思ったのか。あまりと言えばあまりの見下しようである。この問題の第一報をアップした後、筆者は山形地検を訪ね、見解を問おうとした。だが、広報を担当する大林潤・次席検事は会おうともせず、事務官を通して「ノーコメント」と伝えてきた。見下しぶりは徹底している。
2代続けて盗用された着任挨拶文にあるように、山形県民の多くは「温和で情に厚い」。だが、その温和さにも限度がある、と知るべきである。
長岡 昇(NPO「ブナの森」代表)
【追記】この記事がアップされた11月22日に山形地検の公式サイトにある検事正挨拶は全面的に更新された。ようやく、自分で書く気になったようだ。
≪写真説明≫
検察官の「秋霜烈日」のバッジ
*山形地検・友添太郎検事正の着任挨拶(11月22日に更新)
https://www.kensatsu.go.jp/kakuchou/yamagata/page1000025.html
*インターネットアーカイブの利用方法(筆者作成)
https://news-hunter.org/wp-content/uploads/2021/11/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%96%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%96%B9.pdf
ものを盗んだり、人を傷つけたりすれば、誰であれ咎(とが)められ、処罰される。ましてや、それが一般の人ではなく、摘発する側の警察官や検察官であれば、その罪は一段と重い。
そうした「一段と重い罪」を犯した者が、わが故郷の山形県にいる。普通の警察官や検察官ではない。山形地方検察庁のトップ、友添太郎・検事正である。
友添氏は今年7月16日付の人事で静岡地検沼津支部長から山形地検の検事正に転じた。ほどなく着任し、山形地検の公式サイトに次のような挨拶文をアップした(公式サイトはカラー文字をクリック)。
◇ ◇
このたび、山形地方検察庁検事正に就任しました友添太郎です。山形県で勤務するのは今回が初めてですが、豊かな自然と歴史・文化が大切にされ、人は温和で情に厚く、とても良い所だと聞いており、これからの生活を楽しみにしているところです。
近年の当県内における犯罪の情勢を見ますと、一人暮らしの高齢者や幼児・児童などの弱い立場にある方が被害に遭われ、現金やキャッシュカードをだまし取られるなどの特殊詐欺や児童虐待に当たる事件が、連続的に発生しています。
当山形地方検察庁は、これら一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合い、警察等関係機関とも連携し、罰すべき者が適切に罰されるよう対処することを通じ、山形県民の皆様の期待に応え、その安心・安全の確保に力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
◇ ◇
赴任地・山形についての思いを綴り、犯罪に立ち向かう決意を記した、なかなか味のある挨拶文である。が、一読して既視感を覚えた。とりわけ、「罰すべき者が適切に罰されるよう対処する」という一文が引っかかった。
友添氏の前任の松下裕子(ひろこ)山形地検検事正の着任挨拶文に同じ表現があったからである。すぐさま、松下氏の挨拶文(2020年1月にアップ)を引っ張り出し、読んでみた。
唖然とした。「このたび」から始まり、「よろしくお願いいたします」まで、一字一句、句読点に至るまでまったく同じだった。「松下裕子」の4文字を「友添太郎」と差し替えただけで、全文を盗用していた。
なんという手抜き。いや、「手抜き」などという生やさしい言葉で表現すべきではない。地元山形の人々を愚弄し、法の執行に当たる警察官や検察官をあざ笑うような所業だ。地方検察庁のトップとして、許されざる行為と言わなければならない。
実は、この着任挨拶文の盗用には7月の時点で気づいていた。それに目をつぶっていたのは「着任直後であわただしい状況にあるのだろう」と少しばかり同情したのに加えて、この時、山形県警と山形地検が「副知事の公職選挙法違反(公務員の地位利用)」という重大事件を抱えていたので、「捜査の妨げになるようなことは控えたい」という思いがあったからだ。
副知事の公選法違反事件とは、今年1月の山形県知事選をめぐって、当時副知事だった人物が県内の市長らに現職知事の対立候補を応援しないよう圧力を加えた疑いがある、というものだ。圧力を加えられたとされる市長は何人もいる。しかも、山形県当局は現職知事が4選を果たすやいなや、反旗を翻した市長らに補助金の削減をほのめかすなど露骨な動きを見せた。
山形県警は知事選の直後から内偵を進め、市長や副知事だった人物への事情聴取に乗り出した。友添氏が着任する直前、6月の半ばには「前副知事から任意で事情聴取」との報道もなされていた。
だが、その後、捜査当局は立件に向けた動きを見せない。あいまいなまま、事件の幕引きを図ろうとしている気配がある。「もはや重大事件を抱えていることへの配慮は無用」と筆者は判断し、検事正の破廉恥な行為を告発することにした。
この手の問題を報じる場合、普通なら相手(山形地検及び友添氏)の言い分を取材し、それも伝えるべきなのだろうが、今回はあえて事前に相手に接触しなかった。接触した途端、山形地検の公式サイトにある「全文盗用の着任挨拶」を削除してしまう恐れがあるからだ。
読者のみなさんには、本文中に記した山形地検の公式サイトのURLをクリックして、友添氏の挨拶文に目を通し、末尾に添付した前任者の挨拶文と照合して「盗用」を確認していただきたい。
山形地検は盗用についてどう釈明するのか。また、この記事にいつ気づき、どう動くのか。さらに、上級庁である仙台高検や最高検はどのように対応するのか。それらについては続報でお伝えしたい。
長岡 昇(NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2021年11月11日
*前任の山形地検検事正、松下裕子氏の着任挨拶文
≪写真説明とSource≫
◎東京・霞が関の検察庁(Web:東京新聞 2020年5月18日)
そうした「一段と重い罪」を犯した者が、わが故郷の山形県にいる。普通の警察官や検察官ではない。山形地方検察庁のトップ、友添太郎・検事正である。
友添氏は今年7月16日付の人事で静岡地検沼津支部長から山形地検の検事正に転じた。ほどなく着任し、山形地検の公式サイトに次のような挨拶文をアップした(公式サイトはカラー文字をクリック)。
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このたび、山形地方検察庁検事正に就任しました友添太郎です。山形県で勤務するのは今回が初めてですが、豊かな自然と歴史・文化が大切にされ、人は温和で情に厚く、とても良い所だと聞いており、これからの生活を楽しみにしているところです。
近年の当県内における犯罪の情勢を見ますと、一人暮らしの高齢者や幼児・児童などの弱い立場にある方が被害に遭われ、現金やキャッシュカードをだまし取られるなどの特殊詐欺や児童虐待に当たる事件が、連続的に発生しています。
当山形地方検察庁は、これら一つ一つの事件と真摯かつ誠実に向き合い、警察等関係機関とも連携し、罰すべき者が適切に罰されるよう対処することを通じ、山形県民の皆様の期待に応え、その安心・安全の確保に力を尽くして参ります。どうぞよろしくお願いいたします。
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赴任地・山形についての思いを綴り、犯罪に立ち向かう決意を記した、なかなか味のある挨拶文である。が、一読して既視感を覚えた。とりわけ、「罰すべき者が適切に罰されるよう対処する」という一文が引っかかった。
友添氏の前任の松下裕子(ひろこ)山形地検検事正の着任挨拶文に同じ表現があったからである。すぐさま、松下氏の挨拶文(2020年1月にアップ)を引っ張り出し、読んでみた。
唖然とした。「このたび」から始まり、「よろしくお願いいたします」まで、一字一句、句読点に至るまでまったく同じだった。「松下裕子」の4文字を「友添太郎」と差し替えただけで、全文を盗用していた。
なんという手抜き。いや、「手抜き」などという生やさしい言葉で表現すべきではない。地元山形の人々を愚弄し、法の執行に当たる警察官や検察官をあざ笑うような所業だ。地方検察庁のトップとして、許されざる行為と言わなければならない。
実は、この着任挨拶文の盗用には7月の時点で気づいていた。それに目をつぶっていたのは「着任直後であわただしい状況にあるのだろう」と少しばかり同情したのに加えて、この時、山形県警と山形地検が「副知事の公職選挙法違反(公務員の地位利用)」という重大事件を抱えていたので、「捜査の妨げになるようなことは控えたい」という思いがあったからだ。
副知事の公選法違反事件とは、今年1月の山形県知事選をめぐって、当時副知事だった人物が県内の市長らに現職知事の対立候補を応援しないよう圧力を加えた疑いがある、というものだ。圧力を加えられたとされる市長は何人もいる。しかも、山形県当局は現職知事が4選を果たすやいなや、反旗を翻した市長らに補助金の削減をほのめかすなど露骨な動きを見せた。
山形県警は知事選の直後から内偵を進め、市長や副知事だった人物への事情聴取に乗り出した。友添氏が着任する直前、6月の半ばには「前副知事から任意で事情聴取」との報道もなされていた。
だが、その後、捜査当局は立件に向けた動きを見せない。あいまいなまま、事件の幕引きを図ろうとしている気配がある。「もはや重大事件を抱えていることへの配慮は無用」と筆者は判断し、検事正の破廉恥な行為を告発することにした。
この手の問題を報じる場合、普通なら相手(山形地検及び友添氏)の言い分を取材し、それも伝えるべきなのだろうが、今回はあえて事前に相手に接触しなかった。接触した途端、山形地検の公式サイトにある「全文盗用の着任挨拶」を削除してしまう恐れがあるからだ。
読者のみなさんには、本文中に記した山形地検の公式サイトのURLをクリックして、友添氏の挨拶文に目を通し、末尾に添付した前任者の挨拶文と照合して「盗用」を確認していただきたい。
山形地検は盗用についてどう釈明するのか。また、この記事にいつ気づき、どう動くのか。さらに、上級庁である仙台高検や最高検はどのように対応するのか。それらについては続報でお伝えしたい。
長岡 昇(NPO「ブナの森」代表)
*初出:調査報道サイト「ハンター」 2021年11月11日
*前任の山形地検検事正、松下裕子氏の着任挨拶文
≪写真説明とSource≫
◎東京・霞が関の検察庁(Web:東京新聞 2020年5月18日)
イチョウが色づき始めました。ありふれた街路樹の一つですが、ある本に出合ってから、私はこの樹(き)を特別な思いで見つめるようになりました。英国の植物学者、ピーター・クレインが著した『イチョウ 奇跡の2億年史』(河出書房新社)です。
この樹には、命をめぐる壮大な物語が秘められていることを知りました。クレインの著書は、ドイツの文豪ゲーテが詠(よ)んだ次のような詩で始まります。
はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ
おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?
こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを
クレインによれば、シーラカンスが「生きた化石」の動物界のチャンピオンだとするなら、イチョウは植物の世界における「生きた化石」の代表格なのだそうです。恐竜が闊歩していた中生代に登場し、恐竜が絶滅した6500万年前の地球の大変動を生き抜いてきました。
ただ、氷河期にうまく適応することができず、世界のほとんどの地域から姿を消してしまいました。欧州の博物学者はその存在を「化石」でしか知らなかったのです。
けれども、死に絶えてはいませんでした。中国の奥深い山々で細々と生きていたのです。そしていつしか、信仰の対象として人々に崇められるようになり、人間の手で生息域を広げていったと考えられています。著者の探索によれば、中国の文献にイチョウが登場するのは10世紀から11世紀ごろ。やがて、朝鮮半島から日本へと伝わりました。
日本に伝わったのはいつか。著者はそれも調べています。平安時代、『枕草子』を綴った清少納言がイチョウを見ていたら、書かないはずがない。なのに、登場しない。紫式部の『源氏物語』にも出て来ない。当時の辞典にもない。
鎌倉時代の三代将軍、源実朝(さねとも)は鶴岡八幡宮にある樹の陰に隠れていた甥の公卿に暗殺されたと伝えられていますが、その樹がイチョウだというのは後世の付け足しのようです。間違いなくイチョウと判断できる記述が登場するのは15世紀、伝来はその前の14世紀か、というのがクレインの見立てです。中国から日本に伝わるまで数百年かかったことになります。
東洋から西洋への伝わり方も劇的です。鎖国時代の日本。交易を認められていたのはオランダだけでした。そのオランダ商館の医師として長崎の出島に滞在したドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが初めてイチョウを欧州に伝えたのです。帰国後の1712年に出版した『廻国奇観』の中で絵入りで紹介しています。それまで何人ものポルトガル人やオランダ人が日本に来ていたのに、彼らの関心をひくことはありませんでした。キリスト教の布教と交易で頭がいっぱいだったのでしょう。
博物学だけでなく言語学にも造詣の深いケンペルは、日本語の音韻を正確に記述しています。日本のオランダ語通詞を介して、「銀杏」は「イチョウ」もしくは「ギンキョウ」と発音されることを知り、著書にはginkgo と記しました。クレインは「ケンペルはなぜginkyo ではなく、ginkgo と綴ったのか」という謎の解明にも挑んでいます。
植字工がミスをしたという説もありますが、クレインは「ケンペルの出身地であるドイツ北部ではヤ・ユ・ヨの音をga、gu、goと書き表すことが多い」と記し、植字ミスではなく正確に綴ったものとみています。いずれにしても、このginkgoがイチョウを表す言葉として欧州で広まり、そのままのスペルで英語にもなっています。発音は「ギンコウ」です。
それまで「化石」でしか見たことがなく、絶滅したものと思っていた植物が生きていた――それを知った欧州でどのような興奮が巻き起こったかは、冒頭に掲げたゲーテの詩によく現れています。「東方のかなたから来たりし謎」であり、「無知なる心を導いてくれる一枚の葉」だったのです。「東洋の謎」はほどなく大西洋を渡り、アメリカの街路をも彩ることになりました。
植物オンチの私でも、イチョウに雌木(めぎ)と雄木(おぎ)があることは知っていましたが、その花粉には精子があり、しかも、受精の際には「その精子が繊毛をふるわせてかすかに泳ぐ」ということを、この本で初めて知りました。
イチョウの精子を発見したのは小石川植物園の技術者、平瀬作五郎。明治29年(1896年)のことです。維新以来、日本は欧米の文明を吸収する一方でしたが、平瀬の発見は植物学の世界を揺さぶる大発見であり、「遅れてきた文明国」からの初の知的発信になりました。イチョウは「日本を世界に知らしめるチャンス」も与えてくれたのです。
それにしても、著者のクレインは実によく歩いています。欧米諸国はもちろん、中国貴州省の小さな村にある大イチョウを訪ね、韓国忠清南道の寺にある古木に触れ、日本のギンナン産地の愛知県祖父江町(稲沢市に編入)にも足を運んでいます。
訪ねるだけではありません。中国ではギンナンを使った料理の調理法を調べ、祖父江町ではイチョウの栽培農家に接ぎ木の仕方まで教わっています。鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウを見に行った際には、境内でギンナンを焼いて売っている屋台のおばさんの話まで聞いています。長い研究で培われた学識に加えて、「見るべきものはすべて見る。聞くべきことはすべて聞く」という気迫のようなものが、この本を重厚で魅力的なものにしています。
かくもイチョウを愛し、イチョウの謎を追い続けた植物学者は今、何を思うのでしょうか。クレインはゲーテの詩の前に、娘と息子への短い献辞を記しています。「エミリーとサムへ きみたちの時代に長期的な展望が開けることを願って」
壮大な命の物語を紡いできたイチョウ。それに比べれば、私たち人間など、つい最近登場したばかりの小さな、小さな存在でしかない。
*初出:メールマガジン「小白川通信 20」(2014年11月29日)。書き出しを含め一部手直し
≪写真説明とSource≫
◎青森県弘前公園の「根上がりイチョウ」
http://aomori.photo-web.cc/ginkgo/01.html
◎ピーター・クレイン(前キュー植物園長、イェール大学林業・環境科学部長)
http://news.yale.edu/2009/03/04/sir-peter-crane-appointed-dean-yale-school-forestry-and-environmental-studies
*『イチョウ 奇跡の2億年史』の原題は GINKGO : The Tree That Time Forgot 。矢野真千子氏の翻訳。ゲーテの詩は『西東(せいとう)詩集』所収。
*国土交通省は日本の街路樹について、2009年に「わが国の街路樹」という資料を発表しました。2007年に調査したもので、それによると、街路樹で本数が多いのはイチョウ、サクラ、ケヤキ、ハナミズキ、トウカエデの順でした。詳しくは次のURLを参照。
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0506.htm
この樹には、命をめぐる壮大な物語が秘められていることを知りました。クレインの著書は、ドイツの文豪ゲーテが詠(よ)んだ次のような詩で始まります。
はるか東方のかなたから
わが庭に来たりし樹木の葉よ
その神秘の謎を教えておくれ
無知なる心を導いておくれ
おまえはもともと一枚の葉で
自身を二つに裂いたのか?
それとも二枚の葉だったのに
寄り添って一つになったのか?
こうしたことを問ううちに
やがて真理に行き当たる
そうかおまえも私の詩から思うのか
一人の私の中に二人の私がいることを
クレインによれば、シーラカンスが「生きた化石」の動物界のチャンピオンだとするなら、イチョウは植物の世界における「生きた化石」の代表格なのだそうです。恐竜が闊歩していた中生代に登場し、恐竜が絶滅した6500万年前の地球の大変動を生き抜いてきました。
ただ、氷河期にうまく適応することができず、世界のほとんどの地域から姿を消してしまいました。欧州の博物学者はその存在を「化石」でしか知らなかったのです。
けれども、死に絶えてはいませんでした。中国の奥深い山々で細々と生きていたのです。そしていつしか、信仰の対象として人々に崇められるようになり、人間の手で生息域を広げていったと考えられています。著者の探索によれば、中国の文献にイチョウが登場するのは10世紀から11世紀ごろ。やがて、朝鮮半島から日本へと伝わりました。
日本に伝わったのはいつか。著者はそれも調べています。平安時代、『枕草子』を綴った清少納言がイチョウを見ていたら、書かないはずがない。なのに、登場しない。紫式部の『源氏物語』にも出て来ない。当時の辞典にもない。
鎌倉時代の三代将軍、源実朝(さねとも)は鶴岡八幡宮にある樹の陰に隠れていた甥の公卿に暗殺されたと伝えられていますが、その樹がイチョウだというのは後世の付け足しのようです。間違いなくイチョウと判断できる記述が登場するのは15世紀、伝来はその前の14世紀か、というのがクレインの見立てです。中国から日本に伝わるまで数百年かかったことになります。
東洋から西洋への伝わり方も劇的です。鎖国時代の日本。交易を認められていたのはオランダだけでした。そのオランダ商館の医師として長崎の出島に滞在したドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが初めてイチョウを欧州に伝えたのです。帰国後の1712年に出版した『廻国奇観』の中で絵入りで紹介しています。それまで何人ものポルトガル人やオランダ人が日本に来ていたのに、彼らの関心をひくことはありませんでした。キリスト教の布教と交易で頭がいっぱいだったのでしょう。
博物学だけでなく言語学にも造詣の深いケンペルは、日本語の音韻を正確に記述しています。日本のオランダ語通詞を介して、「銀杏」は「イチョウ」もしくは「ギンキョウ」と発音されることを知り、著書にはginkgo と記しました。クレインは「ケンペルはなぜginkyo ではなく、ginkgo と綴ったのか」という謎の解明にも挑んでいます。
植字工がミスをしたという説もありますが、クレインは「ケンペルの出身地であるドイツ北部ではヤ・ユ・ヨの音をga、gu、goと書き表すことが多い」と記し、植字ミスではなく正確に綴ったものとみています。いずれにしても、このginkgoがイチョウを表す言葉として欧州で広まり、そのままのスペルで英語にもなっています。発音は「ギンコウ」です。
それまで「化石」でしか見たことがなく、絶滅したものと思っていた植物が生きていた――それを知った欧州でどのような興奮が巻き起こったかは、冒頭に掲げたゲーテの詩によく現れています。「東方のかなたから来たりし謎」であり、「無知なる心を導いてくれる一枚の葉」だったのです。「東洋の謎」はほどなく大西洋を渡り、アメリカの街路をも彩ることになりました。
植物オンチの私でも、イチョウに雌木(めぎ)と雄木(おぎ)があることは知っていましたが、その花粉には精子があり、しかも、受精の際には「その精子が繊毛をふるわせてかすかに泳ぐ」ということを、この本で初めて知りました。
イチョウの精子を発見したのは小石川植物園の技術者、平瀬作五郎。明治29年(1896年)のことです。維新以来、日本は欧米の文明を吸収する一方でしたが、平瀬の発見は植物学の世界を揺さぶる大発見であり、「遅れてきた文明国」からの初の知的発信になりました。イチョウは「日本を世界に知らしめるチャンス」も与えてくれたのです。
それにしても、著者のクレインは実によく歩いています。欧米諸国はもちろん、中国貴州省の小さな村にある大イチョウを訪ね、韓国忠清南道の寺にある古木に触れ、日本のギンナン産地の愛知県祖父江町(稲沢市に編入)にも足を運んでいます。
訪ねるだけではありません。中国ではギンナンを使った料理の調理法を調べ、祖父江町ではイチョウの栽培農家に接ぎ木の仕方まで教わっています。鎌倉の鶴岡八幡宮の大イチョウを見に行った際には、境内でギンナンを焼いて売っている屋台のおばさんの話まで聞いています。長い研究で培われた学識に加えて、「見るべきものはすべて見る。聞くべきことはすべて聞く」という気迫のようなものが、この本を重厚で魅力的なものにしています。
かくもイチョウを愛し、イチョウの謎を追い続けた植物学者は今、何を思うのでしょうか。クレインはゲーテの詩の前に、娘と息子への短い献辞を記しています。「エミリーとサムへ きみたちの時代に長期的な展望が開けることを願って」
壮大な命の物語を紡いできたイチョウ。それに比べれば、私たち人間など、つい最近登場したばかりの小さな、小さな存在でしかない。
*初出:メールマガジン「小白川通信 20」(2014年11月29日)。書き出しを含め一部手直し
≪写真説明とSource≫
◎青森県弘前公園の「根上がりイチョウ」
http://aomori.photo-web.cc/ginkgo/01.html
◎ピーター・クレイン(前キュー植物園長、イェール大学林業・環境科学部長)
http://news.yale.edu/2009/03/04/sir-peter-crane-appointed-dean-yale-school-forestry-and-environmental-studies
*『イチョウ 奇跡の2億年史』の原題は GINKGO : The Tree That Time Forgot 。矢野真千子氏の翻訳。ゲーテの詩は『西東(せいとう)詩集』所収。
*国土交通省は日本の街路樹について、2009年に「わが国の街路樹」という資料を発表しました。2007年に調査したもので、それによると、街路樹で本数が多いのはイチョウ、サクラ、ケヤキ、ハナミズキ、トウカエデの順でした。詳しくは次のURLを参照。
http://www.nilim.go.jp/lab/bcg/siryou/tnn/tnn0506.htm